2008年2月29日金曜日

神の栄光


いよいよ明日から弥生3月、春が近づいてきました。
すべての季節が神のみ手の中にあります。
教会の春も神のみ手の中にあります。
祈りつつ、らんまんの春を待ち望みましょう。

リバイバルは何のために与えられるのだろう。
その目的は何だろう。

あのペンテコステの大いなる油注ぎ以来、
教会は幾度もリバイバルを経験してきた。
リバイバルはしばらくの間、教会にとどまり、やがて必ず消え去った。
そして教会は、神に見捨てられたかのように無力の状態に陥った。
しかし、再び神は聖霊を注がれ、教会は高く引き上げられた。

なぜ、神はそのようにされるのか、
その目的は何か、と言うのが今朝の問いである。

昔、神はイスラエルを「神の民」として選んだ。
ご自身の栄光を現し、ご自身を他の異邦の国に証しするためである。
異邦の国は、それぞれに神を持っていた。
異邦人たちはイスラエルの神を礼拝もせず、賛美もしなかった。
そして、彼らは無力なイスラエルをあざ笑い、イスラエルの神を馬鹿にした。

そのようなとき、神はご自身の栄光と力を持ってイスラエルに臨まれた。
イスラエルに特別な祝福をお与えになった。
嘲笑する異邦の国が、イスラエルの神を畏れ、信じるためである。

リバイバルは教会自身のために与えられるのではない。
教会員の求める特殊な体験への満足ために与えられるのでもない。
リバイバルは、異邦人が神を畏れ、信じるために与えられるのである。
異邦の国に、神の栄光が顕されるために与えられるのである。
そのために神は教会を祝福し、用いられるのである。

私たちもリバイバルを祈り求める。
神がその栄光を顕し、その御名が高められ、
非キリスト教徒がこぞって神を畏れあがめることを願って祈り求める。
そのために私たちが打ち砕かれることを祈り求める。
自らの罪と無力を神に告白し、その臨在と祝福を乞い求める。
私たちが現代の「神の民」として用いられることを願って祈り続ける。

すべては、神の栄光のために・・・・。

明日の安息日、主の霊が各教会に臨まれますように。
主のいのちと力とに触れることができますように。

ハッピー・サバス!!

                                  SDA西日本教区
                                  教区長:島田真澄         

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