2007年8月6日月曜日

「永遠の命」の証拠

イエス様から「聖霊」を豊かにいただき、「永遠の命」を与えられると、
その人にはいったい、どのような変化が起こるでしょう?
エレン・G・ホワイトは、『信仰と行い』の中で、次のように語っています。

「愛の心がわきあがります。感情の高揚はないかもしれませんが、
変わることのない平安に満ちた信頼があります。
キリストのくびきは負いやすいので、すべての荷は軽くなります。
義務は楽しみとなり、犠牲は喜びとなります。

 闇におおわれていると思えた道が、
義の太陽からの光に照らされて明るくなります。
これが、キリストが光におられるように、
光の中に歩くということなのです」 (『信仰と行い』43頁)。

「永遠の命」をいただくと、
心に新しい思想、新しい感情、動機が芽生えてきます。

 ある人にとって、それは大きな変化として、
強い衝撃を持って現れるかもしれません。
またある人にとって、それは見逃してしまいそうな
小さな変化かもしれません。

 しかし、それがたとえ小さな変化であっても、それは
イエス様が与えてくださった新しく命「永遠の命」の始まりなのです。

「神様ともっと深く、親密な関係を持ちたい」
という願いが生まれてきます。
「もっと人を愛したい、神様をもっと愛したい」。
「与えたい」。「奉仕をしたい」。
「この世の安心ではなく、神様からいただく心の平安をいただきたい」。
「和解したい」。「赦したい」。「安息日を守りたい」。
「献金をお献げしたい」。「聖書を読みたい」。
「もっと深くお祈りしたい」。

新しい動機、願いが生まれてきます。

 あれほど大切であったものが、
二番目に大切なものへと変えられているかもしれません。

今まで、義務として嫌々ながら果さなければならない、と
思っていたものが、願望、憧れ、喜びと変えられてゆきます。

愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制、
神様の律法 (ガラテヤ5:22、23)
に対する憧れが生まれてきます。

「永遠の命」について、大切なことがいつくかあります。

一つは、この新しい命「永遠の命」に気づくということです。
大きな変化であろうと、小さな変化だろうと、
新しい命の始まりに気がつくことが大切です。

 もう一つ、「永遠の命」は日ごとに受けるということです。
日ごとに、イエス様から「聖霊」を受けて、
日ごとに「永遠の命」をいただくことです。

「わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます」
(IIコリント4:16)。

 1日の中で、イエス様から「永遠の命」をいただく時間が必要です。
毎日この新しい命をいただいて、
「永遠の命」に成長してゆきたいと思います。

 3つ目、それは、「肉」の存在です。
新しい命、新しい心、「永遠の命」をいただいても、依然として、
昔の心、古い心、聖書でいわれている「肉」が残されています。

 その「肉」が「永遠の命」の新しい動機を妨害します。
私たちの中に残されている「肉」が原因で、私たちは、
「永遠の命」によって生まれてきた新しい動機、
新しい願いを、自由に実現できないことがあります。
相変わらず、罪を犯すことがあります。

だからといって、「永遠の命」が与えられていないと思ってはなりません。
パウロはそれを
「心では神の律法に仕え、肉では罪の法則に仕えている」(ローマ7:25)
と表現しています。

                     SDA大阪センター教会牧師 藤田 昌孝

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