
キリストは、種まきのたとえによって、
天国のことを、大いなる農夫であられる神が、
神の民のために何をなさるかをお教えになった。・・・
罪からの救いを求めるのではなくて、
苦しみを避けるために、
福音を受けいれるものが多くいる。
宗教とは、
困難や試練から人間を解放するものであるかのように思っているから、
しばらくは喜んでいる。
彼らは生活が平穏な間は、
堅実なクリスチャンらしく見えるであろう。
しかし、はげしい誘惑に出会うと倒れてしまう。
彼らは、キリストのためにうける恥辱に耐えることができない。
神のことばが、心に秘めた罪を指摘し、
克己と犠牲を要求したりすると、
彼らはつまずいてしまうのである。・・・
神に仕えていると言いながら、
神に関する体験的知識を持っていないものが多い。
神のみこころを行いたいという願いも、
ただ一時の気まぐれによるもので、
心が聖霊に深く感動したためではない。
彼らの行動は、神の律法と一致していない。
口ではキリストを救い主として信じると言いながら、
キリストが彼らに罪に打ち勝つ力をお与えになることを信じない。
彼らは、生きた救い主と個人的接触がなく、
彼らの品性は、先天的、
および後天的欠陥を示している。・・・
真のきよめとは、
神への奉仕に専念することである。
これが真のクリスチャン生活の条件である。
キリストは、何一つ保留しない献身、
完全な奉仕を求めておられる。
キリストは、心と思いと魂と力とをご要求になる。
自己に執着していてはならない。
自己のために生きるものは、クリスチャンではない。
キリストの実物教訓 10. 24-26
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