キリストは、
罪がもたらした嘆きと悲しみを
負うお方として示されている。
そして、
彼は実際に、我々に同情なさる友で
あるだけでなく、
我々の身代わりとして、
このことを行われるのである。
それ故、
我々の利己主義、不親切な気分、怠惰、悪習慣や悪行などの罪は確実に、
断固として捨て去るべきものである。
サタンと絶交する者は、彼に誘惑の余地を与えない。
キリストのみもとに来る魂は、
キリストは罪を負うお方であると考えなければならない。
・・・悔い改める魂は彼を救うために備えられた救い、
罪のうちにあってでなく、
彼の罪からの救いを信仰によって捕らえなければならない。
罪を負うお方として、キリストは罪を取り去り、
罪人を彼の不健全な霊的状態から救って下さるに違いない。
Manuscript 56. 1900年
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