2007年12月21日金曜日

「信仰義認」と「新生」


お元気ですか?
各教会、クリスマスプログラムもたけなわ、お忙しいことと思います。
今年も残り僅かとなりました。
感謝と賛美の内に2007年を終えたいものですね。

リバイバルが訪れるとき、
特にふたつの聖書の教え、教理が顕著になると言われる。

ひとつめは「信仰義認」。
われわれの救いは100%キリストの十字架の恵みに拠り、
われわれには救いのために何の功績もない。
ただキリストの恵みを信仰によって受け取るのみ。
宗教改革の発端ともなった重要かつ唯一無二の福音の真髄である。

リバイバルのとき男も女もみな自分に絶望する。
自分の善良さも正義感も教会生活も所属教派も
自分に属するものには何の価値もないことにおののく。
徹底的に不義なるものとされた者の上に神は救いの手を差し伸べられる。

「信仰義認」の教えはまた、
たとえどのような不義なる者であろうと、
彼が信じるとき、いつでもどこでも救われるという真理を示している。
そこに聖霊の大いなる働きがあり、素直な信仰があるならば、
救いの出来事が不思議な力をもってそこに確かに起こるのである。
リバイバルの時には教会の内外で
信じられないような救いの出来事が大量に起こるのである。

ふたつめは「新生」。
神の国に入る者は誰でも新しく生まれ変わっていなければならない。
神の国にペーパー試験はない。口頭試問もない。行動観察もない。
ただ、「新生」の事実だけが見透される。
大切なのは宗教的であることではない。
そのような偽善はすべて打ち砕かれる。
ただ「新生」の事実だけが求められる。
聖霊の働きの中でただキリストだけを主とし、心から神を礼拝する者、
その者への回心がリバイバルでは強調される。

人々の「新生」のために神が働かれるのがリバイバル。
神は、人を新しく創り変えようと強く働かれる。
その生活に介入し悔い改めと回心を促す。
打ち砕きと恵みの愛とを与えられる。
リバイバルの時には人々は飢え渇くように「新生」を求め、
神はその求めにあふれるばかりにお応えになるのである。

リバイバルは祈り求めるものに臨むもの。
安穏と現状を肯定するところには無縁のもの。
キリスト降臨を祝うクリスマスの季節は、
まさにリバイバルを祈り求めるにふさわしい季節。
世界が、教会がいまキリスト、救い主を必要としています。

明日の安息日、あなたの教会にキリストが降臨されますように!


                               SDA西日本教区
                               教区長:島田真澄 

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