2007年12月30日日曜日

日々の経験


[ヨハネ15:8を引用]

実を結ぶとはどういうことだろうか。

週に一度集会にやって来て、祈り、
あるいは社交的集まりにおいて証を
することだけを言うのではない。

我々は日々ぶどうの木とつながっていることを確認し、
家庭で、また仕事をしているときに、
また人生に関わる万事において、
キリストの霊を表しているべきである。

キリストとたまにつながるだけで十分であり、
時折キリストを告白するから、
自分たちは生きている枝と見なされ得ると考えているかのように
行動する人が多い。

しかしこれは欺瞞である。

枝はぶどうの木に接木され、繊維の一つ一つがぶどうの木に
つながるまで、ぶどうの木の根と幹から樹液や栄養といった
日々必要なものを補給し、それが親株と一つになるまで、
そこに留まっているべきである。

ぶどうの木に栄養を与える樹液が枝に栄養を与えねばならず、
これがキリストにつながっている者の生活においてはっきりと
見られるであろう。

肉によってでなく、霊によって歩む者の内に、
キリストの喜びが成就するからである。


                   Signs of the Times  1892年 4月18日

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