の状態に満足しているのである」(『教会への勧告』下178)。
これはE・G・ホワイトという方の文章です。
私たちは熱心にお礼拝に参加し、毎日聖書を読んでいます。
本来、私たちは聖書を読めば読むほど、より深くイエス様を知るはずです。
信仰は増し加わり、
神様の力によって私たちの生き方は変わってくるはずです。
しかし、ときとして「聖書研究はしているけれど、
クリスチャンとしての成長がなかなか見られない」と
感じることがあるかもしれません。
霊的に成長すればするほど、霊的な眼が澄んでくるため、
今まで気づかなかった自分の罪や欠点が見えてくるといった
ことも原因として考えられます。
しかしまた、私たちが、本気で霊的成長を望むならば、
聖書の学び方にも、さらなる工夫が加えられてもよいのかもしれません。
今回は二つの工夫をご紹介いたします。
(1)イエス様の存在
「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、
聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。
それなのに、あなたたちは、命を得るために
わたしのところへ来ようとしない」(ヨハネ5:39-40)。
もし、私たちが聖書を道徳の教科書として学び、
それを実行しようとするならば、それはいつか挫折を迎えます。
私たちが霊的成長を期待するならば、
そこにイエス様との親しい交わりがなければなりません。
聖書の御言葉と祈りを通して、イエス様との会話を深めてゆくならば、
イエス様に対する信頼はさらに高まり、知恵と力が増し加えられます。
(2)行い
「御言葉を行う人になりなさい。
自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません」(ヤコブ1:22)。
神様の御言葉を受けて、チャレンジしてみることが必要です。
聖書の言葉は幸福と成長の原則に満ちています。
一つでも多くの御言葉を私たちの人生に実現していただくため、
実現に至らせてくださる神様のお働きの「呼び水」としての
私たちの行いが許されています。
ウィロクリーク・コミュニティー教会のビル・ハイベルズ牧師は
著書『祈れないほど忙しい?』(福音社)の中で、次のように語っています。
「私はせっかちで、いつも動き回っており、
自分の内面をじっくり見つめることがありませんでした。
成長に結びつくような反省を全くしていなかったのです。
そこで私は、難しい決断を下しました。
毎日、自分の魂の状態を正直に評価することにしたのです。
自分の内面を見つめ、観察したことを書き記すのです。
ぎこちなさと気恥ずかしさを感じながら、
らせん綴じのノートを取り出し、書き始めました。
「神様、私の生活には少し不満があります。
なかなか解決しそうにありません…」
「私には気になっている人間関係があります。どうもうまくいきません。…」。
1、2段落書き終えるごとに、私はその内容を反省したものです。
私はじきに、自分の祈りをすべて書き出し、
それを神様に向かって復唱するということを始めたのです。
これ以外の方法では、祈りの生活で成長することはできませんでした。
あなたにとってどんな方法が一番効果的か、試してみてください。
祈りの奇跡があなたの生活の中に作用し始めるためには、
最終的にただ一つのことをしなければなりません。
すなわち、祈らなければならない、ということです。
そうするときにのみ、
私たちは、一瞬一瞬を神様のご臨在のうちに生きるようになるのです。
SDA大阪センター教会牧師 藤田昌孝
0 件のコメント:
コメントを投稿