キリストはあがないをするために死なれ、
その弟子となりたいと望む者たちの模範となられた。
利己主義が心に入っていいだろうか。
模範であられるイエスを掲げる者たちが、
自分の功績を掲げていいだろうか。
イエス・キリストを通して与えられる以外は、
あなたは何も持ち合わせていない。
神ご自身がこれほど低くなられたのを見せられ、
これ以上低く下れるところはないというところまで来られた方を見せられて、
なお誇りを抱くことができるだろうか。
「おお、天よ、驚け」、
地に住む民よ驚け、
このような応答が我々の主に対してなされるとは、
何という侮辱、
何という邪悪、
何という頑固さ、
何という高慢であろう。
栄光の主が我々のために自らへりくだり、
苦しみ、
十字架で恥ずべき死を遂げられたのに、
人間は、高慢に振る舞い、
栄光を自分に帰すとは何ということだろう!
(Review and Herald 1900年 9月 4日)
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