我々が熱心に求めれば、
神は喜んで同様の祝福を
与えようとしておられる。
主はみ霊を
初期の弟子たちに
注がれた後、
天の倉に
錠をかけられなかった。
我々もまた、
彼の満ちあふれる祝福を
受けることができよう。
天は主の恵みの宝で満ちており、
信仰をもって神の所に来る者は、
彼が約束なさったすべてのことを
要求することができよう。
もし我々が彼の力を得ていないのであれば、
それは我々が霊的に無気力、無関心、
また怠惰である故である。
この形式的で死んだような状態から
抜け出そうではないか。
Review and Herald 1889年 6月 4日
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