2008年10月31日金曜日

ハッピー・サバス!


贖いと報復

画像の上でクリックし、大きく開いてお読みください。


2008年10月30日木曜日

手作りしますか?


クリスマスカードや年賀状は、
「パソコンで作ろう!」と思っている方、
チェックしてみてはいかがでしょうか・・

「テンプレートBANK」


「Gold会員」は有料ですが、
「Free会員」は無料です。

気に入ったの(いつか・・使えそう)があれば、
ダウンロードして「マイピクチャ」に保存しておきましょう。

右上のノートと色鉛筆(?)とクローバーの絵も
そこから(無料で)いただいたものです。


2008年10月29日水曜日

はたきとアイロン




はたきはほこりを払うけれど
ほこりをたてもし

アイロンは皺を伸ばすけれど
皺を作りもする。

憎しみが
関心を失わせながら
関心を呼び起こすように

別れは愛を壊しもすれば
愛を育みもする。


2008年10月28日火曜日

キリストが律法の輝き


モーセの顔に輝いた栄光は、
律法の内にあるキリストの義の反映であった。

律法自体は栄光を持たず、
ただその中にキリストが具体化されている。

それは救う力を持たない。

ただその中にキリストが
義と真実に満ちているお方として描かれるときにのみ、
それは輝きを放つのである。

         Review and Herald 1902年 4月 22日



2008年10月27日月曜日

便利な「Windows」キー




窓のロゴが付いたキー
(旗がひらめいているようにも見える)が、
キーボードの下方にあります。

ウインドウズキーと呼ばれます。

アルファベットキーと組み合わせて押す
と、いろんなことが簡単にできます。

活用しているという人は
そんなに多くないそうですが、
使ってみると、ちょっと便利です。

[Windows]キーを押しながら[D]キーを押すと、
開いているウインドウを全部、一気に最小化して
デスクトップ画面全体を表示してくれる。
   ↓
もう一度押すと、表示前に戻る・・・・というのは
以前にも書いたと思います。

その他に、

[Windows]+[E] エクスプローラ起動

[Windows]+[F] ファイルを検索

[Windows]+[L] 画面をロック

[Windows]+[M] 全ウインドウを最小化

[Windows]+[R] ファイルを指定して実行

[Windows]+[Pause] 「システム」のプロパティを表示


・・・・試してみて、
〝これは、便利!〟というのがあれば、使ってくださいね~


2008年10月26日日曜日

カインは疑いと狂気で満たされた



サタンは不信とつぶやき、
また反逆の父である。

彼は罪のない兄弟に対する、
また神に対する疑いと狂気で満たされた。

なぜなら彼の犠牲は断られ、
アベルは受け入れられたからであった。

そして正気を失った彼は、
兄弟を殺した。

  Review and Herald 1874年 3月 3日


[創 4:15] カインの烙印

神はすべての人にそれぞれの働きを与えた。

そしてもし誰でも神が彼に与えた働きからそれて、
サタンの働きに加わり、
彼自身の体を汚すか、
別の人を罪に導くならば、
その人の働きは呪われ、
カインの烙印が彼の上に置かれる。

アベルの血が叫んだように、
彼の犠牲者の滅びの血が叫ぶであろう。

       Review and Herald 1894年 3月 6日


牧師であれ信徒であれ、
誰であっても、
他のいかなる人の理性をも強要、
あるいは支配しようとする者は、
サタンの手下となって彼の働きをする。

そして天においては、
カインの烙印を帯びた者とみなされるのである。

              Manuscript 29, 1911年




2008年10月24日金曜日

不眠対策

画像の上でクリックし、大きく開いてからお読みください。


一歩踏み出す


雨の羽田空港からの発信です。
今日も某メルマガから編集借用してお送りいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、幸せクイズの時間です。

「黒色の反対ってなんだ?」
「そんなの白色に決まってるでしょ」。

しかし、こう答える人もいるのです。

「無色」

「愛の反対ってなんだ?」
「そんなの憎しみでしょ」

しかし、こう答える人もいるのです。

「無関心」

いったい何が違うのでしょうか?
たとえば、黒色と白色は一見反対に見えますが、
「どちらも色がついている」という点では、「同じ種類のもの」といえます。

「愛と憎しみ」も一見反対に見えますが、
「どちらも関心がある」という点でいけば、「同じもの」といえます。

結局、自分がどこに線を引いて分けるか、で、考え方の自由度が決まるのです。

私たちの日常には、一見反対で、実は同じとも言えるものがたくさん存在していま
す。そのとき不幸にしか見えなかったことが、時が経ち、かけがえのないものにな
るように。

それでは、あなたに質問です。

「成功の反対ってなんだ?」


そうです。

「何もしない」です。

成功と失敗は、
1歩を踏み出すという点において、結局同じものなのです。

ですから、

「成功も失敗もする人」



「成功も失敗もしない人」

・・・・がいるだけ。


あなたはどちらを選びますか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「何とかしなければならない」時がやってきました。
ともに一歩踏み出して行きましょう!

明日の安息日が豊かに祝福されますように!!

                              SDA西日本教区
                              教区長:島田真澄 


おりがみくらぶJapan



「おりがみくらぶJapan」のご紹介です。

B5/A4サイズでプリントアウトできます。




( ↑ バナーではなく、アドレス部分 ↑ をクリックしてね)

アニメを見ながら折ることもできます。

よかったら、チェックしてみてください。

牧師室便り(山口)

画像の上でクリックし、大きく開いてからお読みください。

2008年10月23日木曜日

世俗的な安心感というゆりかご



[ルカ17:28-30(創19:24,25)]

平野の都に最後の太陽が昇ると、
人々はまたも神をも恐れぬ
放蕩のうちに日を過ごそうと考えた。

皆熱心に商売か快楽の計画を立てており、
神の使者は、
彼が持っていた恐れと、
彼が発した警告のために嘲笑された。

突然、
青天のへきれきのごとく、
運命の都市に火の玉が降りかかった。

人の子の到来もそのようであろう。

神の怒りが憐れみを混ぜないで降り注ぐ時まで、
人々は飲み食いし、
植え、建て、めとり、とつぎなどしているであろう。

世界は世俗的な安心感というゆりかごの中で揺られ、
眠っているであろう。

・・・・大勢の者たちが懸命に神を忘れようとしていて、
熱心に作り話を受け入れる。

邪魔されることなく放縦の道を追い求めるためである。

        Review and Herald 1886年 10月 26日


2008年10月22日水曜日

わかっていたら




夢のなかで夢だとわかっていたら
人を憎んだり
愛したりしないのに。

手に入れたといって喜んだり
失ったといって悲しんだりも
しないのに。

そして笑おうが泣こうが
「これは夢だ」と
すぐさま忘れてしまうのに。

一生も一夜の夢だと
わかっていたら
苦しみも悲しみも
消え去ってしまうのに。


2008年10月21日火曜日

キリストの貧しさは彼の大きな犠牲の一部




[コリントⅡ 8:9]

使徒は、
キリストの模範についてよく考えるように、
と彼らに呼びかけた。

天の司令官は、
人の内に神の道徳的みかたちを回復し、
堕落した人類に寄り添って立つことができるよう、
卑しく貧しい生活をご自分に課せられた。

主イエスは、進んで貧しくなられた。

ご自分が身を低くして十字架で死ぬことを通して、
我々のための身代金を支払うことができるように
するためであった。

富んでいても貧しくても、我々は、
キリストの貧しさは、
彼が人間であったことの遺産の一部であることを
忘れてはならない。

あがないを成り立たせていたのは、
園での裏切りや十字架での苦悩だけではなかった。

彼のへりくだりの一部を形作っていた彼の貧しさが、
彼の大きな犠牲に含まれていた。

人類を取り巻く一連の悲しみのすべてを、
キリストはその神聖な魂の上に負われたのであった。

                Manuscript 12. 1900年


2008年10月20日月曜日

(私のように)英語が得意でない方に


またまた「IME」の
ちょっと嬉しいワザのご紹介です。

IME 2002/2003/2007では、
カタカナ表記から英単語を導く
辞書が用意されています。

「IME 2007」なら、プロパティにある
「カタカナ英語辞書」の項目にある「一般」にチェックをつけるだけ。

これで英単語のつづりも簡単に変換できます。

たとえば、「ミシシッピ」と入力すれば「Mississippi」へ変換できます。

〝すご~い!〟と思いません?
私は・・そう思ったんですが・・・・


2008年10月19日日曜日

信仰と感情は別




信仰と感情は
東と西のように離れたものである。

信仰は感情に依存しない。

我々は、
感じても感じなくても信仰を持って熱心に神に叫び、
それから自分が祈ったように生きねばならない。

我々の保障と確証は神の言葉であり、
我々は祈った後、
疑わずに信じるべきである。

私はあなたをほめたたえます。

ああ、神よ、
私はあなたをほめたたえます。

あなたはみ言葉を行うに当たり、
私を裏切ったことはありませんでした。

あなたはご自身を私に示して下さいました。

私はあなたのものなので、
あなたのみ心を行います。

                  Letter 7. 1892年

2008年10月18日土曜日

毎日の誘惑が祈りを欠かせないものにする



神への祈りを通して
人は大きな力を得ます。

その力は、
思慮深さと慎重さを訓練したり、
育てるための個人の努力と結合します。

そして、
人は日常の義務を尽くす備えができるようになり、
また、
どのような状況下におかれ、
いかなる試練の苛酷さに遭遇しようとも、
心を平静に保つことができます。

毎日、
誘惑の危険にさらされている現実の中にあって、
祈りはわたしたちの生活に不可欠なものとなります。

わたしたちが信仰を通して神の力によって守っていただくためには、
たえず天来の助け、光、知識、思慮を求めて心を注ぎだした、
真剣な無言の祈りが天の御座にささげられなければなりません。

しかし、
祈りと瞑想が熱心な働きの代わりとなることはできません。

働きと祈り-----両者は共にクリスチャン品性の完成には欠かせません。

                  
                      『教会への証』 第四巻 459ページ


2008年10月17日金曜日

チプコ




神様の招き



Windows高速化テクニック


ご連絡をいただきましたので、
「Windows高速化テクニック」について。

いくつかありますが、まずは
「キーボード、マウス」

キーボードには、
キーリピートといって、
キーを押し続けると同じ文字を
繰り返し入力する機能があります。

リピートキーの設定は、
「コントロールパネル」→「キーボード」
→「速度」タブ

「表示までの待ち時間」
(キーを押した後でキーリピートが始まるまでの時間)
「表示の間隔」
(キーリピートの速さのこと)

どちらもスライダーを右側にするほど高速になります。

(スライダーを動かした後、
その下にあるボックス内にカーソルを移動して
文字入力を試して、適切かどうかを確認してくださいね)

次にマウス

「コントロールパネル」→「マウス」

「ポインタオプション」タブ→「速度」の
スライダーを右側にずらせば、
マウスの動きが機敏になるので試してみてください。


2008年10月16日木曜日

便利な「IME」を使いましょう




読み方の分からない難しい漢字に
出会ったら、漢和辞典を引きますか?

そんな時は、
IME」を使ってみてください。

漢字を「メモ帳」などに
「コピー」→「ペースト」(貼り付け)して、
右クリック→「再変換」すれば
読み方を教えてくれます。

《「メモ帳」は、スタート→すべてのプログラム→アクセサリ→メモ帳》

・・・・・・・・・・・・・・・

もうひとつ、便利なのをご紹介します。

IME 2002/2003/2007のIMEパッドです。

紙に書いてある難しい漢字・・入力することができませんよね。
そんなときは、IMEの部首変換機能を使います。

「メモ帳」で、へんやつくりの名前(たとえば「きへん」)と入力し、
「F5」キーを押します。

すると、へんやつくりを含む漢字(例でいえば「木」)を
表示した状態で、IMEパッドが起動します。

そこで、手書きもできるし・・

〝私は、初めて知ったとき(使ったとき)感激でした!〟

2008年10月15日水曜日

神との協力の中にある力



[ローマ5:12-19]

使徒は、
アダムの不服従と
キリストの十分で完全な服従とを対照させている。

キリストの服従が我々にとってどんな意味を持つのかを考えてみよ。

それは、彼の力によって我々もまた服従できるという意味である。

キリストは人間であられた。
彼はご自分の人性のあらゆる力をもって天の父に仕えられた。

彼は、一度に人と神の二つの性質を持っておられる。
彼は神であり人である。

キリストは、
神は何がおできになるか、
また我々が神と協力して何ができるかを、
我々に示すためにこの世界においでになった。

彼は人間の肉において敵に試みられるために荒野へ行った。

彼は、飢え渇くということが何かを知っておられる。

彼は肉の弱さと欠陥を知っておられる。

彼はすべての点で我々が試みられるのと同じように試みられた。

我々の身代金は、救い主によって支払われた。
誰一人としてサタンの奴隷にされる必要はない。

キリストは、天が与えた我々の模範、我々のための力、
全能なる助け手として我々の前に立たれる。

我々は計算することができないほどの価で買い取られたのである。

誰が、いつくしみと恵みにあふれる贖いの愛を測ることができるだろうか。

                             Manuscript 76. 1903年


信仰の単純さと力



信仰は、
その働きにおいて単純であり、
その結果において力強い。

多くの自称クリスチャンが、
自分は聖なるみ言葉についての知識があり、
その真理を信じていると言うが、
彼らはイエスの宗教に欠くことのできない
子供のような信頼を抱くことに失敗する。

彼らは、
魂に癒しという効力をもたらす特別の接触をしていない。

       Redemption: The Miracles of Christ. p.97


2008年10月14日火曜日

ファイルの名前を変えるとき



フォルダーやファイルの
名前を変えたいとき、
どうしていますか?

右クリックで「名前の変更」を選びます?

それとも名前の部分に合わせたカーソル
を、ちょっとずらします?

もっと簡単な方法があります。

アイコンにカーソルを合わせて(選んで)、
「F2」キーを押します。

・・・・すぐに変更可能な状態になるでしょ!

私は、この方法を使っています。
ちょっとしたことですが・・


2008年10月13日月曜日

自然は静かな宣教者として働く


物質世界は神の支配下にある。

すべてを治める法則に、自然は従っている。

あらゆるものが創造主のみこころを語り行う。

雲、雨、露、日光、夕立、風、嵐、
すべてが神の監督下にあり、
それらをお用いになるお方に絶対の服従をしている。

小さな草の芽は地を突き抜けて萌えいで、
最初に葉、それから穂、それから穂の中に豊かな実ができる。

主はこれらの忠実なしもべを、
ご自分のみこころを行うためにお用いになる。

やがて梨、桃、あるいはリンゴになる果実は、
最初つぼみの中に見える。

主が働かれるのに抵抗しないので、
主がそれらを時期にかなって発達させられる。

それらは神の配置命令に反対しない。

自然界に見られる神の働きは、
半分も理解されず、評価されていない。

これらの静かな宣教者たちは、
もし人間が、注意深く聞く者でありさえすれば、
その教訓を語るであろう。

                         Letter 131. 1897年



2008年10月12日日曜日

便利な「メモ帳」



Windows標準のエディターソフト
「メモ帳」。


使っていますか?

「スタート」
  ↓
「すべてのプログラム」
  ↓
「アクセサリ」
  ↓
「メモ帳」ですが、

この「メモ帳」には、おもしろい機能が用意されています。

起動したら、「F5」キーを押してみてください。

押した瞬間の日時が、カーソル位置に挿入されます。

記録を残したいときメモ帳は意外に役立ちますよ。


2008年10月11日土曜日

郷本町ちっちゃいものくらぶ

10月11日(土) 午後2時から
立川の柴田先生をお迎えして,東京からのお土産付き
「郷本町ちっちゃいものくらぶ」がはじまりました! 


先生のお話とクイズ、そして、


でっかい聖書かるた大会で、激しくもりあがってから、
さらに激しさを増す、手作りパフェ大会です。


カップに入れたバニラアイスに、チョコや、クッキーや、
ポッキーやウエハースなどをトッピングします。


簡単だけど、とっても楽しいし、子供の盛り上がりは最高でした! 


もともとは、 VBSの際のイベントに、
佐世保の広田先生奥様から、教えていただいたパフェ大会なのですが、
アイスにがんがんトッピングする大トッピング大会といった感じかも。

とても楽しかったです! 

お話、クイズ、かるたの審判、などなど大活躍の柴田先生に感謝です~!


パフェ大会の写真がたくさんあります~→http://yaplog.jp/ten-hashi

えひめ・いまばり・はりたゆうこ

「天使のはしご(教会のまいにち)」

2008年10月10日金曜日

絶対に 絶対に 絶対に あきらめない!



天高く・・・・秋がやって参りました。
講演会のシーズンでもあります。
お元気に聖業にお励みのことと思います。
今日はちょっと長めですが、島田洋七さん(親戚ではありません)の
ちょっといい話を、某メルマガから借用編集してお届けします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
島田洋七さんはかつてB&Bの漫才コンビで大ヒットを飛ばした売れっ子漫才師。

しかし、漫才ブームも過ぎ去り、洋七さんは仕事がなくなってしまいます。
レギュラー番組はなくなり、
ぽつぽつとゲストで人の話を聞く立場になっていきました。
自分が話すことで成り立っていた漫才師。

「俺は話すことが大好き。
話してなんぼの世界に生きてきた。
聞く方に回ってしまっては全然自分らしくない・・・・」

洋七さんはせっかくの数少ない番組依頼を断ってしまうのです。
「こんなの自分じゃない!」・・・・この一心で。

まったく仕事がなくなってしまった洋七さんを支えたのは、漫才師仲間。
島田紳助さんは留守電に「早く戻ってリングでわしと勝負せい!」と
毎日、洋七さんに毒舌を吐きました。
それでもなにも言ってこない洋七さんに
「なんで何も言ってこんのや! それでいいんか・・・」と
泣きながら訴えたそうです。
愛ゆえの毒舌だったのです。
洋七さんも受話器を持ちながら泣いたそうです。

北野武さんは「一緒に漫才を組もうよ」と洋七さんを誘います。
自分のレギュラーの深夜番組に洋七さんと武さんでB&BEATという名前で
漫才をやるんです。
洋七さんいわく
「やぁ~~~。楽しかったなぁ。あ~~わしはこんなに漫才が好きなんや」
仲間がいて乗り越えられたそうです。

そして洋七さんは考えました。

自分の好きな話すこと。
どうすれば話を仕事にできるか?
ここで講演会をやることになります。

もともと話すことは大好き。
今までやってきた漫才師の語りは衰えていませんでした。
講演会で自分の好きな話がどんどんできる!!!!
年間300講演行うまでになりました。

講演会をしていくうちに必ずウケる話があることに気付きました。

「この話をするとどの会場でもドッカーーン♪ 必ずウケるんですわ!」

その話はそう・・・貧乏だった時、おばあちゃんと暮らした時代の話。

「そーや。そんな時代もあった」
「なつかしいなぁ」
会場で口々に歓声が湧き、と同時にみんなの笑い声が聞こえるのです。

この話や!!!!!!

洋七さんはこの貧乏だった時の話を本にしようと決心します。
貧乏時代おばあちゃんと過ごした話を書きあげ、出版社にもっていきます。

すると、思いもよらない展開が待っていました。

なんと・・・「こんな地味な話じゃ本にできない」と
出版社にことごとく断られてしまうのです。
その数、なんと43社!!!!!!
43社すべて断られてしまうのです。

「ショックじゃなかったですか?」の問いに

「出版社がどれだけあるか知ってますか? 4000あるんです。
お笑いやって講演会で必ず感動するお話が本でウケないわけないわな。
あきらめへんで・・・・って気持ちでした」

洋七さんは募金箱を作って自費出版するんです。
それが噂が噂を呼んで、大手出版社からとうとう依頼がきたのです。

タイトル・・・「がばいばあちゃん」
映画、本、累計1000万部の売り上げだそうです。

絶対に 絶対に 絶対に あきらめない!

1000万部の影には、そんな一心があったんですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一つの道が閉ざされても、必ず別の道があるはず・・・・
一つの扉が閉ざされても、必ず別の扉が開くはず。
だから、絶対にあきらめない。

Never never never give up in Christ!!

明日の安息日すべての礼拝が豊かに祝福されますように!

                                   SDA西日本教区
                                   教区長:島田真澄 


律法を愛する


今、彼は祈っている

2008年10月9日木曜日

「々」という文字を入力するとき



PCで「々」という文字を入力するとき、
どうしてますか・・・

「ひとびと」→「人々」と変換して、
前半の「人」を消す-----っていう人がいました。

「々」は、「おなじ」と入力します。

他に、

「…」は、「あまり」
「〃」は、「くりかえし」
「\」「/」は、「ななめ」
「~」は、「にょろ、から」
「∴」は、「ゆえに」

・・・・・・・・・・ちょこっと、「IMEの入力テクニックでした」


2008年10月8日水曜日

10月4日(土) 中国・四国地区 合同礼拝


10月4日(土)
中国・四国地区 合同礼拝
於:SDA広島キリスト教会


美しい秋の晴天に恵まれて、中国・四国地区の主にある兄弟姉妹が
 広島教会に集まって合同の安息日学校・礼拝がもたれました。


 参加人数は、約250名で、教会の座席がほぼ埋まり、
和やかな雰囲気の中、 賛美の歌が響き、
島田真澄教区長によって「神による人類の贖い」について
深い み言葉の学びがなされました。


礼拝は、教団理事長の東海林正樹先生をお迎え して行われ、
心からの賛美と礼拝をおささげしました。
説教のタイトルは『希望の民として』 で、
「キリストはきたりたもう、これぞわが希望・・・」と
声高く賛美して礼拝を閉会しました。

 午後からは、
『賛美と証し』が広島三育学院高校聖歌隊によってもたれ、
きれいな賛美の 歌声に温かい思いが会堂いっぱい広がりました。


 私たち広島三育学院教会からの出席者は約50名で、
マイクロバスと数台の車に分乗し て行きました。
(走行時間は1時間20分くらい)
 
 お昼の菜食お弁当もとても美味しくて、
テーブルを囲んですてきな笑顔がいっぱい!


 ぶどうや梨のフルーツもたくさんいただき感謝でした。
(広島教会の皆さまに大変お世話になりました)


我々自身に当てはまる教訓



キリストは、
すべての事において我々の模範であられた。

我々のために食欲の誘惑を克服するため、
荒野での長い試みと断食を忍ばれたキリストの屈辱を見て、
我々が誘惑されるときに、
この教訓を覚えておくべきである。

もし食欲の力が人類家族にとって強力で、
それにふけることがどんなに恐ろしいことであり、
神のみ子自らがそのような試みに遭われたとすれば、
我々が食欲を理性の支配下に置くことがどんなに重要なことであろうか。

我々の救い主は六週間近くも断食なさった。

それは彼が食欲の点で、
人間のために勝利を得るためであった。

啓発された良心を持つクリスチャンは、
キリストが前もって模範となられたのに、
知性と精神を弱める影響のあるこれらの食欲に
どうして屈服してよいだろうか。

健康を損ね、
道徳力を弱めてまで追い求める自己満足の習癖が、
現在大部分のキリスト教世界を奴隷のかせで
縛っているという事実は痛々しいものである。

信心深いふりをする多くの者は、
キリストが荒野で長い期間断食と苦しみを忍ばれた理由を探求しない。

キリストの苦痛は、
飢えの苦痛に耐えることからのものというより、
食欲と情欲が人類にもたらした恐るべき結果を
感じることからきたものであった。

食欲が人間の偶像となり、
人に神を忘れるよう仕向け、
救いの道に立ちはだかるであろうことを彼はご存じであった。

                    Review and Herald 1874年 9月 1日


2008年10月7日火曜日

キョリ測


ちょっと便利な「キョリ測」のご紹介です。




地図上にポイントをつけて、
目的地までの距離を測ります。

いつもの散歩コースは
どのくらいの距離なのか・・

〝簡単に分かります!〟

素晴らしいのは、消費カロリーの計算もできるので、
ダイエットツールとしても使えます。

〝食欲の秋!・・に備えてちょっと見ておくものいいかも・・〟

画面右上に住所を入れて「検索」

たとえば、自宅でクリックして測定を始めます。

コースの角でクリックすると赤い線で「( )m」と表示されます。

おにぎり一個あたり160kcal という表示もあって
いろいろ・・おもしろいです。

〝ふ~ん・・ 〟
〝おにぎり一個を消費するには、これだけ歩かなければならないんだ・・〟

って思いますよ~





2008年10月6日月曜日

自然の中で絶えず働いておられる神



神は自然界の中で絶えず働いておれらる。

自然は、
神がよしとされるように監督されている神の僕である。

自然の営みは、
意のままにすべてのみわざの中で働かれるお方の
知的存在と活動を証している。

年々地球が惜しみなく物を産出し、
世界が太陽の周りを絶えず行進し続けているのは、
自然の中に本来備わっている元々の力によるのではない。

無限の力の御手が絶えず働いてこの惑星を導いておられる。

地球の回転において位置を保っているのは
一瞬一瞬働いておられる神の力である。

天の神は絶えず働いておられる。

植物が茂り、葉が現れ、花が咲くのは、神の力によるのである。

脈を打ち、呼吸を続けることは、
いったん仕掛けられた動きがその仕事を続けているというような
機会作用の結果ではない。

神のうちに我々は生き、動き、存在を保っている。

すべての呼吸、すべての心臓の鼓動は、
常にそこにある神の力の絶えざる証拠である。

神は天空に太陽を昇らせ、
天の窓を開いて雨を降らせ、山々に草を生えさせる。

「主は雪を羊の毛のように降らせ、霜を灰のようにまかれる」。
「彼が声を出されると、天に多くの水のざわめきがあり、
・・・彼は雨のために、いなびかりをおこし、その倉から風を取り出される」。

神はご自分が創造されたものを神のしもべとして絶えず用い、
これを支えておられるが、
また自然の法則を通して働かれ、
それをご自分の手段としてお用いになる。

キリストは言われた、
「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」
                                 ヨハネ5:17

                               Manuscript 4. 1882年

2008年10月5日日曜日

SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)




ソーシャル・ネットワーキング・サービス
「merry」 を、立ち上げました。


すでに会員になっている人から
紹介されない限り、メンバーにはなれません。

会員になると、自分のページができます。


日記を書いて公開したり
(公開しないで、自分専用に利用するのもOK!)
カレンダーを利用して、スケジュール管理もできます。

〝おもしろそう!・・〟

〝やってみたい・・〟と思った方は、ご連絡ください。

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2008年10月2日木曜日

瞑想は愛と友情に導く



詩篇63:5,6(詩篇104:34)

イエスのみ手の中で、完全な休みを得なさい。

主の大きな愛をよく考えなさい。

我々が彼を信じるために、
その自己否定や払われた無限の犠牲を瞑想するなら、
聖なる喜び、穏やかな平安、そして言いあらわしようもない
愛で心が満たされるであろう。

イエスのことを話し、
祈りの中でその名を呼ぶとき、
彼は我々の個人的な慈しみ深い救い主であるという確信が強くなり、
彼のご品性がもっと美しく見えてくることであろう。

・・・我々は愛の豊かなふるまいを楽しみ、
自分たちは養子縁組によって彼のものとなったと完全に信じるとき、
天を前もって味わうことができる。

信仰をもって主を待ち望め。

主は祈る魂を引き上げて、
その尊い愛を感じさせて下さる。

我々は彼の近くにいて、
彼とのすばらしい交わりを保つことができる。

我々は彼の優しさとあわれみをはっきりと見、
我々に与えられている愛を思い、
心は砕かれて溶けてしまうのである。

我々は、確かに魂の中にキリストが宿っていることを感じる。

我々は彼につながっており、イエスと共にいてくつろぐ。

約束が心に流れ込んでくる。

我々の平安は川のようで、
心には栄光の波が次々とうねり、
我々はイエスと、
彼は我々と、
本当に共に食するのである。

我々は神の愛を実感し、その愛のうちに安らぐ。

それを言い表せる言葉はない。

それは知識を越えている。

我々はイエスと一つであり、
我々の命はキリストと共に神のうちに隠されている。

我々の命であるイエスが現れるとき、
我々もまた栄光のうちに彼と共に現れるという保証がある。

強い確信を持って、
我々は神を父と呼ぶことができるのである。

                            Letter 52. 1894年


2008年10月1日水曜日

・・・・の秋

〝読書(聖書)の秋にしましょう~〟

〝祈りの秋にしましょう~〟

忠実な自己管理者



自分の価値に対する
他人の評価を恐れて生きている人々は、
我々を、
神を賛美するにふさわしい者として下さる
唯一のお方である神を見失っている。

忠実な自己管理者になろう。

自己から目を離してキリストを見よう。

そうするならば、問題は何もなくなる。

すべての働きは、
それがどんなに優れたものに見えようとも、
もしイエスの愛のうちに行われないならば、何の価値もない。

彼は宗教活動を、
すべてくまなく行ったとしても、
彼の言動にキリストが組み込まれていなければ、
彼はただ自分の名誉のために働いているに過ぎない。

                        Letter 48. 1903年