キリストが住まれる心に愛が欠乏することはない。
神がまずわたしたちを愛してくださったために、
わたしたちも神を愛するのであるならば、
わたしたちは、
キリストが命をお捨てになってまで愛された
すべての人々を愛するようになる。
神と接触していながら、
人間と接触しないということはできない。
宇宙の王座にすわっておられるキリストの中には、
神性と人性が結合しているのである。
キリストに連なる者は、
愛という金の鎖によって、
同胞と結ばれているのである。
こうして、
キリストの憐れみと同情とは、
わたしたちの生活にもあらわれてくる。
わたしたちは、
貧しい者や不幸な者が、
わたしたちの所へ連れて来られるまで待たなくなるであろう。
そして、
他人の悲しみに同情することを、
求められることも不要になるであろう。
わたしたちが、
貧しい者や苦しむ者に奉仕することは、
キリストが、
あまねくめぐって善を行われたのと同様に、
自然にできるのである。
希望への光 1338
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