2008年9月9日火曜日
強い者は弱い者の弱さを負うべき
われわれは、
主に心から奉仕することができさえすれば、
何になってもよいし、
あるいは何にもならなくてもよいのである。
われわれは、
主のためなら、
イエスにならって十字架を負い、
試練と恥と迫害に耐えることをよろこぶのである。
「わたしたち強い者は、
強くない者たちの弱さをになうべきであって、
自分だけを喜ばせることをしてはならない」(ローマ15:1)
どんな魂でも、
信仰が弱く、
幼い子供のように足がよろめいても、
キリストを信じている限り、
軽く評価されることはない。
われわれに他人よりも有利な点があったら、
それが教育であろうと教養であろうと、
高潔な品性であろうと、
クリスチャンとしての訓練であろうと、
宗教経験であろうと、
われわれは、
われわれよりも恵まれていない人々にそれだけの負債があるのであって、
力の及ぶかぎり、
そうした人々に奉仕すべきである。
もしわれわれが強い者であったら、
弱い者の手をささえねばならない。
栄光の天使たちは、
天においていつも天父のみ顔を仰いでいるが、
神の子どもたちに奉仕することをよろこぶ。
天使たちは特に、
品性に多くの好ましくない傾向があるためにおののいている魂を見守っている。
天使は、
最も必要とされる場所におり、
また自己と最も困難な戦いをたたかい、
最も落胆させられるような境遇のうちにある人々といっしょにいる。
そしてキリストに真に従う者は、
この奉仕において協力するのである。
もしこうした小さな者たちの一人が敗北し、
あなたに対して悪いことをするならば、
その時彼を立ち直らせることがあなたの働きである。
先方から和解してくるのを待ってはならない。
(各時代の希望 中 219、220)
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