み座の前のセラピムは
神の栄光を見ていて、
うやうやしい畏敬の念に満たされているので、
彼らは自己満足の思いで自分を見たり、
自分や互いを賞賛する思いで
見たりすることは一瞬もない。
彼らの讃美と賞賛は
高く上げられた万軍の主のためであり、
その衣のすそは神殿に満ちている方へのものである。
彼らは、
全地が神の栄光で満ちる未来を見て、
讃美の勝ち歌が豊かな旋律の聖歌の中で次々に反響する、
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主」。
彼らは神に栄光を帰すことに満足しきっており、
神の臨在の中で、
神の是認というほほえみの下、
彼らにはそれ以上望むものは何もない。
神のみかたちを身につけて、
神に仕え、
神を礼拝することによって、
彼らの最高の大望は完全に達成されているのである。
Review and Herald 1896年 12月 22日
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