2007年11月5日月曜日

神の隠された臨在


8月23日の『TIME』誌に、
「Her Agony」(彼女の苦痛)という記事が載っていました。
「マザー・テレサ没後10年、彼女の秘密の手紙が明かす、
50年間の彼女の信仰の危機。
彼女の経験は私たちに何を教えるか?」という小見出しに
はじまる6ページにわたる記事です。

 大和カルバリーチャペルの副牧師、柴田順一牧師が
お礼拝の中で上記の記事を要約しておられました。
この要約に助けていただきながら、記事の一部をご紹介
させていただきます。

 次の内容は、マザー・テレサの恩師、修道院長の
コロディエ・チャック司祭に宛てた手紙の一部です。

「私には沈黙と闇とがあまりにも深くて、神様がいらっしゃることを
見ようと思っても、見ることができません。
神様の声を聞こうと思っても、聞こえません。
私の魂は飢え渇ききって真っ暗です。

 空しくて、孤独に耐えられません。私は神様の沈黙の中で、
天の存在や、神様の存在さえも一度は疑いました。
私の笑顔は私の心を隠すマスク、お面です。
私の笑顔はすべてを覆い隠す外套のようです。

 私には祈ろうと思っても、祈る言葉さえ出てきません。
どうか私が神様のお働きを破壊したり、神様の栄光を損なったり
しないよう、祈ってください。
この暗闇の中で、私がイスカリオテのユダにならないよう、
どうか私のために祈ってください」。

 マザー・テレサと聞けば、その類まれな信仰を連想するのは
私だけでしょうか。
不動の信仰、深く堅固な信仰。卓越した信仰者としてマザー・テレサを
思い浮かべます。

 しかし、この手紙を読むと、あのマザー・テレサにも信仰の葛藤、
魂の暗闇があったことがうかがえます。
彼女はひょっとすると私たちと同じように、罪や弱さや痛み、苦しみを
抱えながら、それでも神様のお力に頼みつつ、神様と人とにお仕えして
いたのかもしれません。

 前述のコロディエ・チャック司祭は記事の中で次のように語っています。

「たとえ彼女がキリストの臨在を感じることができなかったとしても、
それはキリストが彼女と共におられなかったということではない。
むしろ彼女がそう感じることによって彼女の切なる飢え渇きが彼女をして、
絶大なる神の大いなる働きをなさしめたのであり、それは彼女に与えら
れた神の恵みの一片であった。

 彼女が自分の信仰の弱さ、足りなさ、罪深さに悩み苦しみ、痛んだ
その量に比例してゆくかのように、神は彼女を通してさらなる偉大な神の
栄光の御業を現していったのである」。

 彼女の信仰を助けた、ジョセフ・ニューナー氏は、マザー・テレサが経験
した魂の闇のことを「神の隠された臨在」と呼んでいます。
彼女はその闇の中にあって、神のおられることを信頼し、受けいれ、
最後まで仕えたというのです。

 以下は、1947年のマザー・テレサの祈りの一部です。 「神よ、私は
どうして、他の多くの人々のように、立派な主の修道女となることができ
ないのでしょうか。主よ、私は何を語ったらいいのかわからないほどの
全くの愚かな者です。

 しかし主よ、それでもあなたが、私を必要としているのであれば、
あなたの御心をこの身に行わせてください」。

すると神様がこのように語ったといいます。

「私はインドの貧しい者、病んでいる者、飢えている者、今死のうとして
いる者たちの間に、私の愛の炎を燃やしてくれる僕を探している。
たしかにあなたは弱く、罪深く、何も持たない、何もできない者であるかも
しれない。

 しかし私はそんなあなたを、私の偉大な栄光のために用いたい。
しかし、あなたはそれを断るか?」。

 次の年1948年1月彼女は一人、カルカッタの道端に立っていました。
そしてその働きを始めます。
マザー・テレサ36歳の時でした。
                         
                   SDA大阪センター教会牧師 藤田昌孝

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