2011年1月31日月曜日

神は忠実な・・


またわたしは、
天からの声がこう言うのを聞いた、
「書きしるせ、
『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。

御霊も言う、
「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、
そのわざは彼らについていく」。

ヨハネの黙示録 14:13

・・・

地上には90歳を過ぎた人々が生きている。

当然の結果として、老齢の彼らには弱さが見られる。

しかし、彼らは神を信じ、神は彼らを愛しておられる。

神の印が彼らの上に押されている。

彼らは、
主が「主にあって死ぬ死人はさいわいである」
と言われた者のうちに数えられるであろう。

彼らはパウロと共に、
「わたしたちは戦いをりっぱに戦いぬき、
走るべき行程を走りつくし、
信仰を守りとおした。

今や、
義の冠がわたしを待っているばかりである。

かの日には、
公平な審判者である主が、
それを授けてくださるであろう。

わたしばかりではなく、
主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも
授けて下さるであろう」と言うことができる。

戦いをりっぱに戦いぬき、
信仰を守りとおした故に、
主が尊ばれる多くの白髪の人々がいる。


Letter 207. 1899年





2011年1月30日日曜日

きよらかな雪の日に


今日 1月30日(日)10:00AM
品川芙紗子さん(66歳)の告別式にて

お棺の中のふうさんは穏やかなお顔をして眠りについておられました。

大和の山は雪が積もり時折雪が降ったりしていました。

この世でのすべてのなすべき働きを終え
あとはよろしくとばかりに逝ってしまわれました。

不完全な私のようなものに「あとはよろしくね~」といって
風のように去って行かれたような気がしています。

きよらかな雪の日に、
ふうさんの優しい笑顔が浮かんでは消えてゆきます。

一面の雪に覆われた広島三育学院のキャンパスと教会は
ふうさんの告別式にふさわしい風景でした。

清められた純白の世界でした。

ふうさんの声が聞こえてきそうでした。

ブログ「天使のはしご」
<http://yaplog.jp/ten-hashi/>     1月29日に
けろちゃんが追悼でふうさんの記事を書いてくださって
いるのでうれしいです。

12月4日に今治教会で「神の愛」の賛美を
ふうさんのリードで歌ったのがそこにユーチューブの
アップで載っておりますのでふうさんが偲べます。

28日夕方、教区総会から帰宅し、
体調が悪いので病院にご自分で運転して行かれたそうですが、
大したことはないとの診断で家に帰られました。

ご主人は先に休まれ、
ふうさんが台所にたおれられているのを
朝5時ごろ ご主人が見つけられたそうです。

たぶん、11時ごろ亡くなったのではないか
との見立てだそうです。


坪井まゆみ

涙で種まき、喜びの収穫



よい種は、
しばらくの間は、
冷淡で利己的な
世俗を愛する心の中に置かれて、
それが根をおろしている様子を
外部からは見ることができないが、
やがて、
神の霊が魂の上に吹きかけられると、
埋もれていた種から芽がはえてきて、
神の栄光のために、
実を結ぶようになるのである。

わたしたちの一生の仕事の中でも、
どれが実るようになるのかよくわからない。

これであるか、あれであるかがわからない。

しかしこれらは、
わたしたちの決定すべき問題ではない。

わたしたちは、自分の本分を尽くして、
結果を神にゆだねればよいのである。

「朝のうちに種をまけ、夕まで手を休めてはならない。
実るのは、これであるか、あれであるか、
あるいは二つともに良いのであるか、
あなたは知らないからである」(伝11:6)。

「地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も、
・・・やむことはないであろう」と
神のお与えになったお約束は語っている(創8:22)。

農夫は、この約束を信じて、土地を耕し、種をまくのである。

わたしたちも、霊的の種まきを、
これと同じようにすべきである。

「このように、わが口から出る言葉も、
むなしくわたしに帰らない。
わたしが喜ぶところのことをなし、
わたしが命じ送った事を果す」(イザヤ55:11)。

「種を携え、涙を流して出て行く者は、
束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう」(詩126:6)。

という神の約束を信じて働かなければならない。


                    キリストの実物教訓 44、45

2011年1月28日金曜日

預言による民

我々の魂は天の賜物に飢えるべき



我々は、
信仰を持って神の前に行き、
神は我々のため、
また我々が
救おうとしている人たちのために
働いて下さることを信じて、
嘆願しなければならない。

熱心な祈りのために
もっと時間をささげなければならない。

幼な子のように信頼する信仰を持って、
天の父の前に行き、
すべての必要を申し上げるべきである。

神はいつでもゆるし、
助ける用意をしておられる。

天の知恵は無尽蔵なので、
主は十分に引き出すよう奨励なさる。

霊的な祝福を得たいという我々の願望は、
次の言葉で述べられている。

「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、
わが魂もあなたを慕いあえぐ。」

天が与えてくれるはずの豊かな賜物を、
もっと深い渇きをもって求める必要がある。

我々は義に飢え渇かねばならない。

ああ、我々が経験的な知識によって神を知ろうとし、
信仰の手を伸ばし、
救って下さる力あるお方に無力な魂をゆだねて、
至高者の謁見室に行こうという熱烈な願望を持つように!

神のいつくしみは命にまさる。


                      Manuscript 38. 1905年

2011年1月27日木曜日

西日本教区長

   
引き続き

   藤田 昌孝 牧師 です。

                  拍手

「宣べ伝えよう神の恵み」
〝私たちも、祈りつつ働かせていただきましょう〟

 

2011年1月26日水曜日

教団総会が終わりました


新総理(理事長)は 島田真澄 牧師

詳しくは

教団ホームページをご覧ください。


瞑想は愛と友情に導く



イエスのみ手の中で、
完全な休みを得なさい。

主の大きな愛をよく考えなさい。

我々が彼を信じるために、
その自己否定や
払われた無限の犠牲を瞑想するなら、
聖なる喜び、穏やかな平安、そして
言いあらわしようもない愛で心が満たされるであろう。

イエスのことを話し、
祈りの中でその名を呼ぶとき、
彼は我々の個人的な
慈しみ深い救い主であるという確信が強くなり、
彼のご品性がもっと美しく見えてくることであろう。

・・・

主は祈る魂を引き上げて、
その尊い愛を感じさせてくださる。

我々は彼の近くにいて、
彼とのすばらしい交わりを保つことができる。

我々は彼の優しさとあわれみをはっきりと見、
我々に与えられる愛を思い、
心は砕かれて溶けてしまうのである。

我々は、
確かに魂の中にキリストが宿っているということを感じる。

我々は彼につながっており、イエスと共にいてくつろぐ。

約束が心に流れ込んでくる。

・・・

我々は神の愛を実感し、その愛のうちに安らぐ。

それを言い表せる言葉はない。

それは知識を越えている。


                        Letter 52. 1894年

2011年1月25日火曜日

喜んで行い



喜んで行い そして 

行ったことを喜べる人は

幸福である


ゲーテ



2011年1月24日月曜日

錠がかけられていない天の倉


我々が熱心に求めれば、
神は喜んで同様の祝福を
与えようとしておられる。

主はみ霊を
初期の弟子たちに
注がれた後、
天の倉に
錠をかけられなかった。

我々もまた、
彼の満ちあふれる祝福を
受けることができよう。

天は主の恵みの宝で満ちており、
信仰をもって神の所に来る者は、
彼が約束なさったすべてのことを
要求することができよう。

もし我々が彼の力を得ていないのであれば、
それは我々が霊的に無気力、無関心、
また怠惰である故である。

この形式的で死んだような状態から
抜け出そうではないか。

     Review and Herald 1889年 6月 4日

2011年1月23日日曜日

歓喜を獲得する


最も すぐれた人々は

苦悩をつき抜けて歓喜を獲得する


ベートーヴェン



2011年1月21日金曜日

寒中お見舞い申し上げます



毎日 寒い日が続きますが、
主のお守りのうちにお過ごしになられますよう
お祈りいたします。

投影

2011年1月20日木曜日

あわれみと正義の結合が救いを完成する


雲の中の虹が
日光と夕立の結合によって
生じるように、
神のみ座の上の虹は
神のあわれみと正義の
結合された力を表している。

維持されなければならないのは
正義だけではない。

なぜなら、
それは玉座の上の虹の栄光を
覆い隠すことになり、
人はただ律法の刑罰だけを見ることができるだけである。

もし公正と、罰則がなければ、
神の政府には安定性がないであろう。

正義とあわれみが混じることによって
救いが完成するのである・・・


                         Maranatha  326

2011年1月19日水曜日

聖書は


聖書は、
特に神の恵みを受けた
善人たちの失敗を、
そのまま記録している。

実のところ、
彼らの美徳よりも、
むしろ欠点のほうを
詳しく書いてあるくらいである。

多くの人々は、このことを不思議に思い、
無神論者は、このために聖書を軽べつする。

しかし、
聖書が真実であるという最大の証拠は、
事実を修飾せず、聖書の主要な人物の罪さえも
おおい隠していないことである。

人間の心は偏見をいだきやすいもので、
人類歴史が絶対的に公平であるということはあり得ない。

もしも聖書が、霊感を受けない人間の書いたものであれば、
疑いもなく、これらのりっぱな人物の品性も、
さらに美化して書いていたことであろう。

しかし、われわれは、ここに、
彼らの経験が正しく記録されたものを持っている。


                   人類のあけぼの 上 269

2011年1月18日火曜日

幸福になるほんとうの秘訣


幸福になる ほんとうの秘訣
それは
現在に生きること

いつまでも
過去のことを悔やんだり

未来を思いわずらったりしていないで

今 この瞬間から
最大限度の喜びをさがすこと


ウェブスター
(1876~1916)
 アメリカの女流作家  代表作『あしながおじさん』



2011年1月17日月曜日

すべての贈り物は主のもの




あなたに託された所有物を
神に返しなさい。

そうすれば、
さらに多くのものが
あなたに託されるであろう。

あなたの所有物を
自分だけで保持するなら、
あなたがこの世で
報いを受けることはなく、
来るべき世の報いも
失うであろう。


Youth's Instructor 1901年 6月 6日

2011年1月16日日曜日

自分がしあわせかどうか


自分がしあわせかどうか問わなくてもよい

しかし

あなたとともにいる人がしあわせかどうかは問うがよい


作者不明


2011年1月14日金曜日

2011年1月13日木曜日

道徳的暗黒が濃い時代



エノクが神と共に歩む一方、
彼の周囲の世は、
聖なる歴史が記すように、
「主は人の悪が地にはびこり、
すべてその心に思いはかることが、
いつも悪いことばかりであるのを
見られた。」

エノクの正しい生活は、
彼の周りの邪悪な人々とは
著しい対照をなしていた。

彼の信心、彼の純粋性、彼の不動の完全性は、
神と共に歩んだ結果であった。

一方、世の邪悪は、
人類を欺く者と歩む結果であった。

エノクが落ち度のない義の生活を送った時代ほど、
道徳的暗黒が濃い時代はなく、
今後も決してないであろう。


                 Manuscript 43. 1900年

2011年1月12日水曜日

「子は親の鏡」





けなされて育つと、子どもは人をけなすようになる


とげとげした家庭で育つと、子どもは乱暴になる

不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもはみじめな気持ちになる

子どもを馬鹿にすると、引っ込み思案な子になる

親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる

叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは自信を持つようになる

広い心で接すれば、キレる子にはならない

誉めてあげれば、子どもは明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは人を愛することを学ぶ

認めてあげれば、子どもは自分が好きになる

見つめてあげれば、子どもは頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは思いやりを学ぶ

親が正直であれば、子どもは正直であることの大切さを知る

子どもに公平であれば、子どもは正義感のある子に育つ

やさしく思いやりを持って育てれば、子どもはやさしい子に育つ

守ってあげれば、子どもは強い子に育つ

和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる


         ドロシー・ロー・ノルト『子どもが育つ魔法の言葉』(PHP文庫)~石井千春:翻訳ver.

第1期 暗唱聖句ミニ本

今治キリスト教会 企画・作成の暗唱聖句ミニ本

プリントアウトして、ご利用ください。




印刷前に、「プレビュー」画面で、用紙の向き(縦横など)をご確認ください。

2011年1月11日火曜日

真理対世の知恵


キリストを信じる柔和で謙遜な者にとって
最高に価値がある真理という尊い宝石は、
世の評価で賢いとされる人々にとっては愚かである。

だが真理、永遠の真理は、
常に真の信者と共にある。

み霊は、そのような魂の、
定められた教師であり、案内人であり、
彼の絶えざる力また義である。


Manuscript 29. 1899年


2011年1月10日月曜日

静まって神を知れ


神の訓練を受けているすべての者のうちには、
世とその慣例や習慣に一致しない生活があらわされる。

だれでもみな、
神のみこころを知るために、
個人的な経験をする必要がある。

われわれは、
神が心に語られるのを個人的にきかねばならない。

ほかの声がみな沈黙して、
静けさのうちに神の前に待つとき、
魂の静寂は神のみ声を一層明らかにする。

神は、
「静まって、わたしこそ神であることを知れ」と
われわれに命じておられる(詩篇46:10)。

ここにだけ真の休息がみいだされる。

これこそ神のために働くすべての者にとって効果的な準備である。

あわただしい群衆の中にあって、
人生の激しい活動の緊張のうちにあって、
このように活気づけられた魂は、
光と平和の雰囲気にとりかこまれる。

その生活はかぐわしい香りを放ち、
人々の心に達する神の力をあらわすのである。

各時代の希望 中 102



2011年1月9日日曜日

多様性における一致


神の民の力は、
神のひとり子を通しての
神との一致、
そしてお互いの一致のうちにある。

全く同じ木の葉は二つとないように、
すべての人の心が同じ方向に
動くこともない。

しかしそうであっても、
多様性における一致はあり得る。

キリストは我々の根であり、
この根につながれている者は皆、
キリストが結んだ実を結ぶであろう。

彼らは、
話をする才能に、また、そのもてなし、親切、
クリスチャンの礼節や天の礼儀を培うことによって、
キリストの品性の香りを表すことであろう。

・・・・・

神は、
個人として生きることを学ばねばならないところに
我々を置かれる目的を持っておられる。

我々は全員が同じ種類の働きをするのにふさわしい訳ではなく、
各自の働きは神によって、
神のご計画を成し遂げる助けとなるように意図されている。


                 Review and Herald 1899年 7月 4日

2011年1月7日金曜日

2011年1月6日木曜日

みかんの皮で作りましょ


「オレンジクリーナー」

みかんの皮の活用です。
とっても簡単で、家中もきれいになります。

・・・(作り方)・・・

みかんの皮を洗って鍋に入れます。

水を、いい加減に入れます(笑)
皮一個分に水100ccくらい・・・

火にかけて沸騰してから5分くらい煮て火を止め
そのまま冷まします。

冷めたら、漉して容器に入れます。
スプレー容器でもいいです。

冷蔵庫保存で2週間くらいのうちに使い切ります。


レンジ、流し、ガスコンロの掃除に使うと、
ピカピカになります。

・・・柑橘系の香り・・・は、そんなに残りませんが、
気に入っています。

乾いた雑巾に、このクリーナーをドバッ!とふりかけ、
あちこち拭き掃除します。

フローリングの拭き掃除にも良いです。
みかんの皮の成分が
ワックス効果もあるようで・・・・

死というものは


死というものはほんとうに遠いようで、
近いものです。

その意味で、
いつも死というものをある程度
意識して生きることができたら
すばらしいと思います。


*人間としてどう生きるか




2011年1月5日水曜日

神の監督の下にある人間



人間の自然な生体は
神の監督の下にある。

けれどもそれは時計のように、
ねじが巻かれた後は勝手に
自分で動かなければならない、といった
ようなものではない。

心臓の鼓動による脈拍が次の脈拍を生み、
呼吸は次の呼吸へとつながる。

しかし、
全存在は神の監督の下にある。

「あなたがたは神の畑であり、神の建物である」。

「神にあって我々は生き、動き、存在している。

一つ一つの鼓動、一つ一つの呼吸が、
アダムの鼻孔に命の息を吹き込まれた神のインスピレーション(霊)である。

それが「わたしは有る」といわれる大いなる永遠の神の
インスピレーションなのである。

                                                            Review and Herald  1898年 11月 8日

2011年1月4日火曜日

行動したというそのことが重要


自分が行動したことすべては取るに足らないことかもしれない。
しかし、
行動したというそのことが重要なのである。


Whatever you do will be insignificant, but it is very important that you do it.


ガンディー[ガンジー]

2011年1月3日月曜日

断固として抵抗すべき悪習慣



キリストは、
罪がもたらした嘆きと悲しみを
負うお方として示されている。

そして、
彼は実際に、我々に同情なさる友で
あるだけでなく、
我々の身代わりとして、
このことを行われるのである。

それ故、
我々の利己主義、不親切な気分、怠惰、悪習慣や悪行などの罪は確実に、
断固として捨て去るべきものである。

サタンと絶交する者は、彼に誘惑の余地を与えない。

キリストのみもとに来る魂は、
キリストは罪を負うお方であると考えなければならない。

・・・悔い改める魂は彼を救うために備えられた救い、
罪のうちにあってでなく、
彼の罪からの救いを信仰によって捕らえなければならない。

罪を負うお方として、キリストは罪を取り去り、
罪人を彼の不健全な霊的状態から救って下さるに違いない。

                                Manuscript 56. 1900年

2011年1月2日日曜日

口は禍の元


口は禍の元


The mouth is the cause of calamity.