ヤコブの手紙4:8、9
(マタイ5:4 Ⅱコリント7:10)
「苦しめ、悲しめ、泣け。
あなたがたの笑いを悲しみに、
喜びを憂いに変えよ」。
快活で、喜びに満ちているのは結構なことである。
真理によって清められ、心の快活さを養成するのは結構なことである。
しかし、愚かなしゃれや冗談、軽率さ、ふざけた言葉や
他人を批判したり非難することにふけるのは間違っている。
信仰を告白しても、
このような人々は欺かれているということが第三者には分かる。
人々は、このような信仰告白者の手が清められ、
彼らの心は清められる必要があるということを知っている。
彼らは真の罪の悔い改めを経験する必要がある。
彼らは何を悲しまなければならないか。
彼らは自らの罪への傾向を悲しむべきであり、
内面の堕落と外側の誘惑からくる危険性を悲しむべきである。
彼らは罪の恐ろしさについて非常に弱い認識しか持っておらず、
罪を構成しているものについては、
ほとんど知らないということを恐れるべきである。
Letter 13. 1893年
0 件のコメント:
コメントを投稿