
安息日午後、萩野緑さんの納骨式が
教会から一時間ほど離れた山の頂にある教会墓地でありました。
独身だった緑さんでしたが、ご姉弟のほかに教会員、
お琴などの趣味の仲間など驚くほど多くの方が参列されました。
お墓に立てかけられた、自然の中で見るお写真の笑顔の上を
初秋の風が吹き抜けていきます。
5歳ぐらいの少女が、お父さんの手をぎゅっと握り、小さい声でしたが
話しかけていました。『緑さん、此処に眠っているのね』と、
確信を伝えるその言葉に胸打たれました。
教会で子育て中のピアニストなど、働き人の子供さんの子守をされていたときの
満ち足りた笑顔を思い出します。安心して緑さんの胸の中で眠っていた子供さん
たちが何人も何人もいました。
72歳の亡くなられる日まで、佇まいすべてに乱れがありませんでした。
髪の毛をきちっとアップにされ、人を非難する言葉や、大声を聞いたことが
ありませんでした。緑色の手提げには人を喜ばせようといつもちょっとしたお菓子
や、お土産の小物が入っていて、人々の間を歩き回り、配っておられたお姿を
思い出します。「おうどん」の時間には小さいしいたけの佃煮や、とろろ昆布など
を、少しはにかみながらそっと配膳台の上に置かれるのを何度も見たものです。
人に決して迷惑をかけることなく、いつも神様の御用をされていた緑さん、
お一人住まいの緑さんはこれまで何回もご自分の死を考えられる時間があったと
思います。寂しい夜もあったことでしょう。それを乗り越えて、主にある死を純粋に
祈ってこられたのだなと気がつきました。
突然の死は神様がそれに最善の方法で答えられた証だと思いました。
お一人で亡くなられたけれど、数え切れない天使の輪の中で、イエス様のみ腕に
抱かれて、あっという間に私たちの目の前から姿を隠してしまわれた緑さん。
「棺を覆いてこと定まる」無限に広がる大空の下で、
しみじみと古人の言葉を実感していました。有難う 緑さん。 ハレルヤ
tn
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