2008年10月10日金曜日

絶対に 絶対に 絶対に あきらめない!



天高く・・・・秋がやって参りました。
講演会のシーズンでもあります。
お元気に聖業にお励みのことと思います。
今日はちょっと長めですが、島田洋七さん(親戚ではありません)の
ちょっといい話を、某メルマガから借用編集してお届けします。

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島田洋七さんはかつてB&Bの漫才コンビで大ヒットを飛ばした売れっ子漫才師。

しかし、漫才ブームも過ぎ去り、洋七さんは仕事がなくなってしまいます。
レギュラー番組はなくなり、
ぽつぽつとゲストで人の話を聞く立場になっていきました。
自分が話すことで成り立っていた漫才師。

「俺は話すことが大好き。
話してなんぼの世界に生きてきた。
聞く方に回ってしまっては全然自分らしくない・・・・」

洋七さんはせっかくの数少ない番組依頼を断ってしまうのです。
「こんなの自分じゃない!」・・・・この一心で。

まったく仕事がなくなってしまった洋七さんを支えたのは、漫才師仲間。
島田紳助さんは留守電に「早く戻ってリングでわしと勝負せい!」と
毎日、洋七さんに毒舌を吐きました。
それでもなにも言ってこない洋七さんに
「なんで何も言ってこんのや! それでいいんか・・・」と
泣きながら訴えたそうです。
愛ゆえの毒舌だったのです。
洋七さんも受話器を持ちながら泣いたそうです。

北野武さんは「一緒に漫才を組もうよ」と洋七さんを誘います。
自分のレギュラーの深夜番組に洋七さんと武さんでB&BEATという名前で
漫才をやるんです。
洋七さんいわく
「やぁ~~~。楽しかったなぁ。あ~~わしはこんなに漫才が好きなんや」
仲間がいて乗り越えられたそうです。

そして洋七さんは考えました。

自分の好きな話すこと。
どうすれば話を仕事にできるか?
ここで講演会をやることになります。

もともと話すことは大好き。
今までやってきた漫才師の語りは衰えていませんでした。
講演会で自分の好きな話がどんどんできる!!!!
年間300講演行うまでになりました。

講演会をしていくうちに必ずウケる話があることに気付きました。

「この話をするとどの会場でもドッカーーン♪ 必ずウケるんですわ!」

その話はそう・・・貧乏だった時、おばあちゃんと暮らした時代の話。

「そーや。そんな時代もあった」
「なつかしいなぁ」
会場で口々に歓声が湧き、と同時にみんなの笑い声が聞こえるのです。

この話や!!!!!!

洋七さんはこの貧乏だった時の話を本にしようと決心します。
貧乏時代おばあちゃんと過ごした話を書きあげ、出版社にもっていきます。

すると、思いもよらない展開が待っていました。

なんと・・・「こんな地味な話じゃ本にできない」と
出版社にことごとく断られてしまうのです。
その数、なんと43社!!!!!!
43社すべて断られてしまうのです。

「ショックじゃなかったですか?」の問いに

「出版社がどれだけあるか知ってますか? 4000あるんです。
お笑いやって講演会で必ず感動するお話が本でウケないわけないわな。
あきらめへんで・・・・って気持ちでした」

洋七さんは募金箱を作って自費出版するんです。
それが噂が噂を呼んで、大手出版社からとうとう依頼がきたのです。

タイトル・・・「がばいばあちゃん」
映画、本、累計1000万部の売り上げだそうです。

絶対に 絶対に 絶対に あきらめない!

1000万部の影には、そんな一心があったんですね。
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一つの道が閉ざされても、必ず別の道があるはず・・・・
一つの扉が閉ざされても、必ず別の扉が開くはず。
だから、絶対にあきらめない。

Never never never give up in Christ!!

明日の安息日すべての礼拝が豊かに祝福されますように!

                                   SDA西日本教区
                                   教区長:島田真澄 


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