
神は自然界の中で絶えず働いておれらる。
自然は、
神がよしとされるように監督されている神の僕である。
自然の営みは、
意のままにすべてのみわざの中で働かれるお方の
知的存在と活動を証している。
年々地球が惜しみなく物を産出し、
世界が太陽の周りを絶えず行進し続けているのは、
自然の中に本来備わっている元々の力によるのではない。
無限の力の御手が絶えず働いてこの惑星を導いておられる。
地球の回転において位置を保っているのは
一瞬一瞬働いておられる神の力である。
天の神は絶えず働いておられる。
植物が茂り、葉が現れ、花が咲くのは、神の力によるのである。
脈を打ち、呼吸を続けることは、
いったん仕掛けられた動きがその仕事を続けているというような
機会作用の結果ではない。
神のうちに我々は生き、動き、存在を保っている。
すべての呼吸、すべての心臓の鼓動は、
常にそこにある神の力の絶えざる証拠である。
神は天空に太陽を昇らせ、
天の窓を開いて雨を降らせ、山々に草を生えさせる。
「主は雪を羊の毛のように降らせ、霜を灰のようにまかれる」。
「彼が声を出されると、天に多くの水のざわめきがあり、
・・・彼は雨のために、いなびかりをおこし、その倉から風を取り出される」。
神はご自分が創造されたものを神のしもべとして絶えず用い、
これを支えておられるが、
また自然の法則を通して働かれ、
それをご自分の手段としてお用いになる。
キリストは言われた、
「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」
ヨハネ5:17
Manuscript 4. 1882年
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