2008年6月9日月曜日

たのしみは

幕末の歌人で、
橘曙覧(たちばなあけみ1812-68)という人がいます。

彼は今の福井市に、裕福な紙問屋の長男として生まれましたが、
江戸に遊学したのち、飛騨高山で本居宣長門下の国学を学びます。  

35歳のときに家業と財産の全て譲り、
妻子と共に福井郊外の足羽山中腹に住みました。

家は小さなほったて小屋です。
藩主から、講議の誘いもありましたが、
「有り難いけれども自分は こうやって暮らしてゆくほうがいい」
と言って断わります。  

奥さんも子供たちもその貧乏暮らしにつきあうわけで、
なかなか大変だっただろうと思います。  

彼の短歌で生きる楽しみを詠った「独楽吟」という52首の連作があります。
その一部をご紹介いたします。

たのしみは珍しき書人に借り   
はじめひとひらひろげたる時

たのしみは妻子睦まじく打ち集い   
かしらならべて物を食う時

たのしみは朝起きいでて昨日まで  
なかりし花の咲ける見る時

たのしみは心にかのう山水の  
あたり静かに見てありく時

たのしみはあき米櫃に米いでき  
今一月はよしといふとき

たのしみは物識人に稀に逢いて  
いにしえ今を語り合う時

たのしみは稀に魚煮て子等皆が  
うましうましといいて食う時

たのしみはそぞろ読ゆく書の中に  
我とひとしき人を見し時

たのしみは書よみ倦(うめ)るをりしも  
あれ声知る人の門たたく時

たのしみはそぞろ読み行く書の中に  
われとひとしき人を見し時

たのしみは家内五人いつたりが  
風邪だに引かでありあえる時

たのしみは機おりたてて  
新しきころもを縫て妻が着する時

たのしみは三人の子供すくすくと  
大きくなれる姿見る時

たのしみは人も訪い来ず事もなく  
心を入れて書を見る時

たのしみは小豆の飯(イイ)の冷えたるを  
茶漬けてう物になして食う時

たのしみは神のみ国の民として 
神の教えを深く思う時

たのしみは鈴屋大人(本居宣長)の後に生まれ  
そのみさとしを受くる思う時
 
どれも、なんでもないたのしみです。

家族が集まって食事をしていることとか、
子供達が大きくなった姿をみることとか、
ようやく米を買うことができてこれで一か月は食べられるとか、
朝起きてみたら昨日までなかった花が咲いているのを見ることとか、
読んでいる本の中に自分と同じ人をみつけることとか、
本にも読みあきたときにタイミングよく訪ねてきた知人の声を聞くこととか、
どれもこれも平凡なことです。  

橘曙覧はそういうことすべてにたのしみを見い出しては、
ひとつひとつを大切にして、喜びとした人です。
やせがまんではありません。

米櫃が空っぽの日もある貧乏暮らしでしたが、
日々の楽しみをたっぷりと生きた人です。  

普通、人は貧しさを全部不満の種にしまいがちです。
もっとお金が欲しいとか、もっと偉くなりたいとか、
いつも自分の現状に不満のまま一生を送る人がおおいこの世の中で、
橘曙覧は生き方の達人であったと思います。  

明治時代になって正岡子規が橘曙覧の歌集を読み、
何と凄い人だとびっくりして、
橘曙覧を源実朝以後最高の歌人だとよんでいるほどです。
                      (たいら「閑話抄」参照)

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、
神があなたがたに望んでおられることです」(テサロニケⅠ 5:16~18)

                     SDA大阪センター教会牧師 藤田昌孝

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