大阪は、恵みの雨です。
皆さま、前に向かって明るく聖業にお励みのことと感謝いたします。
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2001年10月に突然、脳梗塞で倒れ、 48時間後に救出されたものの、
失語症と言語障害、聴覚障害、右手麻痺という重い後遺症を残す。
かつては京都の地元バンドのヴォーカルとギターを担当、 ライブ活動を行い、
CDの売り上げも伸ばしていた彼だが、 この病気は音楽を聴く耳、歌を歌う声、
ギターを弾く右手、 そして詩を考える言葉という彼にとって最も大事なものを、
わざわざ選ぶようにして持ち去ってしまった。
「もう、死んだ方がましだ」 という絶望が繰り返し襲った。 残されたのは左手。
いま動くのは左手だけ。 だったら左手でできることを考えよう。
残った左手を使って、彼は絵と詩を表現し始めた。
すると彼の作品がプロの目にとまりはじめた。
東急ハンズ三宮店、高島屋京都店、高島屋大阪店での販売をはじめ、
新聞やテレビ、雑誌などメディア取材も相次ぐように。
2003年6月にはフジテレビ『奇跡体験!アン ビリバボー』に出演し、
飛鳥新社より初の著書『ほっこり生きよう』を上梓し、
彼の生き方に共鳴する新たなファンを獲得。
その彼からひとりの友人に宛てられた手紙。
「OOOさん、こんにちは。京都のたけです。
6月の大阪高島屋の個展の相手が決定しました。
奇跡が起こったかも。
あれは、今年3月頃、 作家5周年記念ということで、お世話になっている
高島屋の大阪店さんで 6月末に個展をさせていただくことになった時の話です。
場所は100平方メートルほどのスペースですので、 担当者に「二人展」を勧められました。
しばらく、自分自問しました。一緒に個展したいのは誰か?と
僕の人生を変えてくれた、北野たけしさんと個展がしたい!
そう強く思い、どうしても頭から離れません。
僕は5年前、脳梗塞で倒れ、突然しゃべれない、聴こえない第1級障害者に。
34年間生きてきてはじめての絶望でした。
しかし、発病して2ヶ月ほど経ったある日、 以前に見た映画「HANA-BI」の中で
大杉連さんが 半身不随になった後に絵を描き始めていたシーンを思い出したんです。 僕も絵でも描こうと安いスケッチブックを買いました。 筆を走らせました。
まったく不思議でした。 言葉は出てこないのに、きき手じゃない左手で絵をスラスラと 踊るように描けたのです。
そして、いま「無口な絵売り」として各地で個展させていただいております。
北野武さんと個展がしたいと、誰に相談しても 「アホちゃうか? 大物すぎやろ!
相手にされるわけがない」との返事。 そりゃ僕もそう思う。
でも 「もし、もし実現したら奇跡。 あかん場合は当たり前。 やる前から諦めたらあかん!」 僕が入院したあの時、今の僕の姿を誰も想像しなかったろうと思う。
未だに今の自分の姿は奇跡だと思っています。
だから、無理を承知で武さんに熱い熱い手紙を書きました。
手紙を送った後は、 先に神さまに御礼を言いました。
「武さんと一緒に個展をさせてくださってありがとう」 と。
先に御礼を言ってしまうと実現する。 これは、いろんな場面に使えるね。
「○○してくださって、ありがとう」と その時は、執着しているとだめ。
実現しません。
「そうなってくれれば、楽しい、幸せだけど・・」と思うこと。
神様は、先に言われると、時間の流れに関係なく 「してあげていなったか、
とりあえず実現を」というように動くらしいよ。
そして、北野武さんからのお返事が来た。 「OK」と!!!!!!!
本当に飛び上がるくらい嬉しかったのです。
奇跡や! しかも、出展してくれる絵は、あの名作「HANA-BI」に使用されていた絵! 北野武さん、名も実力もない、ただの絵描きに、貴重な作品をお貸し下さって、ありがとうございます。
神様、ホンマに実現してくれてありがとう ありがとうとすべて思えば、
こんな幸せな毎日が来るのです。」
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どんなに雨が降っても、 神さまは雨上がりには虹を用意されている。
もっと美しい景色を用意して下さっています。
だから・・・・先だって「ありがとう!」
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと
共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、 わたしたちは知っている。」
ローマ8:28(口語訳)
明日は中部地区の合同礼拝。
午後には瀬戸集会所の宋 乙燮先生の牧師按手礼式があります。
祝福をお祈り下さい。
では、すべての教会でも良き安息日を!
ハッピー・サバス!!
SDA西日本教区長:島田真澄