イエス様から「聖霊」を豊かにいただき、「永遠の命」を与えられると、
その人にはいったい、どのような変化が起こるでしょう?
エレン・G・ホワイトは、『信仰と行い』の中で、次のように語っています。
「愛の心がわきあがります。感情の高揚はないかもしれませんが、
変わることのない平安に満ちた信頼があります。
キリストのくびきは負いやすいので、すべての荷は軽くなります。
義務は楽しみとなり、犠牲は喜びとなります。
闇におおわれていると思えた道が、
義の太陽からの光に照らされて明るくなります。
これが、キリストが光におられるように、
光の中に歩くということなのです」 (『信仰と行い』43頁)。
「永遠の命」をいただくと、
心に新しい思想、新しい感情、動機が芽生えてきます。
ある人にとって、それは大きな変化として、
強い衝撃を持って現れるかもしれません。
またある人にとって、それは見逃してしまいそうな
小さな変化かもしれません。
しかし、それがたとえ小さな変化であっても、それは
イエス様が与えてくださった新しく命「永遠の命」の始まりなのです。
「神様ともっと深く、親密な関係を持ちたい」
という願いが生まれてきます。
「もっと人を愛したい、神様をもっと愛したい」。
「与えたい」。「奉仕をしたい」。
「この世の安心ではなく、神様からいただく心の平安をいただきたい」。
「和解したい」。「赦したい」。「安息日を守りたい」。
「献金をお献げしたい」。「聖書を読みたい」。
「もっと深くお祈りしたい」。
新しい動機、願いが生まれてきます。
あれほど大切であったものが、
二番目に大切なものへと変えられているかもしれません。
今まで、義務として嫌々ながら果さなければならない、と
思っていたものが、願望、憧れ、喜びと変えられてゆきます。
愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制、
神様の律法 (ガラテヤ5:22、23)
に対する憧れが生まれてきます。
「永遠の命」について、大切なことがいつくかあります。
一つは、この新しい命「永遠の命」に気づくということです。
大きな変化であろうと、小さな変化だろうと、
新しい命の始まりに気がつくことが大切です。
もう一つ、「永遠の命」は日ごとに受けるということです。
日ごとに、イエス様から「聖霊」を受けて、
日ごとに「永遠の命」をいただくことです。
「わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます」
(IIコリント4:16)。
1日の中で、イエス様から「永遠の命」をいただく時間が必要です。
毎日この新しい命をいただいて、
「永遠の命」に成長してゆきたいと思います。
3つ目、それは、「肉」の存在です。
新しい命、新しい心、「永遠の命」をいただいても、依然として、
昔の心、古い心、聖書でいわれている「肉」が残されています。
その「肉」が「永遠の命」の新しい動機を妨害します。
私たちの中に残されている「肉」が原因で、私たちは、
「永遠の命」によって生まれてきた新しい動機、
新しい願いを、自由に実現できないことがあります。
相変わらず、罪を犯すことがあります。
だからといって、「永遠の命」が与えられていないと思ってはなりません。
パウロはそれを
「心では神の律法に仕え、肉では罪の法則に仕えている」(ローマ7:25)
と表現しています。
SDA大阪センター教会牧師 藤田 昌孝
0 件のコメント:
コメントを投稿