2011年1月26日水曜日

瞑想は愛と友情に導く



イエスのみ手の中で、
完全な休みを得なさい。

主の大きな愛をよく考えなさい。

我々が彼を信じるために、
その自己否定や
払われた無限の犠牲を瞑想するなら、
聖なる喜び、穏やかな平安、そして
言いあらわしようもない愛で心が満たされるであろう。

イエスのことを話し、
祈りの中でその名を呼ぶとき、
彼は我々の個人的な
慈しみ深い救い主であるという確信が強くなり、
彼のご品性がもっと美しく見えてくることであろう。

・・・

主は祈る魂を引き上げて、
その尊い愛を感じさせてくださる。

我々は彼の近くにいて、
彼とのすばらしい交わりを保つことができる。

我々は彼の優しさとあわれみをはっきりと見、
我々に与えられる愛を思い、
心は砕かれて溶けてしまうのである。

我々は、
確かに魂の中にキリストが宿っているということを感じる。

我々は彼につながっており、イエスと共にいてくつろぐ。

約束が心に流れ込んでくる。

・・・

我々は神の愛を実感し、その愛のうちに安らぐ。

それを言い表せる言葉はない。

それは知識を越えている。


                        Letter 52. 1894年

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