弟子たちは、キリストが彼らを愛されたように、
お互いを愛したことがなかった。
彼らは、キリストが人間のためにあらわそうとしておられる
愛の豊かさをまだ見ていなかった。
彼らは、キリストが彼らの罪のために、
十字架上でお亡くなりになるのを見なくてはならなかった。
彼の生涯とその死を通して、彼らは、新しい愛の観念を授けられるのであった。
「互いに愛し合いなさい」という戒めは、
キリストの自己犠牲の光において新しい意味を持つのであった。
カルバリーの十字架から輝く光の中に、彼らは
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」という
言葉の意味を読みとるのであった。
(Review and Herald 1910年6月30日)
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