2011年3月31日木曜日

サタンはキリストの中に神のご品性の現れを見る



世にあって、
父を完全に代表した方がおられた。

その品性と行いは、
サタンが神を間違って表していることを
明らかにした。

サタンは、
彼自身が持っている性質を
神のものとして告発した。

彼は今、
キリストの中に神の真のご品性

----一人も滅びることを望まれず、
悔いて神に来る者すべてに
永遠の命を与えようとしておられる
同情心のある、憐み深い父----を見た。

Signs of the Times 1898年 6月 9日

2011年3月30日水曜日

その生涯を研究することによってキリストを見よ



[Ⅱコリント3:18を引用]

キリストを見るということの意味は、
み言葉のうちに
彼の生涯を研究することである。

我々は真理を隠された宝のように
掘り下げるべきである。

目をキリストに留めなければならない。

彼を自分の個人的救い主とするとき、
そのことが我々を恵みのみ座に大胆に行かせるのである。

見ることによって我々は変えられ、
品性において完全であられるお方に
道徳的に同化するようになる。

彼が与える義を受け入れることにより、
聖霊の改変させる力を通して、我々は彼のようになる。

キリストのみかたちを思い続けるとき、
それは我々のすべてを魅了するのである。

                     Manuscript 148. 1897年

2011年3月29日火曜日

私たちは神がご覧になるように自分の生活を見るだろう


イエスの美、善、いつくしみ、
そして愛を瞑想すると、
知的また道徳的な力が強まり、
キリストのわざを行い、
従順な子となるように心の訓練を続け、
次のような問いをするのが
習慣となるであろう。

「これは主の道だろうか。
イエスは私がこうするのを喜ばれるだろうか。
これは自分を喜ばすことになるのだろうか、
それともイエスを喜ばすことになるのだろうか。」

・・・・・

イエスを喜ばせたければ、
多くの者はその思いと行いの傾向を決定的に変える必要がある。

神は嘆きという光で罪を見ることがおできになるが、
我々はそのように自分の罪を見ることはめったにない。

多くの者は罪の道をたどるのが習慣になっており、
サタンの力の影響を受け、心はかたくなになっている。

また彼らの思いは、悪い感化のとりこになっている。

だが、サタンの誘惑に抵抗して、
自分の心を神の力と恵みのうちに置くと、
頭脳は明晰になり、神の霊に影響されて心と良心は鋭敏になり、
罪がありのままに、恐ろしく罪深く見えてくる。

その時こそ、
隠れた罪が明らかに見えてくるのである。

彼らは罪を神に告白し、悔い改めて罪を恥じるようになる。


                           Letter 43. 1892年

2011年3月28日月曜日

サタンを有利にするな



我々は
目に見えない敵と
会わねばならない。

悪人は徐々に前進して来る闇の
代理人である。

だから霊的洞察力がなくては、
魂はサタンの策略に対して
無知になり、
つまずき罠にかかって失敗するであろう。

勝利したい者はしっかりと
キリストにつかまらねばならない。

彼は後ろを振り向くことなく、
目を常に上に向けていなければならない。

仲保者に絶えずすがり、
働きの前線を次々と上に伸ばし、
肉の欲を満たすことをせず、
仲保者と共に登りなさい。

我々が天の門に入るのは、
放縦や、ばかげたこと、娯楽、利己的なことを通してではなく、
ただ絶えず目を覚まして祈ることによるのである。

自分の役割を個人個人で霊的に警戒することは、
安全のための代価である。

サタンがあなたに対して有利な立場を得ることのないよう、
彼の側にほんの少しでもそれてはならない。

                         Letter 47. 1893年

2011年3月27日日曜日

神に帰る道



私は、
貴重な教えに満ちている
詩編51篇を紹介したい。

そこに、
もし我々が主から離れると、
どんな道をたどることになるかを
学ぶことができよう。

高められ、
誉れを受けたイスラエルの王のところに、
主はご自分の預言者によって
譴責のメッセージをお送りになった。

ダビデは、
自分の行為をありのままに主に申し述べて、
罪を告白し、心を低くした。

[詩51:1-17を引用]

            Manuscript 147. 1903年

2011年3月25日金曜日

2011年3月24日木曜日

信徒セミナー3


〝私が、説教をすることは無いから・・〟

〝いいえ〟

学ぶ方法を学べます。

この学びは、きっと明日からの生活に必須のものです。

遠くからでも、ご都合をつけて
ご参加くださるようご案内いたします。

詳しくは、教会の掲示板
(昼食の注文を受け付けています)
↑   ↑   ↑
・・・教区から、西日本の各教会に 3月28日(月)発送予定だそうです・・・


2011年3月23日水曜日

祈れ、決して驚いてはならない



主は、
我々のために喜んで
偉大な事をなそうとしておられる。

我々は数によってではなく、
イエスに対する全き魂の献身によって
勝利が得られるのである。

我々は、力強いイスラエルの神に信頼しつつ、
神の力により前進すべきである。

・・・・・

主は今日、
人間の努力を通して喜んで働こうとしておられ、
弱い器を通して偉大なことを成し遂げようとしておられる。

真理についての知的な知識を持つことは必須である。

なぜなら、
他にどんな方法で悪賢い相手と対戦できるだろうか。

聖書は、教理のためだけではなくて、
その実際的な教訓のために研究されなければならない。

あなたは決して驚いてはならないし、
決してあなたの身に武具をつけずにいてはならない。

緊急時のために、
任務の召集のために、準備しなさい。

預言とキリストの教訓に精通して、
真理を提供するあらゆる機会をうかがって待っていなさい。

・・・・・

ひざまずいて神を求めなければならない。

あなたは神の御霊の力と感化によって人々に会うために、
出ていかなければならない。

・・・・・

兄弟たちよ、
自己に信頼せずもっとイエスを信頼しなさい。

             Review and Herald 1844年 7月 1日

2011年3月22日火曜日

私は私だから



あの人のようになったらいいなあ、
この人のようになりたいなあと思うことが
たくさんあるかも知れないけど、
気を取り直してみると、
その人は私ではない。

私もその人にはなれない。

なる必要もない。

私は私だから、この世に生まれてきたのだ。


          *人間としてどう生きるか

2011年3月21日月曜日

世の友情か、神の好意か



神の寵愛を受けた人々の中には、
責任のある立場にいながら、
冷淡で背信した状態のままで
満足している者たちがいる。

彼らの敬神深さは
誘惑が近づいてくると消えてしまう。

世俗の友情を得るために彼らは、
神の好意を失う危険をあえておかす。

主は、
銀を試すようにご自分の民を試しておられる。

心が全く神に屈服するか、
不服従と反逆にあってかたくなにされるまで、
テストは益々厳密なものとなるであろう。


      Signs of the Times 1881年 6月 2日

2011年3月20日日曜日

人の称賛を好むことの愚かさ



人が本心に立ち返ると、
造り主との関係について
深く考えるようになる。

神の寵愛よりも人の称賛を、
天の宝よりも不正の報いを、
また神がその子らに
与えられる食物よりも
罪の殻や皮を好むことは、
道徳的狂気である。

にもかかわらず、
世的な事柄に知恵と才覚を発揮し、
永遠の利益に関わるこれらの事柄に
全く無頓着な人たちが何と多いことか

  Signs of the Times 1881年 5月 19日

2011年3月18日金曜日

2011年3月17日木曜日

私の財産



真に「私の財産」と
呼ぶことができる時間は、
自分の魂を豊かにするものであり、
永遠の世界につながるものを
指すものではないかと思うのです。

なぜなら、
「一生の終わりに残るものは、
我々が集めたものではなくて、
我々が与えたものである」からなのです。


   *目に見えないけれど大切なもの

2011年3月16日水曜日

信仰という金は不滅


どんな材料が品性建設に使われているかが、
あらゆる違いを生み出す。

長い間待っていた神の日が、
まもなくすべての人の仕事を試みるであろう。

「その火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、
ためすであろう」。

火が、金や銀や宝石と、
木やわらや切り株との違いを表すように、
裁きの日は、
キリストに似せて形作られた品性と
利己的な心に似せて形成された品性との違いを示して、
品性を試すであろう。

あらゆる利己心、
あらゆる偽りの宗教は、
その時ありのままの姿を現すであろう。

価値のない材料は燃え尽きるが、
真の単純で謙遜な信仰という金は、
決してその価値を失うことがない。

それは決して燃え尽きることができない。

それは不滅だからである。

一時の罪は大変な損失であることが分かる一方、
神を畏れることは知恵のはじめであることが
分かるであろう。

利己的放縦という快楽は切り株として滅び、
一方どんな値を払ってでも守った確固とした
原則という金は、
永遠に存続するであろう。

Review and Herald 1900年 12月 11日


2011年3月15日火曜日

「信じる愛」に生きる



人間は、
愛を呼吸し、
愛を食べ物として生きている。

その心は愛を求め、
愛によってのみ
充たされるのであるが、
五感で確かめる愛は、
ごく限られたものでしかない。

そうだとしたら
「信じる愛」に生きることこそ、
人間が幸せに生きる一つの秘訣ではあるまいか。

                    *愛をつかむ

2011年3月14日月曜日

想像力を教育する



あなたがたは
神の言葉の約束を瞑想し、
それを
心の眼の前に掲げなければならない。

要点ごとに、毎日、
そこにある教訓の意味と意義を
学び取るまでそれを何度も何度も
繰り返しなさい。

我々は今日少し分かり、
瞑想と祈りによって、
明日はもっと分かるのである。

そしてこのようにして、
少しずつ我々は恵みである約束を得て、
ついにその完全な意義をほとんど
理解できるようになるのである。

 ああ、世の事よりももっと天の事柄に
想像力を働かせるように教育しないことによって、
どれほどのものを失うことだろう!

我々は最大限に想像力を働かすことができるかもしれないが、
それでも「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、
人の心に思い浮かびもしなかったことを、
神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。

我々が天の事柄に思いを厳密に適用すればするほど、
新鮮な驚きが心に示されるであろう。

我々は、イエスや天のこと、
聖徒の嗣業のことについてあまり話をしないことで、
非常な損失をこうむる。

我々がもっと天の事柄を考えれば、
更に新しい不思議が示されるであろう。

そして我々の心は、
情け深い創造主への感謝にあふれるであろう。

                          Letter. 4.1885年

2011年3月13日日曜日

低いレベルで生きる



[Ⅰコリント3:1-3を引用]

これらの言葉を向けられた人びとは
キリストに養われていなかったので、
霊的知識において進んでいなかった。

パウロは言った、
「あなたがたに乳を飲ませて」-----
信仰における幼い回心者のための
最も明瞭で最も単純な真理----
「堅い食物を与え」----
神の事柄についての知識において
進展している者たちにふさわしい堅い、
滋養のある霊の食物を与えなかった。

彼らは、
何の思考も、深い探求も呼び起こすことのない
表面的な真理に安んじて、
低いレベルで生きていた。


               Manuscript 70. 1901年

2011年3月11日金曜日

2011年3月10日木曜日

画像サイズを変更して送信


「デジカメで撮った写真を
メール添付したけど、うまくいかない・・」

・・・・・・・・・・・・

そんなときは、
画像容量の確認をして、
大きい場合は、サイズを小さく変更します。

大きいままメール添付すると
受信に時間がかかったり、
受信できなかったりすることがあるからです。

デジカメで撮った写真は、
500KBくらいまでに抑えた方がいいですね。


①画像サイズの確認方法
  「スタート」→「マイピクチャ」→
  写真のサムネイル(一覧)またはピクチャライブラリから
  写真を選び、その写真上にマウスを持っていくと
  説明が開き、一番下に「サイズ○○MB」と表示される。
  



















②サイズを小さくしたい場合
  画像上で右クリック
     ↓
  「送る」
     ↓
  「メール受信者」
     ↓
  [添付ファイル]
   ピクチャのサイズで 「最小・小・中・大」が表示されますので、
   予想合計サイズを参考に選んで[添付]
     ↓
  メールソフトが開いて、写真は添付されています。

*また、写真を開いて、
  画面上のメニューバー「電子メール」でも、同じことができます。


・・・・もし〝・・?・・〟の時は、直接SSに ご連絡ください。


************

* KB、MB・・はデータの単位です。
  
  ものの重さをあらわすのに「キログラム」や「トン」を
  使うのと同じです。

  KB(キロバイト)<MB(メガバイト)<GB(ギガバイト)

************



  

品性建設の業を学ぶ



「あなたがたは・・・神の建物である」。

あなたがたは
偉大な巨匠の代表作である。

神は、
我々が品性建設の業を学ぶのを
無視することを禁じられる。

この働きにおいて追及すべき課程は、
世の考えに従ったものではない。

こしらえるものは、
世がこしらえるようなものではない。

キリストの中に自己を隠さずして神の働きに入る者たちは、
まもなく主の建物から自らを切り離すことになる。


                    Manuscript 165, 1899年

2011年3月9日水曜日

キリストに監督させよ


品性建設の働きにおいて、
キリストがあなたの監督であることを
肝に銘じなさい。

あなたが神の同労者であるか、
それとも神に反対して働く者であるか、
あなたの最高の念願は
神を表すことであるか、
それとも自分自身と自分の計画を
大きく見せることであるかは、
大変な違いである。

キリストは、
「わたしから離れては、あなたがたは何一つできない」
と宣言なさる。

神に是認されることは何一つできないのである。

注意深くあなたの動機を探りなさい。

そして、あなたがキリストから離れて
自分自身の知恵で働いているのではないことを確認しなさい。


                      Manuscript 102, 1903年

2011年3月8日火曜日

証拠に基づく決心


罪深い不信仰を放棄するよう
人間に強制することは
神のご計画ではない。

彼らの前には光と闇、
真理と偽りがある。

どちらを受け入れるかは
彼らがきめるのである。

人間の心には善と悪とを識別する力が与えられている。

神は、
人間が衝動からではなく、
注意深く聖句を比較した証拠の重要性に基づいて
決定するように計画された。


       Redemption; or the Miracles of Christ 112,113

2011年3月7日月曜日

クリスチャン生活における厳しい戦い



クリスチャンの生活は、
すべてが順調に行くのではない。

彼には出会うべき厳しい戦いがある。

厳しい誘惑が彼を襲う。

「肉の欲するところは御霊に反し、
また御霊の欲するところは
肉に反するからである」。

この地球歴史の終末が近づくにつれ、
敵の攻撃は、
より欺瞞的で巧妙になるであろう。

その攻撃はより激烈になっていき、
より頻繁になっていく。

光の真理に抵抗する者たちは、
さらにかたくなになり、
感銘を受けることが少なくなり、
神を愛し、
その戒めを守る人々に対していっそう憎しみを増していく。

                    Manuscript 33.1911年

2011年3月6日日曜日

体、言葉、精神の汚れがない事



神の目に受け入れられるために、
民の指導者たちは、
たとえ戦いに出て行く時であっても、
イスラエルの軍勢の衛生状態に関して
厳格な注意を与えなければならなかった。

軍隊の最高司令官から一番身分の低い
兵士に至るまでのすべてが、
彼らの身辺と彼ら自身を
清潔に保つよう神によって命じられた。

なぜなら、
イスラエル人は神の特別な民として選ばれたからであった。

彼らは身体と精神を清く保つ神聖な義務があった。

彼らは自分たちの個人的な義務に不注意であったり
怠慢であってはいけなかった。

あらゆる面において彼らは清潔を保たなければならなかった。

彼らは自分たちの身辺を乱雑にしたり、
不健全にしたり、
清い空気を汚したりするものは一切容認すべきではなかった。

彼らは内も外も清くなければならなかった。[申命記23:14を引用]


                             Letter 35.1901年

2011年3月4日金曜日

2011年3月3日木曜日

自己満足の余地はない


我々は
信仰によって義とされる。

この言葉の意味を理解する魂は、
決して自己満足に陥ることがない。

我々には誇れるものは何もない。

聖霊が、
神に似た品性を形成する働きにおける、
我々の力である。

我々は自分の経験を
自分で形作ることができると思う時、
大変な間違いを犯しているのである。

自分では決して誘惑にうち勝つことはできない。

しかしキリストにある真の信仰を持っている者たちは、
聖霊に働いていただくのである。

心に信仰を宿している魂は、
主のための美しい宮に成長していくであろう。

彼はキリストの恵みによって導かれる。

聖霊の教えに依存する分だけ、彼は成長するであろう。


                    Manuscript 8. 1900年

2011年3月2日水曜日

神のみ子の命の容器


すべての被造物は
神のご意志とみ力によって
生きている。

彼らは
神のみ子の容器である。

どんなに能力があって
才能に恵まれていても、
どんなに大きな素質を
持っていても、
彼らはすべての命の源であるお方から
命を与えられている。

・・・・・

我々の世界の全人類は彼から命を授かっている。

彼は命の泉であり根源である。


               Manuscript 131. 1897年

2011年3月1日火曜日

新しい心のしるし



イエスが
新しい心について話されるとき、
それは思いと生活、
すなわち全存在を意味している。

心の変化を持つということは、
世から愛情を退け、
それをキリストに
しっかり結びつけることである。

新しい心を持つということは、
新しい思いと新しい目的、
新しい動機を持つことである。

新しい心のしるしとは何か。

それは変えられた生活である。

日々、
絶え間なく自我と誇りに死ぬのである。

  Youth's Instructor 1901年 9月 26日