2007年8月10日金曜日

チャック・スミス(教区長のメールマガジン~)

猛暑お見舞い申し上げます。  

今日は、米国南カリフォルニア、カルバリーチャペル・コスタメサの
チャック・ スミス牧師を紹介したいと思います。

彼の教会は、あの1970年代のジーザス・ ムーブメントの中心となった
教会であり、新しい賛美プレイズ・ソングを発信した 教会でもあります。

この教会をとおして、数え切れない人々が救われ、また全米、 全世界に
数多くの新しい教会が建てられています。  

彼は牧会の中で、ひとつの葛藤を持っていました。
それは、教会の人々が、なか なか変えられていないことでした。
彼が属していた教団の中では、教会の目的は伝道することであると
教えられていました。

そこで彼は、毎週日曜日に、伝道メッセ ージをしていました。
けれども、来る人たちはいつも同じで、だれも未信者を連れて来ていません。


 やがて彼は、彼らが霊的に成長しなかったのは、
自分のせいであることを知りま した。

エペソ書4章を見ると、牧師の働きの目的は、伝道することではなく
キリス トのからだを建て上げることであることが書かれています。

 「…ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
それは、聖徒たちを 整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げる
ためであり、ついに、私 たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する
知識の一致とに達し、完全におとなに なって、キリストの満ち満ちた身たけに
まで達するためです。(エペソ4:12-13)」    

チャックは、み言葉によって羊たちを養うことが、
自分に対する神の召命である ことを知るようになりました。

チャックの説教スタイルは、しだいに、
主題/伝道 説教から、聖書講解に変えられてきました。

聖書のある書物を一節ずつ学び始めま したが、ついに、
創世記から黙示録までを順番に学ぶようになっていきました。

そ の間に、会衆も霊的に満たされ、変えられ、多くの人々を教会に連れて来て、
救われる人、洗礼者が与えられました。  

聖書全体を学ぶことを通して、
彼は、聖書が、「人が神のためにしなければいけな いこと」よりも、
「神が人のためにしてくださったこと」を強調していることを知りま した。


例えばエペソ書は1章から3章まで、神が私たちのためにしてくださったこ とが
書かれており、それから4章以上に、「その召しにふさわしく歩みなさい。」と
なっています。

今まで、伝道しなければならない、奉仕をしなければならない、と
教えていましたが、そうではなく、伝道は信者たちが養われた結果もたらされる
副産物であることを知りました。    


彼は、17年間奉仕していた、その教団から出ました。
そして、「カルバリーチャ ペル」という教会からの招聘を受け入れました。

そして、教会に来る人は増え続け、
礼拝の場所を何回か移転しなければなりませんでした。

そしてついに、怒涛のごと く人々が押し寄せるようになりました。
それは、ヒッピーという、アメリカ対抗文 化の中で生きていた若者が、
教会をおとずれるようになったからです。

既存の保守 的な大人たちは、そこで愛することと、寛容であること、
受け入れることを学びま した。

そして教会は、スーツ姿の人もいれば、Tシャツで裸足姿の人もいるという、
いろいろな人たちが集う場となりました。

また、そこに集っていた若者たちが、牧 師として召され、新しい場所で
教会を始めるようになりました。    

 チャックは、17年間の主からの訓練から、
自分たちで人々を引き寄せようとす るプログラムや手法を使うのではなく、
主の御霊の働きに自分たちが導かれること を学んだのです。

「『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と
万軍の主は仰せられる(ゼカリヤ4:6)」。  


 チャックは今も、ほとんど休むことなく、日曜の朝と晩の聖書の学び、
平日の聖 書の学びを、この教会の中で行なっています。

多くの人が彼の牧会や指導を観察し て、
「仕えることによるリーダーシップ」を学んでいます。

例えば、教会の駐車場に ごみが落ちているのを見ると、人に頼むのではなく、
自分自身で拾っています。

そこで周りの人々は、彼が主に仕えているのを見て、
自分もどのように主に仕えなけれ ばいけないのかを学ぶのです。

だれからも強制されてではなく、
進んで主に対して行なう奉仕こそが、主に喜ばれると考えています。

また、私たちがお仕えする唯一 の動機は、「キリストの愛がわたしたちを駆り立
てているからです。(コリント第二 5:14新共同訳)」とあるとおり、
キリストの愛なのです。          

          (2001年小牧者出版「幸いな人」9月号の特集記事より編集)


明日の安息日が、養いの安息日、ひとりひとりが主の霊に導かれる安息日と
なりますように!

ハッピー・サバス!!

                              SDA西日本教区長 島田真澄

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

伝道は信者たちが養われた結果もたらされる副産物である、ということ・

アーメン
私もそう思います。