2008年1月17日木曜日

信仰は手段であって、目的ではない



信仰は我々の救いの根拠ではなく、
すばらしい祝福
ー見る目、聞く耳、走る足、つかむ手ーである。

それは手段であって、目的ではない。

もし、キリストが罪人を救うために
ご自分の命を与えられたのであれば、
我々はその祝福を受け取らないでよいものだろうか。

私の信仰はそれをつかみ、こうして私の信仰は
望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認する。

このようにして安んじ、信じ、主イエス・キリストを通して
神との平和を持つのである。


                          Letter a. 1905年

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