[ローマ5:12-19]
使徒は、
アダムの不服従と
キリストの十分で完全な服従とを対照させている。
キリストの服従が我々にとってどんな意味を持つのかを考えてみよ。
それは、彼の力によって我々もまた服従できるという意味である。
キリストは人間であられた。
彼はご自分の人性のあらゆる力をもって天の父に仕えられた。
彼は、一度に人と神の二つの性質を持っておられる。
彼は神であり人である。
キリストは、
神は何がおできになるか、
また我々が神と協力して何ができるかを、
我々に示すためにこの世界においでになった。
彼は人間の肉において敵に試みられるために荒野へ行った。
彼は、飢え渇くということが何かを知っておられる。
彼は肉の弱さと欠陥を知っておられる。
彼はすべての点で我々が試みられるのと同じように試みられた。
我々の身代金は、救い主によって支払われた。
誰一人としてサタンの奴隷にされる必要はない。
キリストは、天が与えた我々の模範、我々のための力、
全能なる助け手として我々の前に立たれる。
我々は計算することができないほどの価で買い取られたのである。
誰が、いつくしみと恵みにあふれる贖いの愛を測ることができるだろうか。
Manuscript 76. 1903年
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