「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された」
(創世記1:27)。
人は神様に似せて造られました。
神様を愛し、人を愛することが自由にできるよう、神様のご品性を表す者、
愛の律法を豊かに証する者でした。
神様はまさにお父様。人は神様に良く似た子。
現代的に言うならば、お父様の遺伝子をいただいた神様の子どもでした。
神様の遺伝子を子に与えるために、
神様は特別な方法で、人をお造りになりました。
「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、
その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」
(創世記2:7)。
「息」とは「霊」のことです。
人は神様の「霊」を吹き込まれて、「生きた者」となりました。
人が「生きる」ということは、他の動物のように生きるのではありません。
「神様の霊に生かされる」「神様にかたどった心に生きる」ということです。
<失われた神様の心>
ところが、人は罪を犯した「その時」この「生きた者」が死んでしまいました。
「死んだ者」となった人間は、
神様を愛すること、互いに愛し合うことが困難になります。
神様と交わることが、おっくうになります。
人を愛するよりも自分を愛するようになります。
小人閑居為不善。人は暇になったり、一人でいたりすると、
ろくなことをしないのです。
<再び与えられる神様の心>
「サタンは、人間のうちにある神のみかたちをいやしいものにすることに
成功したと狂喜していた。
その時イエスが、人間のうちに創造主のみかたちに回復するために
おいでになったのである。
罪のために堕落した品性を新しく形づくることができるのは
キリストよりほかにいない」(『各時代の希望』上28頁)。
イエス様はもう一度人間のうちに神様のみかたちを回復するために
地上にお越しになりました。
イエス様はもう一度、神様にかたどった心をお与えくださいます。
「『それらの日の後、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである』と、
主は言われる。『すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、彼らの心に
それを書きつけよう。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる』
(ヘブライ8:10)。
イエス様はおっしゃいました。
「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を
信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞くときが来る。
今やその時である。その声を聞いた者は生きる」(ヨハネ5:24、25)。
「永遠の命」とは「神様の心」ともいうことができます。
「神様の心」を得た人は、「死んだ者」から、再び「生きた者」へとされました。
さらにイエス様はおっしゃいます。
「『乾いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から
生きた水が川となって流れ出るようになる。』
イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について
言われたのである」(ヨハネ7:37-39)。
イエス様はもう一度私たちに「霊」を与えてくださいました。
「神様の心」を与えてくださったのです。
そのとき私たちは「死んだ者」から「生きた者」へ生まれ変わったのです。
「この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを
通して実現したのです。神は、あたしたちの救い主イエス・キリストを通して、
この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。
こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、
希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです」(テトス3:5-7)。
SDA大阪センター教会牧師 藤田昌孝
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