[ヨハネ15:8を引用]
実を結ぶとはどういうことだろうか。
週に一度集会にやって来て、祈り、
あるいは社交的集まりにおいて証を
することだけを言うのではない。
我々は日々ぶどうの木とつながっていることを確認し、
家庭で、また仕事をしているときに、
また人生に関わる万事において、
キリストの霊を表しているべきである。
キリストとたまにつながるだけで十分であり、
時折キリストを告白するから、
自分たちは生きている枝と見なされ得ると考えているかのように
行動する人が多い。
しかしこれは欺瞞である。
枝はぶどうの木に接木され、繊維の一つ一つがぶどうの木に
つながるまで、ぶどうの木の根と幹から樹液や栄養といった
日々必要なものを補給し、それが親株と一つになるまで、
そこに留まっているべきである。
ぶどうの木に栄養を与える樹液が枝に栄養を与えねばならず、
これがキリストにつながっている者の生活においてはっきりと
見られるであろう。
肉によってでなく、霊によって歩む者の内に、
キリストの喜びが成就するからである。
Signs of the Times 1892年 4月18日
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