SDA西日本女性会
〝今日も主とともに・・〟
2012年2月1日水曜日
私たちは神がご覧になるように自分の生活を見るだろう
イエスの美、善、いつくしみ、
そして愛を瞑想すると、
知的また道徳的な力が強まり、
キリストのわざを行い、
従順な子となるように
心の訓練を続け、
次のような問いをするのが習慣となるであろう。
「これは主の道だろうか。
イエスは私がこうするのを喜ばれるだろうか。
これは自分を喜ばすことになるのだろうか、
それともイエスを喜ばすことになるのだろうか。」
それから、だれもが次の主のみ言葉を思い出す。
「あなたは、われらの隠れた罪をみ顔の光の中におかれました。」
イエスを喜ばせたければ、
多くの者はその思いと行いの傾向を決定的に変える必要がある。
神は嘆きという光で罪を見ることはめったにない。
多くの者は罪の道をたどるのが習慣になっており、
サタンの力の影響を受け、心はかたくなになっている。
また彼らの思いは、悪い感化のとりこになっている。
だが、サタンの誘惑に抵抗して、
自分の心を神の力と恵みのうちに置くと、
頭脳は明晰になり、神の霊に影響されて
心と良心は鋭敏になり、
罪がありのままに、恐ろしく罪深く見えてくる。
その時こそ、
隠れた罪が明らかに見えてくるのである。
彼らは罪を神に告白し、
悔い改めて罪を恥じるようになる。
・・・神はそれらをみ顔の光から取り除き、
背後に投げ捨てておしまいになる
(Letter 43. 1892年)。
2012年1月31日火曜日
2012年1月30日月曜日
聖なる神と人間の罪深さ
ヨブは、
つむじ風の中から
主の声を聞いたときに、
「それでわたしは
みずから恨み、
ちり灰の中で悔います」
と叫んだ(ヨブ42:6)。
イザヤは、
「主の栄光を見、
ケルビムが「聖なるかな、聖なるかな、
聖なるかな、万軍の主」と
呼ばわるのを聞いて、
「わざわいなるかな、
わたしは滅びるばかりだ」と叫んだ(イザヤ6:3、5)。
パウロは、
第三の天にまで引き上げられ、
人間には語ることのできない言葉を聞いた後、
自分のことを、
「聖徒たちのうちでもっとも小さい者である」と
言っている(Ⅱコリント12:2-4参照:エペソ3:8)。
また、
かつてはイエスの胸によりかかった愛弟子ヨハネは、
主の栄光に接したとき、
その足下に倒れて死人のようになった(黙示録1:17参照)。
カルバリーの十字架の影を歩くものには、
自分を高めたり、
自分はもはや罪を犯さないなどと
誇ったりすることはあり得ない。
彼らは、自分たちの罪が、
神のみ子の心臓を破裂させるほどの苦悩を
引き起こしたことを感じる。
そしてこの思いが、彼らをへりくだらせる。
イエスに最も近く生活する者が、
人間の弱さと罪深さを最もはっきりと認める。
そして自分たちの唯一の希望を、
十字架につけられ復活された救い主の功績に置くのである。
(各時代の大争闘 下 199、200p)
2012年1月29日日曜日
Windowsパソコンのちょこっと節電
〝電源はこまめに
「off」する方がいいの?〟
・・・・とのおたずねですが
パソコンを使わない時間が
1時間45分以内なら
「シャットダウン」よりも
「スリープ」の方が
消費電力が小さいそうです。
・・・・で、
私は、ちょっとした利用中断時は、
節電の「スリープ」を
使うようにしています。
2012年1月28日土曜日
2012年1月26日木曜日
2012年1月25日水曜日
イエスは私たちのために祈られた
イエスは苦しんでいる人、
虐げられている人たちを助け、
祝福するために
たえず
自己否定と自己犠牲の精神で
賢明に骨折られました。
時として
疲れを感ずる時もありました。
夜を徹して寂しい山で
祈られることもしばしばでしたが、
それは自身の必要や弱さのゆえでなく、
サタンの誘惑に対してあまりにも弱く、
まさに打ち負かされようとしている
私たちのためだったと言えるでしょう。
私たちが襲い来る危険に無関心で、
祈りの必要をそれほど感じていないことを
主はご存知です。
主が強烈な叫びとあふれる涙で
天の父に祈られたのは、
実に私たちのためでありました。
(『教会への証』第三巻 379p)
祈り 279p
2012年1月24日火曜日
2012年1月23日月曜日
神は秘密の企みをお読みになる
自分の心を探り、
神の与えて下さった
すべての才能を
善用することは、
すべての人の
永遠の利益の
ためである。
誰の心の中の
動機でも、
神は
はっきりとご覧になるということを
覚えていよう。
一人びとりの動機は、
この一つの結果に
人間の運命がかかっているかのように
注意深く検討される。
明瞭な光と、
原因から結果をどのように
推し測るかという明瞭な知識と理解を
増していけるように、
我々は神の力と結びつくことが必要である。
神の性質にあずかることにより、
欲に染まった腐敗を逃れて、
分別力を養う必要がある。
一人びとりが厳粛な真理について熟考しよう。
天の神は真実であり、
どれほど複雑でも、
神に分からない企みというものはないし、
どれほど注意深く隠されても、
神に分からない動機はない。
神はすべて心の秘密の企てをお読みになる。
人は神には分からないと思って、
将来のために不正直な行為を画策するかも知れない。
しかし、書き物が開かれ、
すべての人がその書に書かれた事に従って
裁かれる大いなるその日に、
それらの行為はあるがままに現れ出るであろう
[詩編 139:1-5、11、12を引用]。
計画された不正直のすべて、
どの程度であれ所有物や財産の不法な適用のすべて、
同胞との取引での不正のすべてを、
主は見ておられるし、
分かっておられる。
[ダニエル5:27を引用]
Review and Herald 1906年 3月 8日
2012年1月22日日曜日
大人であるこいうこと
大人であるということ、
成熟した人であるということは、
その関心の範囲が
だんだん広がるということであり、
さらに、
物的なものだけでなくて、
抽象的な価値とか、
理想というものに対しても、
関心があるということです。
*人間としてどう生きるか
2012年1月21日土曜日
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