2012年7月5日木曜日

すべての改革者が葛藤した経験


ウェスレーと彼の仲間は、
真の宗教は心に根ざすものであって、
神の律法は、
言葉や行為と同様に
思想にまで及ぶものであることを悟った。

外部の行状が正しいのと同様に、
心の清潔の必要を確信して
新しい生活に入ろうと熱心に努めた。

彼らは、
非常な努力と祈りによって、
生来の心の悪を抑制しようとした。

彼らは、
自己犠牲、愛、謙そんの生活を送り、
彼らが何よりも望んだもの
--すなわち、
神の恵みを受けることができる聖潔
--に到達するために役立つことは
どんなことでも、
非常な厳格さと正確さをもって実行した。

しかし、
彼らは、
求めたものを得ることはできなかった。

罪の宣告や罪の力から自由になろうとする
彼らの努力はむなしかった。

これは、
ルターが、
エルフルトの小部屋で経験したのと
同じ悩みであった。

「人はどうして神の前に正しくありえようか」
という、
彼の魂を悩ましたのと同じ問題であった。


(ヨブ記9:2) (大争闘 上 322)


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