2008年8月31日日曜日
2008年8月29日金曜日
2008年8月28日木曜日
故意の無知は言い訳できない
「あなたがたは知らずにあのようなことをした」と、
ペテロは言ったが、
この無知は行為の言い訳にはならなかった。
彼らには大きな光が与えられていたからである。
彼らがイエスは命の君であると知っていたら、
彼を十字架につけることはしなかったであろうと言われている。
しかし、
彼らはなぜ知らなかったのであろうか。
彼らは知らないことを選んだからである。
彼らは探求し研究することに何の興味も持たなかったので、
彼らの無知は永遠の滅びとなった。
彼らは自分たちの信仰の土台となる最も強力な証拠を持っており、
神がお与えになったその証拠を受け入れる責任が神の子に対してあった。
彼らの不信が、
無限の神のひとり子の血に対して、
彼らを有罪とした。
Manuscript 9. 1898年
2008年8月27日水曜日
1/f ゆらぎ
音楽には、人間の心に影響を与える
「ゆらぎ」というものが存在するそうです。
音は絶えず高さや音量が変化していて、
その変化が脳に刺激を与えている。
そのために、
大きな衝撃音を耳にしたとき緊張したり、
単調で抑揚のない話を長々と聞き続けているときに、
ついウトウトしてしまうわけ。
でも、自然の音に耳を傾けたとき、
心が心地よく変化することに気づいたりします。
波の音、風の音、小鳥のさえずり・・・・
連続的であって、しかも一様ではない変化が、
脳を心地よく刺激して、私たちを和ませる。
ゆらゆらと揺れながら、
ちょうどいいバランスをとっているのが「1/f ゆらぎ」と呼ばれるもの。
心臓の鼓動、それに伴う血液の流れ、脳波、細胞など、
常に変化しています。
これがバランスのいい「ゆらぎ」によって互いに調和しているからこそ、
私たちは健康でいられる。
心の状態も同じことがいえる。
緊張があっても緩和があれば、ちょうどいいバランスをとることができる。
何かにぶつかりそうになって、
〝危ない!〟と思ったときに緊張が走りますが、
危険を逃れられたときに
〝あぁ、よかった・・〟と心が緩和することで、
私たちは心のバランスを保つことができる。
クラシック音楽のほとんどが「1/f ゆらぎ」を持っているそうです。
この音楽の力を味方にしましょう。
*ものごとに集中できないときには、バッハの「G線上のアリア」
*悲しい気分のときには、ラフマニノフの「ボカリース」
*不安なとき、心細いときには、ショパンの「雨だれ前奏曲」
*イライラしているときには、ハチャトゥリアンの「剣の舞」
*やる気の起きないときには、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」
・・人によって適さないものがあるかもしれませんが・・ということで・・
2008年8月26日火曜日
今日のコルネリオのような多くの人々
神のすばらしい働きによって、
コルネリオはその精力的で忠実な生活において
キリストの弟子たちと関わりを持つように導かれた。
このようなことが終わりの時代にもあることだろう。
多くの人々が、
神の知恵をいかなる地上の利益にもまして高く評価し、
これを至高の標準として神の言葉に従うことだろう。
これらの人々は大きな光へと導かれる。
これらの人々は真理の知識へやってきて、
自分たちと同様に真理を切望している知人たちに、
この真理の光を得させようとするであろう。
このようにして彼らは、
世界に対して良心的な光の担い手となる。
自分自身が神の愛に引き寄せられたように、
彼らは他の人々を引き寄せる。
彼らは真理の美しさを見に来るように、
また神の働きを進めるために
彼らの能力を献げるようにと他の人々に勧めて招き、
あらゆる機会を活用することだろう。
Manuscript 97. 1898年
2008年8月25日月曜日
2008年8月24日日曜日
錠がかけられていない天の倉
2008年8月22日金曜日
仕事を感動に変える
北京では熱戦が続いています。
日本選手の応援に思わず力が入ります。
PMMの先生方は韓国選手の活躍に歓声を上げていることでしょう。
野球の準決勝の日韓戦が楽しみです (^^)/
今日は、福島正伸さんの本「どんな仕事も楽しくなる3つの物語」から
「仕事を感動に変える人は」という言葉を紹介します。
仕事を感動に変える人は
どんな些細な仕事であっても
その仕事の意味を考えながら取り組みます
仕事の意味を実感することで
どんな仕事であっても感動を得られることを
知っているからです
仕事を感動に変える人は
どんな問題が起きたとしても
前向きに受け止めます
前向きに受け止めることで
次の機会や自分の成長に生かすことができることを
知っているからです
仕事を感動に変える人は
ものごとの根本的な原因を
自分自身に見出します
自らに原因を見出すことによって
自分の出番も見出すことができるようになることを
知っているからです
仕事を感動に変える人は
自分ができることを
自分らしくやります
自分らしく取り組むことで、仕事を楽しみ
より高い価値を生み出すことができるようになることを
知っているからです
仕事を感動に変える人は
夢や目的をあきらめません
自分があきらめない限り、本当の失敗ではないことを
知っているからです
与えられたそれぞれの仕事を感動に変えていきましょう。
そして教会にも感動を!
ハッピー・サバス!
SDA西日本教区
教区長:島田真澄
2008年8月21日木曜日
信仰生活の一つの節目を体験しました
私には25年の歳月にわたって
抱えている重荷があります。
そして、私にはその辛さを持っていく先がない。
神様のもとにはもっていけるのですが、
教会というシステムの中には持っていく先がない。
常套的なクリスチャン用語で励ましと慰めを与えてくれるとき、
ありがとう、おかげで気持ちが楽になったわと心にもない謝辞を述べて、
その場を信仰的にまるく収めようとしてしまう大嘘つきの私がいます。
しかし、有難いことに書物を通して神様は素晴しい恵みをくださいました。
私の求める慰めや気づきは、時代を越え、国境を越え、
古今東西の信仰者やセラピストや医者や教育者たちから与えられます。
聖書の深みにいざなって、
礼拝説教やセミナーだけでは知ることのできなかった、
神からの深いメッセージを与えてくれます。
ここ一ヶ月間、私は深い嘆きと苦しみのうちにありました。
聖書とともに何冊かの本を読んで過ごしたのですが、
そのうちの一冊がフィリップ・ヤンシーの新刊書
「祈り どんな意味があるのか」でした。
神様は嘆きを肯定的に捉えてくださっておられることを、
聖書を通して証明しており、私にとって大きな慰めとなりました。
嘆きの心を十分に嘆くことをせずに、
大慌てで感謝、讃美、喜び、赦しに移行させてしまうことについては
慎重になることが大切だと気づかされました。
喜び、感謝、讃美、慰め、励まし、悔い改め、
どれもが表面的に流れてしまう可能性があります。
十字架の贖いも観念的にあるいはまた情緒的に
ドラマチックになってしまうのではなく、
魂の奥深くから求め体験できるとき、
はじめて慰めとなり希望となるのです。
信仰的社交辞令が飛び交うことで、世の中のサロンが、
教会という場所に変わっただけの場になってはならないのです。
靴を脱げ、そこは聖なる場所なのだ、と
モーセに語られた主は今も生きておられ、
釘で刺しぬかれた手を差し伸べて、あなたを助けたい、あなたを救いたいと、
血を流しながら、私たちの応答を待っておられるのが、
私の信ずる主イエス・キリストなのです。
私たちは、主の前に靴を脱いでいるでしょうか。
素足になって、水虫、魚の目、偏平足、汗まみれの汚れた足を
主に預けているでしょうか。
私たちは人が大切な自分の心に
土足のままで入ってこられるときとても傷つきます。
靴を脱ぐとは、被造物がその分をわきまえ、
主を聖なる方と認め崇めるということだけではなく、
神様の前に真っ正直になるということもあるのではないでしょうか。
土足のままで主の御前に出るということは、
主を傷つけ悲しませることになるのではないでしょうか。
御堂に一歩足を踏み入れるとき、神様と私との関係を問い直したい。
普段の生活の中で、主を見上げ、心を主に向けるとき、
ありのままの正直な自分であることが、
どれほど自分の信仰にとって大切なことなのか、
そして、それは主がとても喜ばれることであることを
私はフィリップ・ヤンシーから教えてもらいました。
何も解決はしていませんが、
私にやっとキリストにある平安が訪れています。
主の前にいっぱい嘆き、そんな自分を眺めながら、
心のより分け作業ができて、ありのままの自分に出会ったからだと思います。
一羽のすずめ
我々のすべてのものは、神から借りている
我々が持っているすべての良いものは、
我々の救い主から借りたものなのである。
キリストは、
我々を財産管理人とされたのである。
信仰と愛によってなされた我々の小さな捧げ物、
小さな奉仕は、主の奉仕に魂を勝ち取り、
主の栄光を促進するために聖別された賜物となるであろう。
キリストの王国の利益と繁栄が、
他のすべてに優先される最高の関心事とならなければならない。
自分の楽しみと利己的な関心事を
生涯の主な目的とする者は、忠実な管理者ではない。
他人の益のために自己を否定し、
自分自身と持てる物すべてをキリストの奉仕に捧げる者は、
利己的な人が求めても空に帰してしまう幸福を実感するであろう。
救い主は言われた。
「あなたがたのうちで自分の持っているもの
すべてを捨てるのでなければ、わたしの弟子となることはできない」と。
これが、
キリストの生涯を特徴づけた無我の愛と慈善の実なのである。
心の中にある神の律法は、
我々自身の関心を高い、永遠の考慮すべき
最も重要な事柄に向けるであろう。
Testimony Treasures, vol.1 377
2008年8月20日水曜日
味噌とヨーグルトで簡単漬物
手間いらずで
ぬか漬けと同じ発酵による漬物ができるんですって!
...........................
作り方は野菜をファスナー付き保存袋に入れ、
味噌とヨーグルトを3対1に混ぜたものを、
野菜が隠れる程度入れて冷蔵庫で保存するだけ。
約半日でぬか漬けのような味わいの漬物が完成。
ぬか漬けは毎日メンテナンスが必要ですが、
この漬け方なら食べたいときだけの手間で、
本格的な漬物ができる。
キュウリなどの水分の多い瓜系の野菜は漬かるのに
時間がかかるので、軽く塩もみし、そのまま
漬けるのがおすすめ。
おいしく漬けるには?
「粒の残っている田舎味噌を使うと風味が豊かになる」ので、
こしていないものを選ぶのがポイント。
また、漬け過ぎるとしょっぱくなってしまうので、
1回に漬ける量は、その日に食べる分だけにする。
味噌とヨーグルトを混ぜた漬け床は2~3回使えるので、
家にある季節の野菜を漬けて、繰り返し楽しみましょう。
(REALSIMPLE No.35) ~
................................
いかがでしょう・・試してみませんか?
2008年8月19日火曜日
サタンがペテロを通して語る
キリストがペテロに、
彼のすぐ前にある試練と苦しみの時について示し、
ペテロがそれに答えて、
「主よ、とんでもないことです」と言ったとき、
救い主は、
「サタンよ、引きさがれ」と命令なさった。
サタンはペテロに誘惑者の役を演じさせ、
彼を通して語っていた。
ペテロは、
サタンがその場にいるとは思いも寄らなかった。
しかし、キリストは
欺瞞者がその場にいるのを見破ることができ、
ペテロを叱るとき、
彼は本当の敵に語られた。
Letter 244. 1907年
....................................
イエスが堕落した人類を救おうと奮闘なさる一方、
サタンの働きは彼を落胆させることであった。
そして、ペテロの言葉はちょうど
サタンが聞きたいと望んだものであった。
それらは神の計画に反対であり、
このような同種類の性質を持つものは、
何であれ神に対する罪であった。
それらはサタンにそそのかされた言葉であった。
なぜなら、それらは、
神がご自分の律法を保持してその臣民を支配し、
なおかつ堕落した人間を救うために神が作られた
唯一の計画に反することであったからであった。
サタンは
それらがキリストを失望落胆させることを望んだが、
キリストはその張本人に向かって
「サタンよ、引き下がれ」と語られたのである。
Review and Herald 1897年 4月 6日
2008年8月18日月曜日
心をこめて
ディズニーランドは夜になると、
毎晩大掃除が始まります。
お客さんが帰った後、夜中中、大忙しです。
そんな中、「もう駄目だ、こんな仕事やめてしまおう!」と
言っている一人の従業員がいました。
彼の仕事は、夜のトイレ掃除でした。
真夜中、誰もいないトイレを一人で掃除。
真っ暗のトイレに、パッと電気をつけます。
誰もいない。トイレの扉をあけます。
ギー、誰もいない。
怖くて、怖くて、「こんな仕事もうやめよう!」そう思っていました。
しかしある日、
アメリカのディズニーランドの研修ツアーに参加することになりました。
本場のディズニーランドで働く人たちと会いました。
お兄さんは慣れない英語を使って尋ねます。
「どんな仕事してるの?」。「私は入場口で働いています」。
「私はダンボのところで働いています」。
そのうち、彼の質問に、このように答える人がいました。
「僕はね、夜中にトイレの掃除をしています」。
「え、僕と一緒じゃないか」そこでお兄さんは
自分の悩みを打ち明けてみました。
「僕は怖くてね、もうこの仕事やめようかと思っているんだけど」
すると、アメリカでトイレ掃除をしている若者が答えてくれました。
「君、こんな素晴らしい仕事を辞めることはないよ。
僕は全然こわくないよ。」
「どうして?」
「トイレに並んでいる便器は、僕の友だちなんだよ。紹介するね」
アメリカの青年はお兄さんをトイレまで連れてゆきました。
そしてなんと便器を紹介したのです。
「これがトム。これがジャックだ。」
トイレの便器はピッカ、ピッカに磨かれていました。
「彼らはきれい好きだからね。
僕は毎日、彼らと話しをしながら、ピカピカにしてあげる」。
それを聴いた彼は胸が熱くなりました。
早速日本に帰って同じように便器に名前をつけて
語りかけながら掃除をするようにしました。
「おい、ジャック、ずいぶん汚れたね。
今日一日、ご苦労さん。また明日もよろしくたのむよね」
そうしているうちに、怖さも吹き飛んでしまいました。
そして、一生懸命やっているうちに、
この働きが大好きになっていったのです。
いやいやながらやっているときは怖くてたまらなかったのに、
一生懸命やりはじめると、その仕事が好きになったのです。
私は常々、「気を使わずに、心を使おう」と自分に言い聞かせています。
「やらなければならないから・・・」と周囲に気を使ってやっていると、
その仕事は辛く、だんだん嫌になってきます。
ところが、相手のことを心から考えて、一生懸命させていただくと、
その働きにやりがいと喜びを感じてきます。
イエス様はおっしゃいました。
「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。
さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
あなたの施しを人目につかせないためである。
そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、
あなたに報いてくださる」 (マタイ6:1、3、4)。
(大阪センター教会牧師 藤田 昌孝)
2008年8月17日日曜日
2008年8月16日土曜日
試み
2008年8月15日金曜日
イエスと共に過ごす
2008年8月14日木曜日
2008年8月13日水曜日
私の隣人とはだれのことですか
キリストが住まれる心に愛が欠乏することはない。
神がまずわたしたちを愛してくださったために、
わたしたちも神を愛するのであるならば、
わたしたちは、
キリストが命をお捨てになってまで愛された
すべての人々を愛するようになる。
神と接触していながら、
人間と接触しないということはできない。
宇宙の王座にすわっておられるキリストの中には、
神性と人性が結合しているのである。
キリストに連なる者は、
愛という金の鎖によって、
同胞と結ばれているのである。
こうして、
キリストの憐れみと同情とは、
わたしたちの生活にもあらわれてくる。
わたしたちは、
貧しい者や不幸な者が、
わたしたちの所へ連れて来られるまで待たなくなるであろう。
そして、
他人の悲しみに同情することを、
求められることも不要になるであろう。
わたしたちが、
貧しい者や苦しむ者に奉仕することは、
キリストが、
あまねくめぐって善を行われたのと同様に、
自然にできるのである。
希望への光 1338
2008年8月12日火曜日
福音の宗教とは
聖霊の働きによって魂が清められるということは、
キリストの性質を人間のなかに植えつけるということである。
福音を信じることは、
生活の中にキリストが宿ることーーすなわち、
生きた活動的な原則が宿ることである。
それは、品性によい行いとなってあらわれるキリストの恵みである。
福音の原則は、
実際の生活のどの方面からも引き離すことはできない。
クリスチャンのどんな経験も、どんな働きも、
すべてがキリストの生活を代表するものでなければならない。
愛は信心の基礎である。
たとえ、口でなんと言おうと、もし、
兄弟にたいする無我の愛をもたないならば、
神に対する純粋の愛をもっていない。
しかし、他人を愛そうと努めることによって、
この精神を得ることはできない。
必要なのは、心の中にキリストの愛が宿ることである。
自己がキリストの中にとけこむとき、愛は自然にわいて出る。
他を助け、祝福しようとする気持ちが常に内からわき出て、
天からの光が心にあふれ、顔に表わされるとき、
クリスチャンの品性が完成の域に達するのである。・・・
希望への光 1338
2008年8月11日月曜日
「ブラウザー」について知りたい
「ブラウザー」について知りたいけど・・っていうことですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ファイルの内容を見るためのソフトウェアのことですが、
単にブラウザーというときには、Webブラウザーを指す場合が多いです。
WebブラウザーはWebページを閲覧するためのソフト。
Windowsには標準で「Internet Explorer」(IE)が付属しますが、
他にもいろいろな種類があります。
最近、話題に上がるのは、
最新バージョンの3がリリースされた「Mozilla Japan」の「Firefox」。
これとノルウェーのオペラソフトウェアの「Opera」、
アップルが開発した「Safari」が大御所でしょう。
・・・・・
いずれも無償です。
インターネットからダウンロードして自由に利用できます。
IEと一緒に使えます。
複数のWebブラウザーをインストールして、
サイトに応じて使い分けられます。
「乗り換え」なくて気軽に試せるので、使ってみてはいかがでしょう。
2008年8月10日日曜日
2008年8月8日金曜日
人生からレモンをもらったらレモネードを作ろう!
暑さが続きます・・・お元気ですか?
甲子園も始まり、今日から北京オリンピックも始まります。
暑さの中、懸命に戦う選手たちの姿に刺激されます。
私たちも体を前に伸ばしつつ、
パウロのように目標目指してひたむきに走りたいと思います。
今日は、先日友人から送られてきた言葉をお贈りします。
英語で届いたものを勝手に意訳してみました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「レモンと砂糖 」
まさかと思っても100% 本当のこと、洗面所の鏡に貼って毎日一回は読んでみよう。
1. この人のためなら死ねると思える人が、世界に2人はいる。
2. あなたは、少なくとも15人からは愛されている。
3. 人から憎まれる唯一の理由は「嫉妬」である。
4. 微笑みはだれにでも、たとえ嫌われていても、幸せを運ぶことができる。
5. 毎晩、だれかが眠る前にあなたのことを考えている。
6. あなたは、だれかにとって世界で一番大切な存在である。
7. みんな特別な存在であり、ユニークな存在である。
8. あなたもきっと、意外な人から愛されている。
9. 大失敗をしたとき、そこから何か素晴らしいことが生まれてくる。
10. 世界に背を向けられたと思えるときは、別の角度から見直してみよう。
11. 受け取ったほめ言葉はいつも覚えていよう。中傷はすぐに忘れてしまおう。
どの言葉が心に残りましたか?
人生からもらうものは酸っぱいレモンか甘い砂糖。
でも人生からレモンをもらったら、
それを使ってレモネードを作ってしまいましょう!
あしたの安息日、すべてを最善へと導いて下さる神の前に集いましょう。
そして、心からの賛美と礼拝がささげられましょう!
ハッピー・サバス!!
SDA西日本教区
教区長:島田真澄
2008年8月7日木曜日
キリスト・イエスの心をあなたがたの心としなさい
キリストはあがないをするために死なれ、
その弟子となりたいと望む者たちの模範となられた。
利己主義が心に入っていいだろうか。
模範であられるイエスを掲げる者たちが、
自分の功績を掲げていいだろうか。
イエス・キリストを通して与えられる以外は、
あなたは何も持ち合わせていない。
神ご自身がこれほど低くなられたのを見せられ、
これ以上低く下れるところはないというところまで来られた方を見せられて、
なお誇りを抱くことができるだろうか。
「おお、天よ、驚け」、
地に住む民よ驚け、
このような応答が我々の主に対してなされるとは、
何という侮辱、
何という邪悪、
何という頑固さ、
何という高慢であろう。
栄光の主が我々のために自らへりくだり、
苦しみ、
十字架で恥ずべき死を遂げられたのに、
人間は、高慢に振る舞い、
栄光を自分に帰すとは何ということだろう!
(Review and Herald 1900年 9月 4日)
2008年8月6日水曜日
2008年8月5日火曜日
魂とイエスの間の間隔
2008年8月4日月曜日
キリストの教えを飾る
2008年8月3日日曜日
人間以上に強力
2008年8月1日金曜日
大変困難な闘い
もしあなたが
キリストの学校で
心の柔和さとへりくだりを学ぶことをいとわないなら、
彼は確かにあなたに
休みと平安を与えられるであろう。
自分の意思とやり方を放棄するというのは、
大変困難な闘いである。
けれどもこの教訓を学べば、
休みと平安を見出すであろう。
誇りと利己心、
野心が克服されなくてはならない。
あなたの意思はキリストの意思に飲み込まれなくてはならない。
生活全体は一つの絶え間ない愛の犠牲となり、
すべての行為は愛の現れ、
すべての言葉は愛の発言となるであろう。
つるの生命は、
茎と房を通して循環し、
低いひげ根に降りて、てっぺんの葉へと達する。
そのようにキリストの恵みと愛も魂の内に燃え、
全身各部にその美徳を送り、
心身のすべてに広く働くであろう。
Letter 14. 1887年
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