2008年1月25日金曜日
キリストを知る
寒さ厳しくとも大阪は明るい朝を迎えています。
今朝は、使徒パウロの言葉を分かち合いたいと思います。
「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、
ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。
律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、
律法の義については非のうちどころのない者でした。
しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、
キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。
そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることの
あまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。
キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、
それらを塵あくたと見なしています。
キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。
わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、
キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。
わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、
その死の姿にあやかりながら、
何とかして死者の中からの復活に達したいのです。
わたしは、既にそれを得たというわけではなく、
既に完全な者となっているわけでもありません。
何とかして捕らえようと努めているのです。
自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。
兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。
なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、
神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、
目標を目指してひたすら走ることです。」 フィリピ3:5~14
キリストを知ること、キリストと共に死に共に生きることを必死で求める
このパウロの姿こそがリバイバルに捕らえられたキリスト者の姿です。
キリストを知ることは、もはや知識ではありません。
いのちそのものです。
明日の安息日、このいのちを得る礼拝をお捧げしたいと思います。
ハッピー・サバス!!
※ 天野裕司前広島三育学院校長が、
今朝4時01分しばしの眠りにつかれました。
ご遺族の方々の上に主の慰めがありますように!
SDA西日本教区
教区長:島田真澄
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