2008年10月8日水曜日

我々自身に当てはまる教訓



キリストは、
すべての事において我々の模範であられた。

我々のために食欲の誘惑を克服するため、
荒野での長い試みと断食を忍ばれたキリストの屈辱を見て、
我々が誘惑されるときに、
この教訓を覚えておくべきである。

もし食欲の力が人類家族にとって強力で、
それにふけることがどんなに恐ろしいことであり、
神のみ子自らがそのような試みに遭われたとすれば、
我々が食欲を理性の支配下に置くことがどんなに重要なことであろうか。

我々の救い主は六週間近くも断食なさった。

それは彼が食欲の点で、
人間のために勝利を得るためであった。

啓発された良心を持つクリスチャンは、
キリストが前もって模範となられたのに、
知性と精神を弱める影響のあるこれらの食欲に
どうして屈服してよいだろうか。

健康を損ね、
道徳力を弱めてまで追い求める自己満足の習癖が、
現在大部分のキリスト教世界を奴隷のかせで
縛っているという事実は痛々しいものである。

信心深いふりをする多くの者は、
キリストが荒野で長い期間断食と苦しみを忍ばれた理由を探求しない。

キリストの苦痛は、
飢えの苦痛に耐えることからのものというより、
食欲と情欲が人類にもたらした恐るべき結果を
感じることからきたものであった。

食欲が人間の偶像となり、
人に神を忘れるよう仕向け、
救いの道に立ちはだかるであろうことを彼はご存じであった。

                    Review and Herald 1874年 9月 1日


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