2007年9月30日日曜日

一緒に暮らしていると・・






我が家の、
黒い一人娘です。

留守番は
得意でも、 電話
に出ることはでき
ません。

でも、 私たちには できないことで 彼女にできることもあります。

一緒に暮らしていると、
お互いの違いがよくわかります。
・・・・で、
付き合い方も作り上げていくことができます。
毎日毎日の暮らしの中で、いろいろ学んだり考えたりできることが楽しいです。

安息日学校 教課「序言」から



今期の研究は、・・・・

・・・・私たちが罪の氾濫する世界にあって

遭遇する避けがたい苦しみを克服する方法を考えることにあります。


・・・・私たちクリスチャンはイエスとイエスの与えてくださる希望によって、

意味も目的もないかのように見えることの中に意味と目的を見いだすことが

できるということ、また「神を愛する者たち、つまり、ご計画にしたがって

召された者たちには、万事が益となるように共に働く」(ロマ8:28)という

約束に信頼することができるということです。

                             ギャビン・アンソニー牧師

2007年9月29日土曜日

愛の新しい観念


弟子たちは、キリストが彼らを愛されたように、
お互いを愛したことがなかった。

彼らは、キリストが人間のためにあらわそうとしておられる
愛の豊かさをまだ見ていなかった。

彼らは、キリストが彼らの罪のために、
十字架上でお亡くなりになるのを見なくてはならなかった。

彼の生涯とその死を通して、彼らは、新しい愛の観念を授けられるのであった。

「互いに愛し合いなさい」という戒めは、
キリストの自己犠牲の光において新しい意味を持つのであった。

カルバリーの十字架から輝く光の中に、彼らは
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」という
言葉の意味を読みとるのであった。

                        (Review and Herald 1910年6月30日)

2007年9月28日金曜日

過ち




過ちには
持ち主がいない。

手にした人が
持ち主だ。

だから
人の過ちも

吹聴してまわっていると
自分の過ちになる。

神の国


ようやく少しずつ秋めいて参りました。
実りの秋です。祝福を祈り求めましょう。
マザー・テレサに関する文章を読みました。
少し編集してお届けいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マザー・テレサは、神様の望まれることを、
神様のためにするのだから、自分の力のおよばないことは、
必ず神様がたすけてくださるとの揺るぎない確信をもっていました。

マザー・テレサが戦火のベイルートを訪ねたとき、40人の障害児たちが、
砲弾が飛び交う場所にまだ取り残されていることを知りました。

「何ということです。何がなんでも、あの子たちを救出します!」

そう言い出したマザー・テレサを地元の神父たちは、
必死に引きとめようとしました。
とても危険で近寄れない。
みすみす死ぬような場所に自動車を運転してくれる人などいない、
との理由からです。

ところが、マザー・テレサは頑として聞き入れませんでした。

「今まで一度だって命がけでなかったことはないのです。
そうでなければ、道は開けません。
それが神様の願われていることならば、必ず道は開けるのです。
どうか救出させてください」

関係者はその気迫に押されて、言いました。

「もしこの戦争が一時的にでも休戦状態になれば許可します。
しかし、そんなことはありえないでしょうが・・・・・」

(マザー)「いいえ、神におできにならないことはありません。必ず休戦します」


翌日、不思議にも突然の休戦宣言が下ろされました。


「神の国とは、
他人を救うためなら自分の命も惜しくないという人びとで構成されている国よ。
その国に入れる資格のある人は、神は助けてあげるの。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


明日の礼拝、この生ける神と出会い、
そしてこの神から愛と力をあふれるばかりに注いでいただきましょう。

ハッピー・サバス!!

                           SDA西日本教区長 島田真澄

2007年9月27日木曜日

心の窓を開けて





心の窓を開けて

天のお父さまに

どんなことでも

なんでも

願い求めたい

2007年9月26日水曜日

ペンテコステの味わい


キリストの汚れなきご品性を、
生活の基準として人々に伝えることが、
使徒たちの神聖な働きであった。

弟子たちは神聖の型であるお方とごく親密に交わっていたので、
彼らはある程度品性において彼に同化しており、
彼の教訓と模範を世に知らせるのに特に適していた。
           
                         (3SP 243、244)

2007年9月25日火曜日

霊的イスラエルへの教訓

エレミヤの3章を読んでもらいたい。

この章は、現代イスラエルに対する教訓である。

神の子と主張するすべての者は、
神が古代イスラエルと同じように彼らの罪を
甘やかされることのないことを理解しなさい。

神は悪への先天的、後天的傾向を憎まれる。

                 (Letter 34, 1899年)

おろし人参で

子どもが小さい頃

ニンジンをおろして
スクランブルエッグ、炒飯などに加え
よく 使っていました。

・・・・で、今日は・・・・

玉子 3個 溶いたものに
にんじん 大 1本(小なら2本)をおろして加え
塩コショウ(また、お好きな調味料で)


温めたフライパンに 油を少々

・・・今日は、青ねぎも加えましたが・・・
きざんだ玉ねぎ、その他 お好みでいろいろ入れて

いい加減になった頃 蓋をして

・・もう いいかな・・と思う頃に

適当なお皿にパッ!と フライパンをかえして

人数にあわせて切り分けてどうぞ!

2007年9月24日月曜日

あなたと・・








あなたと二人

横に並んで

座って

ゆっくり

いろんなこと

話したい

証の文から

 神はわたしたちに選択権をお与えになった。

わたしたちがしなければならないのは、
これを働かせることである。

人間は自分の心を変え、自分の思想、衝動、愛情を支配することはできない。

自分を純潔にし、神のみ業に適するものとすることはできない。

しかし、わたしたちは神に仕えることを選び、
自分の意思を神にささげることはできる。

そのとき、神はわたしたちの中に働き、
神がお喜びになるようにしたいという志を立てさせこれを行わせられる。

こうしてわたしたちの性質が、いっさいキリストの支配下におかれるようになる。

 意思を正しく働かすことにより人生を一変することができる。


              ・・・ ミニストリー・オブ・ヒーリング 150、151 ・・・

2007年9月22日土曜日

特別早朝断食祈祷会

大阪センター教会では、

今朝、2回目の「特別断食祈祷会」がありました。


朝食を断って集った17名が

8:45~9:15

心を合わせて祈りあいました。


病床にある愛する方々のために

教団・教区の先生方のために

教会で予定されている行事のために

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日、

彼はあわれみの座に立って、

その助けを求める人々の祈りを

神にささげておられる。

・・・・・(ミニストリーオブヒーリング61ページ)・・・・・

感謝します

2007年9月21日金曜日

7つの悪習慣




長い夏が続いておりますが、お元気ですか?
確実に秋が近づいています。
収穫の季節、献身を新たにしましょう!

最近みたインターネットに記事をご紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ベストセラーの「7つの習慣」をもじった反面教師的記事をご紹介。
「7 Habits of Highly Ineffective People」
(役に立たない人の7つの習慣)なる主張です。
たしかにこういう部下や同僚がいたらイラっと来てしまうかも・・・
と思う前にまずは自分がひっかかっていないかチェックですね・・・。
多少耳が痛いですが、
「仕事がデキル奴!」になるためのご参考に!

1.約束したのに来ない

  ドタキャンしていると「あいつはドタキャンする奴」という
  レッテルを貼られてしまいます。ウッディ・アレンも言って
  いるように「あなたが成功する  かどうかはあなたがちゃ
  んと来るかどうかにかかっている」のです。
  行けないようなら約束をするのはやめましょう。

2.1日の半分ぐらいぐずぐず過ごしている

  やらなくちゃなー、でもなー、とぐだぐだして1日の大半を
  過ごさないよう  にしましょう。一番大事な仕事をえいや
  っとやってしまうなり、やりたいことを小さく分解して取り
  掛かるようにしましょう。

3.仕事をしているが、それはちっとも重要なことではない

  ぐずぐずしているのと同様に陥りがちなのが「ちっとも重要
  でない仕事?に没頭する」です。自分の目標に照らし合わせ
  てその達成に向けて意味のある作業をしましょう。

4.考えすぎ

  考えてばっかりで行動を起こさなければ、結局何も成し遂げ
  たことにはなりません。

5.物事をやたらネガティブに捉える

  物事にはある程度ネガティブな面がありますが、それが100%
  ではない、と覚えておきましょう。では逆にポジティブな面は?
  と考えるとやる気が湧いてきます。

6.自分の考えにこだわりすぎる

  人の意見も聞きましょう。

7.情報のとりすぎでテンパリすぎ

  情報収集は大事ですが、情報のとりすぎはよくありません。
  適当に切り上げて仕事に移りましょう。


なかなか痛いところをついてきますね・・・
個人的にもあてはまってしまった項目がいくつか・・・。
意識してこうしたことがないようにしたいですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は備え日、良き安息日のご準備を!

そして明日は喜びと感謝にあふれる安息日を!!

ハッピー・サバス

                        SDA西日本教区長 島田真澄

「最後だと分かっていたなら」続報

先週お送りいたしました「最後だと分かっていたなら」ですが、
複数の牧師から出典が誤情報に基づいているとの指摘がありました。
早速インターネットで調べたところ以下のような記事に出会いました。

訂正し、お詫び申し上げます。            島田拝


『最後だとわかっていたなら』

2001年9月11日、アメリカで起きた同時多発テロ。
およそ3000人の犠牲者を弔う追悼集会や追悼番組で、
一遍の詩が朗読されました。
タイトルは、『最後だとわかっていたなら』・・・。
この詩には「911テロで亡くなった若い消防士が
生前に書き残した詩」という説明が付き、
チェーンメールで、世界中に広がっていきました。

7年間のアメリカ留学を終えて帰国した佐川睦(さがわむつみ)さんも、
留学時代の友だちからのメールで、この詩を知った一人です。
1993年の夏、佐川さんは最愛のお姉さんの(かおり)さんを失くしていました。

脳の細胞が徐々に機能を失う難病でした。お姉さんの婚約者は、
いつの間にか姿を消してしまったといいます。
お姉さんに「ああしてあげたかった」「こんなこともできたはず」
そんな気持ちを引きずっている佐川睦(さがわむつみ)さんの胸に、
この詩の言葉の一つ一つが染み込んで、涙が止まりませんでした。
「これを、日本語に訳してみたい!」
調べると、この詩の作者は(911テロで亡くなった消防士)ではなく、
「ノーマ コーネット マレック」という母親であることが分かりました。
溺れた子を助けようとして、自分も溺れ死んだ10歳の長男サムエル。
短すぎる人生を終えたわが子への気持ちを綴ったのが、
この詩『最後だとわかっていたなら』だったのです。
翻訳の許しを得る連絡がついた時、ノーマもまたガンで他界していました。
しかも彼女は、誤った情報と共に、自分の詩が伝えられていることに、
とても寛大だったといいます。本当に大切な人を失ったときの気持ちは、
みな同じであることを、ノーマは知っていたからでしょう。

ノーマ コーネット マレック・作 佐川 睦・訳
『最後だとわかっていたなら』

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても
わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でも もしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから


『最後だとわかっていたなら』は、きれいな写真入りの装丁で、
「サンクチュアリ出版」から発売されています。

第二号発行




まもなく、(一枚だけですが・・・)教会・集会所に届きます。
皆様にお読みいただけるよう願っています。

2007年9月20日木曜日

咲く


先日、講演をうかがった、渡辺和子シスターの訳。
原題は
『Where God has planted you,you must bloom』
だそうです。

「神が置いてくださったところで咲きなさい。
仕方がないと諦めてでなく『咲く』のです。

『咲く』ということは
自分が幸せに生き
他人も幸せにするということです。

『咲く』ということは周囲の人々に 
あなたの笑顔がわたしは幸せなのだということを
示して生きるということなのです。

“神が私をここに置いてくださった
それはすばらしいことでありありがたいことだ”
とあなたのすべてが語っていることなのです。

『咲く』ということは
他の人の求めに喜んで応じ
自分にとってありがたくない人にも決して嫌な顔
退屈気な態度を見せないで生きることなのです。」

                            けろこ

2007年9月19日水曜日

無限に広がる大空の下で


 
 安息日午後、萩野緑さんの納骨式が
教会から一時間ほど離れた山の頂にある教会墓地でありました。
独身だった緑さんでしたが、ご姉弟のほかに教会員、
お琴などの趣味の仲間など驚くほど多くの方が参列されました。

お墓に立てかけられた、自然の中で見るお写真の笑顔の上を
初秋の風が吹き抜けていきます。
5歳ぐらいの少女が、お父さんの手をぎゅっと握り、小さい声でしたが
話しかけていました。『緑さん、此処に眠っているのね』と、
確信を伝えるその言葉に胸打たれました。

教会で子育て中のピアニストなど、働き人の子供さんの子守をされていたときの
満ち足りた笑顔を思い出します。安心して緑さんの胸の中で眠っていた子供さん
たちが何人も何人もいました。

72歳の亡くなられる日まで、佇まいすべてに乱れがありませんでした。
髪の毛をきちっとアップにされ、人を非難する言葉や、大声を聞いたことが
ありませんでした。緑色の手提げには人を喜ばせようといつもちょっとしたお菓子
や、お土産の小物が入っていて、人々の間を歩き回り、配っておられたお姿を
思い出します。「おうどん」の時間には小さいしいたけの佃煮や、とろろ昆布など
を、少しはにかみながらそっと配膳台の上に置かれるのを何度も見たものです。

人に決して迷惑をかけることなく、いつも神様の御用をされていた緑さん、
お一人住まいの緑さんはこれまで何回もご自分の死を考えられる時間があったと
思います。寂しい夜もあったことでしょう。それを乗り越えて、主にある死を純粋に
祈ってこられたのだなと気がつきました。
突然の死は神様がそれに最善の方法で答えられた証だと思いました。
お一人で亡くなられたけれど、数え切れない天使の輪の中で、イエス様のみ腕に
抱かれて、あっという間に私たちの目の前から姿を隠してしまわれた緑さん。

「棺を覆いてこと定まる」無限に広がる大空の下で、
しみじみと古人の言葉を実感していました。有難う 緑さん。 ハレルヤ
                                           tn

2007年9月18日火曜日

「あなたになら言える秘密のこと」

 
 この場にそぐわないのではと 悩みましたが、
どうしてもご紹介したい 映画があり、投稿致します。

その前に、ご紹介したいと思った二つの理由を述べます。
一つには、いつも台所に貼っている、
今年の春の朝日新聞の文芸時評欄での、
よしもとばなな氏の著作「チエちゃんと私」についての書評です。

「…とてもうまくは伝えられそうにないが、人間が生きていると、
いろんなことがある。そのうちでも特に悲惨なことを、
人は自分の身に味わうことがある。そのことにどう対するか。
その場合に、正直であるとは、どういうことか。
…人生の中の一番悲惨なことにも添い寝しようという、
ほとんど宗教性と紙一重の覚悟…」。

もうひとつは、長男が東京衛生病院でヘルニア手術をした際、
たまたまぴったりと閉まったガラスの窓の横のベッドになりました。

そのうちに、カーテンから小さな手が出て、コンコン、と叩いて息子と会話の
ようなことをはじめ、顔もしらないその子と友だちになっていきました。

翌日、びったり閉ざされたドアから出てきた女の子は、はっと息を飲む様相で、
あとでアドラが支援しているコソボのベシアナちゃんであることを知りました。
でも、息子はその子の様相に全くおどろかなかったのです。

このふたつから、ぜひ、以下の映画をおすすめしたいと思います。
(レンタルに出たばかりですので)

「あなたになら言える秘密のこと」
(原題「THE SECRET LIFE OF WORDS」) 

 作品紹介 

http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail/tymv/id324289/  


http://yaplog.jp/tonton119/archive/285  


日本語タイトルは、内容からほど遠く、浮かれたところの全くない、
水の底に漂っているような作品でした。

 正直なところ、アドラの活動を知ったつもりでいても(献金をしても)、
世界のどこかでなにかが起きているとテレビで見ても、
それは空に浮かぶ雲をつかむようでした。

多少、ネタばれですが、これは、クロアチアとセルビアの民族浄化が
からむ物語で、先のよしもと氏の小説と違い、現実に起きたことを
リサーチし、インタビューして作られたものです。

 ちょうど、1年前の博多での3児を飲酒運転で無くした方の
第4子のお産の様子をニュースで拝見してどうどうと涙し、
録画していた阪神淡路大震災の孤児の方が、帝王切開で
お産したあと、「パパママにあいたい」と叫ばれた様子を拝見して
慟哭し、その後にこの映画を見ましたら、衝撃のあまり
立ち上がれませんでした。(更に腹痛も起きました)。

映像が汚いとか、扇情的であるとか、残酷であるわけではありません。
(E.G.ホワイトも描かれているように残酷すぎるものは毒があります)

最も残酷であるのは、人間であり、その傷と再生についてのお話でした。

人間によってつけられた傷を人間と共に癒していき、でも、
癒せない部分があり…その先に神様の介在があると信じます。

 十数年前、自分は何をしていたのか、同じ女性に何が起き、
私はそれを知らなかったのか、どれだけの子供たちが想像を
絶する苦しみを味わったのか、知った今、私は自分に何を問うのか、
自分の子供になにを望むのか、深く深く考えました。

そして、今も世界のどこかで、同じ現実がある、ということを
考えなくてはいけないということ。

連休の多いこの月におすすめしたいと思います。
(2007年度、ミニシアター系ベスト1の呼び声が高い映画です)


                             今治  けろちゃん 

じゃがいものスフレ


材料も分量も適当です。


今日は、じゃがいも2個をすりおろし。


たまご2個を加えて、
牛乳適量と塩こしょうも少々加えて
かき混ぜる。


お好みの(冷蔵庫にある残りなど・・)ものを入れる。

適当な大きさに切りそろえて



カップの内側にバターを塗り、

必要な個数に分け入れ、

トースターで、10分前後熱する。

上に焦げ目がついて、ふんわりしたら出来上がり。


今日は、4つに分けたので少しずつでした。

中にたくさん入れすぎて、

きれいにふんわりにならなかった。

〝あっ!・・チーズも入れたらよかったね~〟



・・・中身はお好みで、いろいろ入れてお試しください・・・

苦々しさの根

自分の気に入らないことを何か言われたりされたりしたから、
また自分に対する当然の配慮がなされなかったからといって、
つぶやいたり不満を言ったりすることに従事している
すべての人に、私は懇願する。

彼らは、サタンが天で始めたまさにその仕事を
進めているのだということを覚えて欲しいと。

彼らは、不信、不和、不忠実をまき散らすことによって、
サタンの足跡に従っているのである。

不満の感情をいだいたままそれを
自分だけのうちにとじ込める人は誰もいないからである。

彼は、自分が当然扱われるべきように扱われなかったことを
他の人に話さずにはいられない。

このようにして、彼らはつぶやきと不満へと導かれる。
これが、湧き上がる苦々しさの根であって、それによって多くの人々が汚される。

                        (Reviw and Herald 1897年9月14日)

2007年9月17日月曜日

幸福な親は
希望に満ちて子どもを育て

不幸な親は
後悔にまみれて子どもを育てる。

賢明な親は
子どもに信念を教え

愚かな親は
子どもに諦めを教える。

2007年9月15日土曜日

松江の上谷さんと 米子の入江さんを訪問

安息日の午後のプログラムが終了してから、役員会を兼ねて、
吉村さんの車で松江の上谷さん宅をお訪ねしました。

次の山陰女性の集いの候補地の隠岐の話や四方山話に花が咲き、
すっかり上谷さんのお宅で心身ともにリラックスさせていただきました。

上谷さんのご趣味は、木彫りでもうプロ級の腕前でいらっしゃいます。
少し写真でご紹介します。
“役員会”に参加したメンバーの写真もついでに・・・。





それから、米子の方に戻って今度は
入江さんのお宅に吉村さんと私はお邪魔させていただき、
その夜は泊めていただきました。

まるで、昔からのお友だちのようにうち溶けて
色んなお話をすることができました。

入江さんのご趣味はガーデニングです。それも、すばらしい広いお庭です!
写真でご紹介しますね。3枚目は日曜日に合流した3人も加わって・・・。

4枚目が入江さん、
最後が入江さんに連れて行ってもらった東郷湖です。
白鳥が3羽気持ちよさそうに泳いでいました。
湖の前でおいしいお弁当を楽しくいただきました。







私が今回の訪問を通して、感動したことは、
お二方とも素晴らしい趣味をただご自身の楽しみにされているのではなく、
場所を広く解放してすてきなおもてなしをされ、
ある時は求道者の方を救いに導くためにそれぞれの方法で伝道を
惜しみなくなさっているということでした。

また、お会いできる日を楽しみにしながら
上谷さん、入江さんとお別れしました。

この集いを通して与えられた収穫の一つは、
主にある交わりのこんなにも美しく楽しいものであるかを実感し、
それによって励ましをいっぱい
与えていただくことができたことです。

そして、これからもこのすばらしいお交わりが祝福されて、
『主のみ業』のために手を取り合っていく原動力と
なりますようにと切に願って止みません。

(報告 中国地区担当 品川)

2007年9月14日金曜日

「最後だとわかっていたなら」




少しずつ秋めいて参りました。
皆さまますます聖業にお励みのことと感謝申し上げます。

あの同時テロから早6年、時の経つのは早いものです。
今日は、その同時テロで1機目が激突後、救助の為、
最初にビル内に突入した数百人のレスキュー隊の内の一人で、
行方不明となった消防士(29)が生前に書いていたと言われる詩をご紹介します。


「最後だとわかっていたなら」

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

確かに いつも明日は やってくる
見過ごしたことも取り返せる
やりまちがったことも
やり直す機会が いつでも与えられている

「あなたを愛している」と言うことは
いつだってできるし
「何か手伝おうか?」と声をかけることも
いつだってできる

でも もし それがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「ゆるしてね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

伝道の働きは終末的な働きだと言われます。
確かに今日という機会は、二度とは帰ってきません。
父なる神の愛に触れて、今日もひとりでも多くの人に
永遠の福音「イエス・キリスト」を伝えていきましょう。

明日の安息日、この安息日も二度とない安息日です。
心を込めて主を礼拝しましょう。

ハッピー・サバス!

                          SDA西日本教区長 島田真澄

2007年9月13日木曜日

教団女性部弟子づくりセミナー

< 画像の上でクリックすると大きくなります>




2007年9月11日火曜日

ホワイト選集から



気落ちしている者に対して、信頼できる救済策がある。

それは信仰と祈りと行いである。

信仰と活動は、日毎に増大する確信と満足とを与える。

あなたは不吉な予感に恐れを感じ、

失望落胆に陥ろうとしているであろうか。

一見絶望的で、最悪の事態にあっても恐れてはならない。

神を信じよう。

神はあなたの必要を知っておられる。

---国と指導者 上 133---

2007年9月10日月曜日

霊と肉との狭間で

 
 新しい命、新しい心、「永遠の命」をいただいても、
依然として、昔の心、罪の心、聖書でいわれている
「肉」が残されています。
その「肉」が「永遠の命」の新しい動機を妨害します。

「肉」が原因で、私たちは、「永遠の命」から生まれた新しい動機や
願いを、自由に実現できないことがあります。
相変わらず、罪を犯すことがあります。
だからといって、「永遠の命」が与えられていないわけではありません。

 使徒パウロはそのことについて、次のように表現しています。

「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。
もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、
もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

 それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっていると
いう法則に気づきます。『内なる人』としては神の律法を喜んでいますが、
わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、
五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。

 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、
だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。
このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では
罪の法則に仕えているのです」(ローマ7:19-25)。

 確かに私たちの中には罪の法則が残っています。
しかし善を望んでいることじたい、「永遠の命」が与えられている証拠です。
律法を喜んでいることじたい、「永遠の命」が与えられている証拠です。

 私たちのすべきことは、「肉」が残されていることを嘆くよりも、既に
与えられている「永遠の命」をイエス・キリストによって、養い育ててもらう
ことだと思います。

 そのために、日ごとの悔い改めは、大変有効です。
日々、自分の罪を探っては、そのためにイエス様が十字架につかれて
その罪を負ってくださったことを確認するとき、「多く赦された者は、多く
愛します」(ルカ7:42、43参照)。

 日ごとに、自分の罪のために十字架にかけられたイエス様を仰ぐなら、
私たちは多く赦され、多くイエス様を愛するようになります。多く赦された者は
イエス様が大好きになります。

 イエス様のために生きるようになります。イエス様の願いを自分の願いに
するようになります。しかし、だからといって、あえて罪を犯すことは愚かです。

 使徒パウロは言います。

「では、どういうことになるのか。 恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべき
だろうか。決してそうではない。 罪に対して死んだわたしたちが、どうして、
なおも罪の中に生きることが できるでしょう。・・・わたしたちは洗礼によって
キリストと共に葬られ、その死に あずかるものとなりました。それは、キリストが
御父の栄光によって死者の中 から復活させられたように、わたしたちも新しい
命に生きるためなのです」 (ローマ6:1、2、4)。

 私たちが赦されているのは、罪に留まるためではなくて、新しい命に生きる
ためです。イエス様が私たちの罪を負って、全ての罪を贖ってくださったのは、
私たちが「肉」に生きるためではありません。新しい命に生きるためです。

「それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たさ
れるためでした。肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って
歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と
平和であります」(ローマ8:4、6)。

 私たちが新しい命「永遠の命」を大切にして生きる理由、それはイエス様の
十字架の意味と役割を理解するとき、その理由はさらに深まります。

                        SDA大阪センター教会牧師 藤田昌孝

2007年9月9日日曜日

教会大掃除


大阪センター教会では、

9月9日(日)9時~2時まで、「教会大掃除」でした。

22名が集まり、日頃できない所の掃除をしました。

〝参加して、一緒に教会をきれいにしたいけど・・〟
仕事や、体調がすぐれなかったり、都合がつかなくて
参加できなかった人は残念だったことでしょう。

でも、きっと

事故なく無事に大掃除が終わることを
祈っていて下さったことと思います。

おかげで、大丈夫でした!

各部屋も外回りもすっきりきれいになりました。

〝たくさんのゴミが出ましたね~〟

私の心の中にも・・不要なものが
きっとたくさんありますね。
日ごとに、こまめにお掃除、お掃除!

〝その日の汚れ、その日のうちに・・〟

2007年9月8日土曜日

ひまわりさんの簡単レシピ


ビビンバ

〈材料4人分〉

★米 2カップ
★ぜんまい 1袋 130g位
★ホーレンソウ 1束
★もやし 1袋
★大根・人参の甘酸 漬け
★生姜の甘酢漬け 寿司用の生姜
★コチュジャン
★刻み海苔
★ごま油
★塩
★市販のキムチ




〈作り方〉

ホーレンソウ・もやしはさっと茹で、
それぞれ 塩(小さじ1/2)・ごま油(小さじ1)で味付け。

ぜんまいはごま油(小さじ2)で炒め、塩(小さじ半分)で味付け。

大根・人参は、ご家庭の味付けで甘酢漬けをどうぞ。
生姜の甘酢漬けは千切り。


写真のように盛り付ける。

食べる時、好みで市販のキムチとコチュジャンをいれ、
よく混ぜて食べる。

★好みで目玉焼きをトッピングにどうぞ。

2007年9月6日木曜日

西日本の皆様へ


異常な暑さの夏でしたが、皆様お変わりありませんでしょうか。
私も何とか生き延びることが出来て感謝です。 

先日、山陰地区の女性の集いで、
米子教会を訪問させていただきました。

明るく広々とした、とてもセンスあふれる素敵な教会で、
30年ほど前に大阪センターで知り合った方々や、
三育でお世話になった方々に再会できて、感無量でした。

皆さんお変わりなかったのがうれしく、
静子さん変わってないわア、と言われたのがもっとうれしかったです。 

山陰地区はじめての女性の集いでしたが、とてもよく準備されて、
安息日学校も礼拝も、女性たちの奉仕の中で霊的な祝福を豊かにいただけた、
恵まれた時を持つことが出来ました。 

お昼もあふれるほどの食事が用意され、
多くの女性たちがかいがいしく立ち働いておられるのを頼もしく感じました。 

やはり、教会の大きな力は女性だとつくづく思います。

力を合わせたらこんなに素晴らしいご馳走をふるまえるように、私たちが、
みんなでいっしょに神様のために立ち上がったら、どんなにあふれるほどの
霊肉とものご馳走を人々にふるまえることでしょう。
こうなったら、すごいことですね。

その日を夢見ながら、主のために今自分が出来ることをしていきたいと思います。

この秋に、西では色々な地区で集いが開かれますね。
ぜひご出席ください。きっと新しい力をもらうことが出来ると思います。

この次は京都でお目にかかれるかもしれません。
お会いできるのを楽しみにしております。

山陰地区の皆様方、本当にありがとうございました。
主がこれからも豊かに祝福くださいますように!!
                                     女性部 池増静子

2007年9月5日水曜日

よろしくお願いいたします


少しずつ秋めいて参りました。

夏休み中にお願いいたしました、『おかんメニューの本』
いよいよ編集作業に入りました。

楽しい珍しい素敵なメニューが集まってきています。

9月半ばを締め切りのめどにしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

ご質問ご連絡は今治教会、張田まで

よろしくお願いいたします。