[ピリピ3:8、9を引用]
以前には、非常に価値があると思っていた義が、
今や、パウロの目には価値のないものとなった。
彼自身の義は不義であった。
彼の魂の大きな願いは
「キリストとその復活の力とを知り、
その苦難にあずかって、
その死の様と等しくなる」
ということであった。
パウロは救い主の恵みを体験的に知りたいと願った。
彼は、キリストの教会を迫害した
自分すら救うことのできる主の力に信頼した。
彼にとっては、
キリストを知る知識という賜物に匹敵する価値を
持っているものは何もなかった。
Manuscript 89.1903年
0 件のコメント:
コメントを投稿