2007年11月30日金曜日

風流と我流

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最も豊かな祝福

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2007年11月29日木曜日

真理は勝利する



キリスト教徒を名乗るすべての人に
なすべき働きがある。

今日、天からの声が厳粛にあなたを呼んでいる。
この声に耳を傾け、いかなる場所においても、
能力に応じてただちに仕事にかかりなさい。

あなたはなぜここに一日中何もしないで立っているのか。
あなたにはためすべき働き、あなたの最善のエネルギーを
要する働きがある。

人生のすべての尊い瞬間は、あなたが神か同胞に
負うところの何らかの義務に関係しているのである。・・・

                  Sons and Daughters of God 278

2007年11月28日水曜日

自然の中で絶えず働いておられる神


神は自然界の中で絶えず働いておられる。
自然は、神がよしとされるように監督されている
神の僕である。

自然の営みは、意のままにすべてのみわざの中で
働かれるお方の知的存在と活動を証している。

年々地球が惜しみなく物を産出し、世界が太陽の周りを
絶えず行進し続けているのは、自然の中に本来備わっている
元々の力によるのではない。
無限の力の御手が絶えず働いてこの惑星を導いておられる。

地球の回転において位置を保っているのは一瞬一瞬働いて
おられる神の力である。

天の神は絶えず働いておられる。
植物が茂り、葉が現れ、花が咲くのは、
神の力によるのである。

脈を打ち、呼吸を続けることは、いったん仕掛けられた働きが
その仕事を続けているというような機械作用の結果ではない。

神のうちに我々は生き、働き、存在を保っている。
すべての呼吸、すべての心臓の鼓動は、常にそこにある
神の力の絶えざる証拠である。


                      Manuscript 4. 1882年

2007年11月26日月曜日

そのぶん


人生は
努力したぶん
豊かになり

愛したぶん
美しくなり

心を開いたぶん
豊かになり

耐えたぶん
成熟するのです。

2007年11月25日日曜日

広島三育学院生がやってきた

昨日11月24日(土)
広島三育高校から
人形劇部が先生お二人としまなみ海道を渡って、
バスで来てくださいました。

お礼拝は学生さんお二人の証、
特別讃美歌もコーテットがしてくださいました。

今治教会でははりきって?
お昼に新種のみかんなどをご用意しました。

午後からは
「郷本町ちっちゃいものくらぶ」で公演をしてくださいました。

ふたつの演目とその後のクイズ大会、
また、ゲーム大会もしてくださり、
小学生は大喜びでした。
今回は、連休のなか日ということもあり、
通常よりも少ない参加でしたが
(子供約25名、大人9名)

連休もお仕事中の親御さんが喜んで連れてきてくださり、
どこにも行けないこどもたちには、
とっても楽しい時間になりました!

 その後も、帰るまでたくさん遊んでくれて、
帰って行くバスを残っている子供が追いかけて大騒ぎでした。

また、学院からきてね!


他にも写真が見れます。

http://yaplog.jp/ten-hashi/

今治けろちゃん

キリストの恵みに満たされる



 まず、密室でよく祈ってから、
人々のために個人的努力を始めなければならない。

というのは、救霊の科学を理解するためには、
大きな知恵が必要だからである。

人に語る前に、キリストと交わりなさい。

天の恵みの座において、人々に奉仕をする準備をしなさい。

 あなたの心が、かわいているように神を慕い、
生ける神を慕ってくだかれるようにしよう。

キリストの生涯は人間がもし神の性質を持つならば、
一体何ができるかを示した。

キリストが神からお受けになったものはみな、
わたしたちも持つことができるものである。

だから求めて受けることにしよう。

ヤコブのような不屈の信仰と、切に求めてやまぬエリヤの
精神をもって、神の約束なさったことが全部与えられるように
求めなさい。

 あなたの心が、栄光に輝く神のことについての思いで
満たされるようにしなさい。

あなたの生活を、イエスの生涯にしっかりと結びつけなさい。

やみの中から光がてりいでよと仰せになった神は、
イエス・キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかに
するために、あなたの心を照らしてくださる。


                              希望への光 1241

2007年11月24日土曜日

「脳が冴える15の習慣」

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2007年11月23日金曜日

「大阪のおばちゃん」パワー

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2007年11月22日木曜日

主の祈り


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すべての思い煩いをゆだねる


◆いま何かの問題で悩んでいませんか。

どんな理由があれ、
困難であっても、
主にとって解決できない悩みはありません。

最大の問題はたぶん、
神が解決してくださるとは信じていても、
神が望まれる方法で解決してくださると信じていないことにあります。

あなたの場合はいかがですか。

2007年11月21日水曜日

すべての花は愛の表現

芸術の巨匠であられるお方は、
精神を持たない野の花々に
我々の注意を向け、
一つの花が持つ美しい色あいと
絶妙な色の濃淡を指し示された。

こうして神は、すべての人間のために
持っておられる大きな愛を示そうとなさった。

すべての花は、神の愛の表現である。

                      Letter 24. 1899年


際限のない多様性を持つ野の花々は、
常に人の子らのために奉仕している。

神はみ手の業によって和らげられ、
静められたすべての人に愛を表現することが
できるよう、ご自身ですべての草木を養われる。

人工の見せびらかしは必要でない。
神の愛は、美しい被造物によって表される。

これらの事柄は、
多くの人が考える以上の意味がある。

                       Letter 84. 1900年

2007年11月20日火曜日

「マクロビオティック料理講習会」

11月18日(日)
東京衛生病院の管理栄養士、秋山、志村さんをお迎えして、
今治教会初の「マクロビオティック料理講習会」を開きました。 今回は、特にマクロビということで、
調理実習のみではなく、
お二人による講義もお願いいたしましたが、
食に興味のある一般の方
(幼稚園の父兄から島からの参加者まで年代も様々)で、
大変熱心にきいていただき、また、実習も楽しく出来ました。
特に、調味料から添加物などなしで、
さらに粉関係、野菜なども出来るだけ、地元で撮れた物で、
無添加無農薬を求め、調理方法もマクロビならではのもので、
大変興味深かったです。

小さいこどもたちも、
今回は特に子供プログラムというわけではありませんでしたが、
食に興味のあるママ達の子供だからなのか、
玄米も食べて、野菜もがんがん食べていました。(うれしいです)


講習会後に感想のメールが入ってきていますが、
「講師2人のお肌のきれいさを見て、
やはり、食できれいになるべきだと感じ入った」
「子供に安全な食を考えたい」など、
これもびっくりでした。

ついつい固くなりがちなテーマかなと考えていましたが、
予想以上に喜んでいただけて感謝です。

料理講習会だと、
長欠のかたも、一般のかたも参加しやすいのですね! 

今治 けろちゃん 

2007年11月19日月曜日

マゴットセラピー


教会員の一人の方から次のような
新聞の切り抜きを見せていただきました。
以下がその内容です。

「ハエの幼虫を使った治療」(平成19年5月1日産経新聞)。

 糖尿病などで足が壊死する「難治性潰瘍」で
切断しか治療法のない患者さんに、
岡山大の三井秀也医師(心臓血管外科)が
「マゴット(ハエ幼虫)セラピー」という治療法を行ったところ、
9割の患者さんが足を切断せずにすみます。

 このマゴットセラピーは英国では保険医療が認められていて、
年間数百人が治療を受けています。
日本では壊死による足切断は3000例を超えるとされています。
治療が保険適用されれば多くの患者さんに朗報となります。
 国内では、これまで27カ所で約100例のマゴットセラピーが
行われました。このうち三井医師は66例を手がけておられます。

患者さんはいずれも他の医療機関で「即足切断か足切断の
可能性あり」と診断されましたが、治療の結果、58例で傷が完治し、
足切断せずにすんでいます。
 三井医師はオーストラリア留学にこの治療法を知ります。
平成16年に糖尿病などの合併症で足切断しか治療法のない
60代の女性に日本で初めて実施します。
潰瘍が1週間で半分の大きさになり、患者さんの痛みも軽減します。
 傷が完治したこの女性は3カ月で退院。
切断をまぬがれた足で歩行に努めたためか、その後の糖尿病の
コントロールも良好だといいます。

 マゴットセラピーは、壊死した皮膚にヒロズキンバエの幼虫を
ガーゼとともに固定して行います。
幼虫が腐敗した部分だけを食べ、傷をきれいにします。
同時に幼虫の唾液に含まれる物質が微生物を殺す役目を果たして
傷の回復を早めます。
 週に2回ほどガーゼを取り換え、2~3週間で効果があらわれるそうです。

 三井医師曰く「治療後に自分の足が残って、歩くことができれば、
糖尿病もコントロールしやすくなる。
全国どこの病院でも治療を受けられるようにして、1人でも多く
足切断から救いたい」。  驚きました。

ハエの幼虫と聞けば、私たちの印象は圧倒的にマイナスのイメージでしょう。

 しかしその幼虫が、切断されようとする患者さんの足を救うのです。
しかも、その救い方が壮絶です。
患者さんの腐敗部分だけを食べて、自分の中に取り込みます。
その代わりに唾液を出して傷口を癒すのです。
「神様は不思議なことをなさる」とつくづく思いました。
人々から忌み嫌われているようなハエの幼虫がこのようにして
患者さんの足を救うのです。

 ハエの幼虫とイエス様を比較するなど、とんでないことだと、お叱りに
あいそうですが、私はこの記事を読んで、すぐに頭に浮かんだのが、
イエス様のことでした。

 救い主なるイエス・キリストは、私たち全人類の罪(腐敗)全部を
ご自身のうちに取り込んで、十字架刑にあいました。
これは私たちが受けるべき罪の刑罰全ての身代わりです。
そしてなんと、イエス様の流されたその血は、私たちを清め、心の傷を
癒してくださるのです。
「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みで
あったのに、・・・。

 彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、
彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」
                    (旧約聖書イザヤ書53:3-5)。
「彼」とはイエス・キリストのことです。
「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである」
                         (新約聖書1ヨハネ1:7)。

                      SDA大阪センター教会牧師 藤田昌孝

2007年11月17日土曜日

イエスの思いで一つに


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2007年11月16日金曜日

主にゆだねれば


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2007年11月15日木曜日

落胆するな

自分の心がかたくなに見えるからといって
落胆してはなりません。

障害や心の中の敵は
すべてキリストの必要を増すに過ぎません。

キリストは石の心を取り去り肉の心を与える
ためにおいでになったのです。

自分の特別な欠点に勝利するために、
特別な恩恵をキリストに求めなさい。

誘惑に襲われたときには悪のそそのかしに対してかたく抵抗し、
自分の魂に向かって、「私はどうして救い主を恥ずかしめることが
できよう。キリストに献身しているのだから、サタンの働きはできない」
と言わなければなりません。

あらゆる偶像を犠牲にし、あらゆる罪の執着を断ちきるために、
愛する救い主に助けを叫びもとめなさい。

父なる神のみ座の前に立ち、その傷ついたみ手をさし出して
私たちのために弁護しておられるイエスを信仰の目をもって
ながめなさい。

とうとい救い主を通して力があたえられることを信じなさい。

                             青年への使命 106

2007年11月14日水曜日

「STAND 立ち上がる選択」



「昨日届いた本「STAND 立ち上がる選択」です。

著者の大藪順子(のぶこ)さんは、アメリカ在住の
フォトジャーナリストで、以前にもブログでご紹介
しましたが、大変すごい方だと感銘を受けました。
(ちなみに豊中の牧師家庭で育った方です)

キリスト教関係の書評だけでなく、朝日新聞など、
各種メディアに取り上 げられていますので、
もしかしてご存じの方もあるかも…。

この方は、大阪出身の方で、現在はアメリカ人のご主人と娘さん(2歳)と
アメリカで生活されているとのこと。

「思いもよらぬ事件が思いもよらぬ出発になる」というコピーの通り、
彼女がまだ独身でフォトジャーナリストとして働いていた頃に起きた事件
から、本ははじまっています。

内容は、もしもできたら、読んでいただければ良いかとも思いますが、
とにかく、この方の強さは、本当にびっくりするほどです。

もちろん、彼女も人間ですし、一人の女の人ですから、帯にもありますよ
うに、就寝中に不法侵入してきた男性にレイプされる、という被害で、
かなりのダメージを受けられていますし、フラッシュバック(本文中では
「フラッシュアタック」)に襲われたり、不眠症になったり、色々なことが
起こってきます。

それでも、私が彼女をすごいと思いますのは、裁判ではなから戦う気の
ない自分の弁護士と戦い、裁判長に訴え、そして懲役20年の刑を獲得し、
それでも、自分と神様との関係を考えながら生きていったこと、また、
最後の方に出てきますが、神様が彼女に望まれた「犯人に手紙を書く」と
いう行為を、選択していったこと…また、この経験を通して(望むと望まな
いとにかかわらず)自分と神様との関係性を見つめ直し、再び神様に
よって「立たされる場所」を見つけ、それが全米での性暴力被害者の写真
を(ポートレイト)を撮る、というプロジェクトにしていくこと。

私などには想像も出来ないほどの力強さとエネルギーと、そして信仰が
あるのだなあと感じました。

彼女が踏み込んだ領域は大変に深く、また傷つくことの多い領域です。
神様のご計画、というのは、人間の目からは時に、理解不可能に思われ
ますが、「全てを益としてくださる」という言葉の本質について、かんがえさ
せられました。

彼女がレイプ被害にあったあと、保護してくれた友人宅でたまたま開いた
聖書の一節が、この本のタイトルにもなっています。
(本では新改訳聖書になっています。)

"Stand. This matter belongs to you. Be strong and do it"

「立ち上がり なさい。これはあなたの仕事です。わたしはあなたを助けます。
心を強くしてこれを行いなさい。」エズラ10ー4 新改訳

「お立ちください。あなたにはなすべきことがあります。協力いたしますから、
断固として行動してください。」エズラ10ー4 新共同訳

先日から読んでいる故・遠藤嘉信牧師のエステル記を思い出しました。
望むと望まないとにかかわらず、神様が「立て」といわれる。

彼女の活動がたくさんの方の苦しみを、神様のさらに大きな祝福へと
連れて行ってくれるように思います。

この方の今後の働きに神様のたくさんの祝福がありますように。



今治 けろちゃん http://yaplog.jp/ten-hashi/

2007年11月13日火曜日

神の臨在


 だれかが次のように言っています。
「神が遠くにおられるように思われるとき、
離れてしまったのはだれでしょうか」。

私たちは何か問題に直面すると、
神に見捨てられたのではないかと考えます。

実際には、神はどこにも行っておられません。



 雑事に忙殺されるとき、
神がすぐ身近におられることを忘れがちです。

しかし、神はインマヌエル(「神は我々と共におられる」)であって、
私たちのすぐ近くにおられます。

神が私たちと共におられるということは、
神の目的と約束、神の改変力も私たちと共にあるということです。


◆これから数日にわたって、ある実験を行ってみてください。
宇宙の神があなたのすぐ近くにいて、あなたの手を固く取り、
助けを与えてくださると約束しておられることを努めて意識してください。

2007年11月12日月曜日

「パラダイス」と「ユートピア」

私が使っています手帳に
俳優の渡辺謙さんの次の言葉が載っていました。

勝ち負けの間には、線が引かれます。
健康か病気か、若いか老いているか、
金持っているか無いか、
線を引くと幸せを実感するのかな?
僕の中で今、その線がにじんできています。
〈渡辺謙さんが「『明日の記憶』とつきあう。」の中で〉

 勝ったら幸せ、健康なら幸せ、若ければ幸せ、
お金持ちは幸せ、本当にそうなのだろうか?
幸せと不幸せの境界線が「にじんできた」ということでしょうか。

 私たちは、何によって、時には幸せを感じ、何によって、
不幸せを感じるのでしょうか。
幸せ、不幸せの境界線とは何なのでしょう。
そもそも、私たちの幸せとは何か?

 小林正観氏は、その著書の中で、幸せについて、
「パラダイス」と「ユートピア」の二種類に分けて
次のように説明しておられます。

『「パラダイス」とは外から見て、楽しそう、
幸せそうな条件に囲まれている状態です。
自分の思いや願い、夢や希望が皆手に入って満足している状態です。

 ただし、この満足はすぐにさらに強い欲求に代わります。
「パラダイス」の幸せは、「これでよし」ということがありません。
人間の望みや欲望に限度がないからです。

 それに対して「ユートピア」の幸せは、外側の条件でなく、
その人の心の中に幸せを感じるメカニズムです。
「ああ、今幸せ」と思った瞬間の心の構造です。』

 聖書の幸せも、外側の状況や環境に左右されないという点において、
この「ユートピア」の幸せと似ています。

 私たちの幸せを「勝利」という言葉に置き換えるなら、
聖書は「人は、どのようなときにも、勝利できる」と宣言します。
人々から見て、まさに敗北でしかありえない状況下で、
実は勝ち得てあまりがある、と聖書は語るのです。

以下の聖句はその1つです。
私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。
患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、
危険ですか、剣ですか。

「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。
私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、
これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、
今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、
そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、
私たちを引き離すことはできません。(ローマ8:35~39)。

 人はこの世が経験するどのような困難の中にあっても、
圧倒的な勝利をおさめることができるというのです。
何故?その根拠は、キリストの愛です。

 神様が命を捨てて、私をお愛しくださっている。
この愛を日々刻々受け止めてゆく。

私の感覚や、気分ではなく、
御言葉の約束に基づいてこの愛を受け止めてゆく。
そのように感じなくても、聖書の言葉に根拠をおいて
神様の愛を受け止めてゆく。これが私たちの勝利の根拠です。

 そして、私自身も、神様を愛することを選んでゆく。
神様への愛を告白してゆく。神様の律法を選んでゆく。
我を通して我流で生きるのではなく、聖書の言葉に基づいて
風流(聖霊に導かれて)に生きる。
ここに私たちの幸せの根拠があるようなのです。

                  SDA大阪センター教会牧師 藤田昌孝

2007年11月11日日曜日

信仰と感情は別


信仰と感情は東と西のように離れたものである。
信仰は感情に依存しない。

我々は、感じても感じなくても信仰を持って熱心に神に叫び、
それから自分が祈ったように生きねばならない。

我々の保障と確証は神の言葉であり、我々は祈った後、
疑わずに信じるべきである。

私はあなたをほめたたえます。
あなたはみ言葉を行うにあたり、
私を裏切ったことはありませんでした。

あなたはご自身を私に示して下さいました。
私はあなたのものなので、あなたのみ心を行います。

                            Letter 7, 1892年

2007年11月9日金曜日

どうかお助けください

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ヤコブの苦闘から


 キリストの教会、また、クリスチャン個々の
最大の勝利は、才能や教育、あるいは富、
または人間の援助によって得られるものではない。

その勝利とは、神との交わりの部屋で熱心に
苦闘する魂が、信仰によって力強いみ腕を
つかむときに得られる。

 すべての罪を捨て、熱心に神の祝福を求めようとしなければ
それを得ることができない。

しかし、ヤコブのように、神の約束をしっかりにぎり、
彼のように熱心に屈せず願い求めるものはみな、
彼のように聞かれるのである。

                    人類のあけぼの 上 221

2007年11月7日水曜日

品性の完成



家の中でクリスチャンであれば、

どこにいてもクリスチャンである。

家庭にもたらされる宗教は、

はかり知れない影響を及ぼす。

             Manuscript 34, 1899年

2007年11月6日火曜日

意思を鍛錬する


 心が体の舵であることを、ペテロは知っていました。

心が制御できなくなると、
私たちは感情にながされるしかありません。

天国にいたる狭い道を歩んでいる姿を想像してください。
その途中には、行き先の異なる多くの道があります。

ある道はいかにも行きたくない道ですが、
ある道は魅力的で、私たちの感情と欲望に訴えるものです。

もし後者の道を選ぶなら、
私たちは正しい道をはずれ、後戻り困難な道をたどることになります。


◆ あなたは何か重要な決断を迫られていませんか。
神の御言葉よりも自分の感情や欲望にもとづいて
決断しようとしていることはどうしたらわかりますか。

2007年11月5日月曜日

神の隠された臨在


8月23日の『TIME』誌に、
「Her Agony」(彼女の苦痛)という記事が載っていました。
「マザー・テレサ没後10年、彼女の秘密の手紙が明かす、
50年間の彼女の信仰の危機。
彼女の経験は私たちに何を教えるか?」という小見出しに
はじまる6ページにわたる記事です。

 大和カルバリーチャペルの副牧師、柴田順一牧師が
お礼拝の中で上記の記事を要約しておられました。
この要約に助けていただきながら、記事の一部をご紹介
させていただきます。

 次の内容は、マザー・テレサの恩師、修道院長の
コロディエ・チャック司祭に宛てた手紙の一部です。

「私には沈黙と闇とがあまりにも深くて、神様がいらっしゃることを
見ようと思っても、見ることができません。
神様の声を聞こうと思っても、聞こえません。
私の魂は飢え渇ききって真っ暗です。

 空しくて、孤独に耐えられません。私は神様の沈黙の中で、
天の存在や、神様の存在さえも一度は疑いました。
私の笑顔は私の心を隠すマスク、お面です。
私の笑顔はすべてを覆い隠す外套のようです。

 私には祈ろうと思っても、祈る言葉さえ出てきません。
どうか私が神様のお働きを破壊したり、神様の栄光を損なったり
しないよう、祈ってください。
この暗闇の中で、私がイスカリオテのユダにならないよう、
どうか私のために祈ってください」。

 マザー・テレサと聞けば、その類まれな信仰を連想するのは
私だけでしょうか。
不動の信仰、深く堅固な信仰。卓越した信仰者としてマザー・テレサを
思い浮かべます。

 しかし、この手紙を読むと、あのマザー・テレサにも信仰の葛藤、
魂の暗闇があったことがうかがえます。
彼女はひょっとすると私たちと同じように、罪や弱さや痛み、苦しみを
抱えながら、それでも神様のお力に頼みつつ、神様と人とにお仕えして
いたのかもしれません。

 前述のコロディエ・チャック司祭は記事の中で次のように語っています。

「たとえ彼女がキリストの臨在を感じることができなかったとしても、
それはキリストが彼女と共におられなかったということではない。
むしろ彼女がそう感じることによって彼女の切なる飢え渇きが彼女をして、
絶大なる神の大いなる働きをなさしめたのであり、それは彼女に与えら
れた神の恵みの一片であった。

 彼女が自分の信仰の弱さ、足りなさ、罪深さに悩み苦しみ、痛んだ
その量に比例してゆくかのように、神は彼女を通してさらなる偉大な神の
栄光の御業を現していったのである」。

 彼女の信仰を助けた、ジョセフ・ニューナー氏は、マザー・テレサが経験
した魂の闇のことを「神の隠された臨在」と呼んでいます。
彼女はその闇の中にあって、神のおられることを信頼し、受けいれ、
最後まで仕えたというのです。

 以下は、1947年のマザー・テレサの祈りの一部です。 「神よ、私は
どうして、他の多くの人々のように、立派な主の修道女となることができ
ないのでしょうか。主よ、私は何を語ったらいいのかわからないほどの
全くの愚かな者です。

 しかし主よ、それでもあなたが、私を必要としているのであれば、
あなたの御心をこの身に行わせてください」。

すると神様がこのように語ったといいます。

「私はインドの貧しい者、病んでいる者、飢えている者、今死のうとして
いる者たちの間に、私の愛の炎を燃やしてくれる僕を探している。
たしかにあなたは弱く、罪深く、何も持たない、何もできない者であるかも
しれない。

 しかし私はそんなあなたを、私の偉大な栄光のために用いたい。
しかし、あなたはそれを断るか?」。

 次の年1948年1月彼女は一人、カルカッタの道端に立っていました。
そしてその働きを始めます。
マザー・テレサ36歳の時でした。
                         
                   SDA大阪センター教会牧師 藤田昌孝

2007年11月4日日曜日

世界文化遺産

国宝
「姫路城」
1993年12月、
姫路城は法隆寺地域の仏教建造物とともに
ユネスコの世界遺産委員会で
我が国で初めて世界文化遺産に登録されました。

これは姫路城が、
我が国の築城技術が昂揚期を迎えた
江戸時代初期に造営された最も完成された城郭建築であり、
壮麗な連立式の天守閣群をはじめ
数多くの建物が築城当時のままの美しい姿で
今日まで残る唯一の城として
その普遍的価値が認められたものですが、
姫路城が長い歴史の中で
一度も戦や大きな災害に遭うことなく奇跡的に生き残り、
多くの人々の努力と熱意によって
保存・整備されてきた結果でもあります。

・・・・と、

パンフレットに書かれていました。


天守閣から撮った姫路の街

・・・ず~っと向こうに四国が見えたんですが・・・
写真では見えなくて、残念!!

2007年11月3日土曜日

明確にされる使命

大阪センター教会では、
2年後に創立50周年を迎える今、

1、大阪センター教会の使命
2、わたしたちの目指す教会

この2つの事柄を明確にし、
心を一つにして進んでゆきたいと、
「教会使命部会」が作られ、
何度かの話し合いの後、

本日、
一回目の事務会が開かれました。


今日は、

4つのグループに分かれて、
教会の使命(ミッションステートメント)について、

話し合いました。

今後も、話し合い(事務会)が続く予定です。

いろいろな意見を出し合いながら、

私たちの「教会の使命」について考え、

私たちの思いも一つに導かれるように祈ります。

2007年11月2日金曜日

言葉と態度と会議


いよいよ11月、今年も残すところあと2ヶ月。
各教会の今年の目標は達成されつつあるでしょうか?
最後まで、主に忠実に!
祝福された1年の締めくくりを迎えましょう!!

今日は、言葉と態度と会議についての言葉を3つご紹介します。


「口から発した言葉は相手だけではなく自分にも影響する。
 前向きの言い方をすれば自分も前向きになり、
 逃げの言葉を発すれば、
 部下も自分も仕事から逃げるようになってしまうことを
 肝に銘じるべきである。」
           福田 健(話し方研究所所長)


「上司自らが、いろいろな知識、判断力、批判力を身につけ、
 それを実践することです。
 その実践が、そのまま部下への説得力になるのです。
 「説得」は話術でも何でもない。
 話術で説得しようとしても、
 効果があるのはせいぜい100人にひとりといったところでしょう。
 実際には態度そのものが説得になり、部下を説き伏せるのです。」
           染谷和己(アイウィル社長)


「会議で参加者を元気にできれば
 組織も元気になれる。
 会議を単に話し合いや報告の場として位置づけるのではなく、
 組織活性化の有効なチャンス、
 それも頻繁に与えられているチャンスとして捉えて、
 意図的に活用することが大切である。」
           吉田新一郎(ラーンズケイプ社長)



明日も、良き言葉、良き態度、良き会議の安息日となりますように!

そして何よりも良き礼拝の安息日となりますように!!

ハッピー・サバス!!!

                            SDA西日本教区長 島田真澄

「告白」

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服従


もしキリストが心に宿るならば、
魂はかれの愛と、
かれとの交わりより来る大きな喜びに満ちあふれて、
キリストに結びつき、
かれを熟視しておのれを忘れてしまいます。
そしてキリストへの愛が行動の源泉となります。

神の強く迫る愛に感激した者は、
どのくらいささげれば神のご要求を満たすことができようかなどと
最低の標準を尋ねたりしないで、
あがない主のみ心に全く服従したいと望みます。

熱心に、希望にあふれてすべてをささげ、
かれらが求めている価高きものにふさわしい関心を示します。

この深い愛がなくて、
キリストを信ずると告白することは単なる話だけであり、
無味乾燥な形式、
また重苦しい苦役であります。

                          キリストへの道 p56