わたしは子どもの教科分級は3,4年の担当です。
ところが1,2年の担当者がアキレス腱を切って入院してしまいました。
そこで急遽、わたしが受け持つことになり、1年から4年までの異年齢集団をかかえることになりました。
ところが1,2年の担当者がアキレス腱を切って入院してしまいました。
そこで急遽、わたしが受け持つことになり、1年から4年までの異年齢集団をかかえることになりました。
9月15日、安息日、み言葉はマタイ7章12節を選びました。
厚紙で作った短冊に「だから人にしてもらいたいと思うことは何でもあなたがたも人にしなさい。マタイ7の12」と書いたものを全員に配りました。
1年生、ふうちゃん。2年生、ゆかちゃん、なのかちゃん、しょうくん。3年生、しんくん。4年生、りのちゃん、さおりちゃん。みんなで7人です。「ふりがなはふっていないので上級生は下級生に教えてあげてね」とお願いしました。みんな口々に読んでいます。なんどか声を合わせて読んでもらったあと、質問しました。
「人にしてもらってうれしかったことは何かな?そしてね、わたしもそう思うという時には、アーメンって言ってよ。はい、では、りのちゃんから、どうぞ」
「あのねえ、おかあさんがごはんを作ってくれたり、お掃除してくれたりするの。うれしいです」
最初に、りのちゃんがお母さんのことを言ったので、次に続くさおりちゃんもゆかちゃんもお母さんがしてくれるうれしいことを発表します。
「ふんふん、そうね、うれしいね」と相づちをうちながら、最初の発言のもつ影響力はすごいなと思いつつこどもたちの話に耳を傾けます。
1年生のふうちゃんの番になりました。ふうちゃんはうつむいたまま声がでません。
「じゅあ、ふうちゃんは考えていてね」と言って3年生のしんくんにたずねました。
「ぼくはねえ、この間、学校が変わったが。誰も友達がいなかったけんど、帰るときに、『いっしょに帰ろう』っていうてくれた人がおってね、うれしかったあ!」そうでした。
しんくんところは、最近、お家を建ててお引越ししたばかりなのでした。
「ああ、わかる、わかる、うれしいよね!じゃあ、次はしょうくん」しょうくんもうつむいてしまいました。
「じゃあ、しょうくんも考えていてね。
はい、なのかさん」「あのね、あたしが宿題やら、せんといかんことを忘れちょったらね、ママが教えてくれるが。思い出させてくれるが。」
すると「アーメン!アーメン!アーメン!」という声があがりました。さおりちゃんです。忘れることの多いさおりちゃんは、忘れた漢字や算数をお母さんが教えてくれるのもとてもうれしいのだ、とにこにこしながら言いました。
だまっていたふうちゃんの唇が開きました。「あたしはね、学校から帰ったら、まず、ピアノ、つぎにお宿題をせんといかんが・・・」ここまで言って黙り込んでしまいました。
私は同じ言葉を繰り返してから、「でもふうちゃんは忘れて遊んでしまうことがあるんだ」と言ってみました。「うん」とふうちゃん。
「そこでママが思い出させてくれるんだ」ふうちゃんはちょっと顔をゆがめてうなずきました。
「ふうちゃん、だいじょうぶ!1年生はそんなもん。忘れるもん。けんど、4年生になったら、忘れることが減ってくるき」と自信たっぷりにさおりちゃんが言います。
3年生のしんくんも「3年生になったら、忘れんなるき、かまんでえ」ほかのこどもたちも口々に、「だいじょうぶ!」となぐさめの言葉をかけてくれます。ふうちゃんはニコニコ顔になりました。
するとだまっていたしょうくんも、友達が親切にしてくれたときうれしいと話してくれました。「はい!はい!二回目、言いたいです」と次々に手があがりました。
「最後にみんなにお願いがあります。人にしてもらってうれしかったことを、人にもしてあげることを決心してください。では、分級を終わります。終わりのお祈りは誰がしてくれますか?」ゆかちゃん、しんくん、しょうくん、なのかちゃんが「はい!」と手をあげました。4人に順々にお祈りをしてもらいました。お祈りの後、「私がみんなにお願いしたこと、なんだったかな?」と聞いてみました。みんなきちんと覚えていて口々に言ってくれました。
なんて素晴らしいこどもたちでしょう。
1年生にとって上級生は人生の先輩なのです。失敗もいっぱいして、くやしいこともなさけないこともたっぷり経験しているたのもしい先輩なのです。
神様からいただいたひとつのみ言葉がこどもたちの心を開きます。優しい気持ちを神様がその心に注ぎます。おかあさんからの忠告までも「うれしいこと」のひとつに数える素直な心が光ります。そのよろこびがこどもたちに伝染していきました。
「最後にみんなにお願いがあります。人にしてもらってうれしかったことを、人にもしてあげることを決心してください。では、分級を終わります。終わりのお祈りは誰がしてくれますか?」ゆかちゃん、しんくん、しょうくん、なのかちゃんが「はい!」と手をあげました。4人に順々にお祈りをしてもらいました。お祈りの後、「私がみんなにお願いしたこと、なんだったかな?」と聞いてみました。みんなきちんと覚えていて口々に言ってくれました。
なんて素晴らしいこどもたちでしょう。
1年生にとって上級生は人生の先輩なのです。失敗もいっぱいして、くやしいこともなさけないこともたっぷり経験しているたのもしい先輩なのです。
神様からいただいたひとつのみ言葉がこどもたちの心を開きます。優しい気持ちを神様がその心に注ぎます。おかあさんからの忠告までも「うれしいこと」のひとつに数える素直な心が光ります。そのよろこびがこどもたちに伝染していきました。
こどもたちにとっては「おかあさん」は特別な存在なのです。
もしかしたら、こどものおかあさんへの愛と信頼は、おかあさんたちが思っている以上に強く大きなものではないでしょうか。
さて、次の週の分級のとき、ふうちゃんが話してくれました。
さて、次の週の分級のとき、ふうちゃんが話してくれました。
学校で泣いているみたいに見えた友達がいたので「どうしたが?」と聞いたそうです。ところがその人は泣いてなんかいなかったそうでした。ふうちゃんの勘違いだったわけですが、先週のことをきちんと覚えていて、イエス様の「あなたがたも人にしなさい」というお言葉をさっそく実行に移したふうちゃんだったのです。イエス様の愛が上級生の優しさを通してふうちゃんに流れ込み、やさしい行動へとつながっていきました。
教会に集まるこどもたちは、教会から帰ったあと、それぞれの場所でイエス様の愛の種まきのお手伝いをしているのですね。
教会に集まるこどもたちは、教会から帰ったあと、それぞれの場所でイエス様の愛の種まきのお手伝いをしているのですね。
高知教会 織田えり子
2 件のコメント:
小さな一人一人の心に届いた言葉は
子供の視点を自分の中だけでなく外に向かって
動かしてゆくんですね・・。
また投稿お願いします。
小さな一人一人の心に届いた言葉は
子供の視点を自分の中だけでなく外に向かって
動かしてゆくんですね・・。
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