イエスのみ手の中で、
完全な休みを得なさい。
主の大きな愛をよく考えなさい。
我々が彼を信じるために、
その自己否定や
払われた無限の犠牲を瞑想するなら、
聖なる喜び、穏やかな平安、そして
言いあらわしようもない愛で心が満たされるであろう。
イエスのことを話し、
祈りの中でその名を呼ぶとき、
彼は我々の個人的な
慈しみ深い救い主であるという確信が強くなり、
彼のご品性がもっと美しく見えてくることであろう。
・・・
主は祈る魂を引き上げて、
その尊い愛を感じさせてくださる。
我々は彼の近くにいて、
彼とのすばらしい交わりを保つことができる。
我々は彼の優しさとあわれみをはっきりと見、
我々に与えられる愛を思い、
心は砕かれて溶けてしまうのである。
我々は、
確かに魂の中にキリストが宿っているということを感じる。
我々は彼につながっており、イエスと共にいてくつろぐ。
約束が心に流れ込んでくる。
・・・
我々は神の愛を実感し、その愛のうちに安らぐ。
それを言い表せる言葉はない。
それは知識を越えている。
Letter 52. 1894年
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