2011年12月30日金曜日

2011年12月29日木曜日

お正月休みにいかがでしょうか?



世界総会
テッド・ウィルソン総理
来日(10/31~11/6)集会

・ベスパー
・安息日礼拝
・リバイバル集会
・地震被害地訪問と集会

など・・  ↓  見ることができます。 ↓  

http://www.ustream.tv/user/adventistjp/videos

お正月休みに、
ゆっくり・・・・いかがでしょうか?

2011年12月28日水曜日

手作り ぽち袋

「Word」で作ります。
http://oikos.sakura.ne.jp/sozai/pochi01


↑ 
クリックして、
開いた画像上を右クリックし「名前を付けて画像を保存」します。
その画像をワードに挿入してお使いください。
↓ 

http://oikos.sakura.ne.jp/sozai/pochi04

ご協力ありがとうございました

2011年12月27日火曜日

祈りによって主の臨在を実感する





いつも、
主を目の前に
あおいで、
主に感謝と
賛美を
ささげている
ならば、
わたしたちの
信仰生活は
常に新鮮さを
保つことができる。

わたしたちの祈りは、
ちょうど友人と語るように、
神との会話のかたちになり、
神は、
わたしたちに個人的に、
神の神秘について語りかけてくださるのである。

わたしたちは、
しばしば、
尊いイエスの臨在を身近に感じることがある。

昔、神がエノクと語られた時のように、
神がわたしたちに近づかれると、
わたしたちの心中も燃えるのをおぼえる。

こうしたことが本当に、
クリスチャンの経験となる時に、
そのクリスチャン生活には、
純真、謙遜、柔和、心の低さなどが著しくなり、
接するすべての人に、
彼がイエスと共にあって、
イエスから学んだ者であることを感じさせるのである。


(『キリストの実物教訓』109p)

祈り 192p

2011年12月26日月曜日

開かれた人







もし、
すべての人に
「開かれた人」と
なりたいならば、
「神の鏡」とも
よぶべきものに
映る自分の姿を
勇気をもって見つめ、
自分の
ありのままの姿をもって
他人と交わることが
必要でしょう。



*美しい人に

2011年12月25日日曜日

クリスマスは愛の祝日




クリスマスは
愛の祝日です。

できるだけ
心を広く人々に開いて、
自分の身近でなくても、
遠くにいて
困っている人たちのために
小さな捧げ物を
いたしましょう。

それはただ
その人たちへの愛にとどまらず、
イエスさまへの
小さなプレゼントになるのです。


*愛することは許されること

2011年12月23日金曜日

2011年12月22日木曜日

何かをなさっている時に




何かをなさっている時に
フッと思い出して、
「ああそうだ、
これをあの人のために
しよう」と
思ってください。

それは、
結局
〝人格としての生き方・接し方〟
という、
他の動物にはできない
私たち人間の特権
だろうと思います。

誰かのためになにかができる。


*人間としてどう生きるか

2011年12月21日水曜日

命と死の問題




[ガラテヤ6:7、8を引用]

すばらしい真理!
これはどちらの方向にも
切れる両刃の剣である。

生死に関わる問題が
全人類の前に置かれている。

この世の生涯において
我々がなす選択は、
永遠に及ぶ選択なのである。

我々は永遠の命か、
永遠の死か、
いずれかを受けるのである。

中間地帯、また第二の恩恵期間はない。

我々はこの世において、
キリストが勝利されたように勝利するようにと招かれている。

キリストのように勝利できるように、
そして彼のみ座に共に座ることができるように、
天は我々に豊かな機会と特権とを供給してきた。

しかし勝利者となるためには、
我々の生活の中に
肉の傾向を甘やかすものがあってはならないのである。

すべての利己心は根から絶たれねばならない。

Letter 156. 1900年

2011年12月20日火曜日

プレゼント




私たちは、
プレゼントという言葉を
よく使います。

プレゼントをいただく、
差し上げるというように。

しかし、
人間がほんとうに
必要としているのは、
その人の存在、
プレゼンスなのです。


*人間としてどう生きるか

2011年12月19日月曜日

人間同士の親しさというものは






人間同士の
親しさというものは、
開放性(openness)の
度合いに必ずしも
かかっていなくて、
一人ひとりの
独自性(uniqueness)と
いうものを認めて
尊敬する度合いに
かかっている。


*人間としてどう生きるか

2011年12月18日日曜日

家族の光と喜び





キリストは
全人類の理想である。

彼は幼年期、青年期、
そして成人のための
完全な模範を残された。

彼はこの地上に来られ、
人生の異なる段階を
通過なさった。

悪を行うということ以外では、
他の子どもや若者たちのように話し、行動された。

彼の生活に罪の入る余地はなかった。

常に、天の純潔という雰囲気の中に生きておられた。

幼年期から大人になるまで、
彼は神に対する純粋な信頼を保たれた。

み言葉は彼について述べている
「イエスはますます知恵が加わり、
背丈も伸び、そして神と人から愛された」。

家庭という聖所において、
イエスは両親からだけでなく、天父から教育を受けられた。

成長するにつれ、
神は彼の前にますます大いなる働きをお示しになった。

しかしこのような知識を得たにもかかわらず、
彼は決して優越感をお持ちにならなかった。

両親を敬わないで、
彼らに苦労や心配をかけたことは一度もなかった。

イエスは喜んで両親を敬い、彼らに従われた。

ご自分の大きな任務について知らなかった訳ではないが、
彼らの要望を尋ね、彼らの権威に服された。

キリストは天の万軍の指揮者であられたが、
だからといって、両親に働かせて、
自分は労働を免れるようなことはなさらなかった。

まだ年若いうちに、彼は手に職をつけ、
日々の義務を忠実に果たして、
家族の生活を支える助けをされた。

キリストは家庭内の光、そして喜びであられた。

Youth's  Instructor 1901年 8月 22日

2011年12月17日土曜日

12/17(土)クリスマス音楽礼拝

大阪センター教会では
広島三育学院中学校 聖歌隊・ハンドベルによる
クリスマス音楽礼拝でした。




感動と共に天よりの祝福と励ましをいただきました。




第13課 福音と教会

2011年12月16日金曜日

2011年12月15日木曜日

人間一人ひとりが持っているものは









人間一人ひとりが
持っているものは、
いただいたものです。

多く与えられた人は、
多く返さないと
いけません。


*人間としてどう生きるか

2011年12月14日水曜日

神に任せなければ何もなされない




高慢な心は、
自分の行為によって
救いを得ようと努力する。

しかし天国にはいる権利書と
資格はキリストの義のうちにある。

自分自身の弱さを自覚し、
すべてのうぬぼれを取り去って、
自分自身を神の支配にまかせるまでは、
主は、その人の回復のために
何もすることがおできにならない。

自分自身を神にまかせるときに、
彼は、神が与えようと待っておられる賜物を
受けることができる。

必要を感じている魂には
どんなものも与えられないものはない。

彼は、
「すべての満ちみちた徳」の宿っている神に、
何の制限もなく近づくことができる
(コロサイ1:19)。

「いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、
その名を聖ととなえられる者がこう言われる、
『わたしは高く、聖なる所に住み、
また心砕けて、へりくだる者とともに住み、
へりくだる者の霊をいかし、
砕けたる者の心をいかす』
(イザヤ57:15)

各時代の希望 中 4p

2011年12月13日火曜日

唇に親切の法則を




主は、
自己に勝利し
征服するという大仕事に
おいて最も助けが
必要なところで、
我々一人びとりを
助けてくださる。

親切という法則が
唇にあり、
恵みの油が心にあるようにしよう。

これは素晴らしい結果を生じる。

あなたは優しく、同情的で、
礼儀正しくなることだろう。

あなたにはこれらの恵みがみな必要である。

聖霊を受け入れ、品性に持ち込むべきである。

するとそれは聖なる火のようになり、
神に向かって昇っていく香を発散させる。

その香は、非難する唇からは生じず、
人の魂をいやすものとして発せられるものである。

あなたの表情は神のみかたちを表す。

鋭く、批判的な、そっけない、
またはきつい言葉をかたるべきではない。

これは異火であり、
我々の会議や兄弟との交際から取り除かれねばならない。

神は、ご自分の奉仕にあたるすべての人々に、
神聖な火の炭火からとって、
香炉に火をともすことをお求めになる。

たやすくあなたの唇から出てくる、品のない、きつい、
荒々しい言葉は差し控え、
神の霊が人を通して語らなければならない。

キリストの品性を眺めることによって、
あなたは彼に似た者へと変えられる。

キリストの恵みだけがあなたの心を変えることができる。

そうすればあなたは主イエスのみかたちを反映するのである。

神は我々が彼のように、清く、聖で、
汚れのない者となるように招かれる。

我々は神のみかたちを身につけなくてはならない。

Letter 84. 1899年

2011年12月12日月曜日

どうしても通じ合えない



どうしても通じ合えない、
他人が知りようもない部分というものを、
人間は一人ひとり持って生きています。

その孤独というものをたいせつにし、
わかってもらえない淋しさ、
またはわかり尽くせない淋しさを受け止めて、
耐えて、
生きていくことがたいせつです。



*人間としてどう生きるか



2011年12月11日日曜日

言葉は多くのことを表す




声や舌は神の賜物であり、
もし正しく用いられれば、
神のための力となる。

言葉は非常に多くのことを表す。

それは神への愛、献身、賛美、旋律を
表現するかも知れないし、
あるいは憎しみや報復を表現するかも知れない。

言葉は、心の意向を表す。

それは、命から命に至る香りであるかもしれないし、
あるいは死から死に至る香りであるかもしれない。

舌は祝福の世界でもあり、
あるいは罪の世界でもある。


Manuscript 40. 1896年

2011年12月9日金曜日

2011年12月8日木曜日

無力に見えても勝利





自分の無力を感じ、
救い主の徳に全く信頼する者ほど、
無力に見えても、
実際は打ち勝ち難い者は他にない。

祈りと神のみ言葉の研究と
神のたえざる臨在を信ずる信仰により、
最も弱い人間も、
生けるキリストと共に生きることができ、
キリストはその手の中に彼らをささえ、
決して離されない。

キリストにたよる者は
すべてこの尊いみ言葉を
自分のものとすることができ、
こう言うことができる。

「わたしは主を仰ぎ見、
わが救いの神を待つ。
わが神は私の願いを聞かれる。
わが敵よ、わたしについて喜ぶな。
たとい、わたしが倒れるとも起きあがる。
たといわたしが暗やみの中にすわるとも、
主はわが光となられる。」

「再びわれわれをあわれみ、
われわれの不義を足で踏みつけられる。
あなたはわれわれのもろもろの罪を
海の深みに投げ入れ。」
(ミカ7:7、8、19)

神はこう約束されている。
「わたしは人を精金よりも、
オフルのこがねよりも
少なくする(尊いものとする・英訳)。」
(イザヤ13:12)

「たとい彼らは羊のおりの中にとどまるとも。
はとの翼は、しろがねをもっておおわれ、
その羽は、きらめくこがねをもっておおわれる。」
(詩編68:13)

キリストに最も多く許された者が
キリストを最も強く愛する者である。

最後の日に
キリストのみ座に一番近く立つのは
こうした人々である。


ミニストリー・オブ・ヒーリング 157、158p

2011年12月7日水曜日

「星を動かす少女」




クリスマスのページェントで
日曜学校の上級生たちは
三人の博士や
牧羊者の群や
マリヤなど
それぞれ人の眼につく役を
ふりあてられたが、
一人の少女は
誰も見ていない舞台の背後にかくれて
星を動かす役があたった。

「お母さん、
私は今夜星を動かすの。
見ていて頂戴ね・・・・」

その夜、堂に満ちた会衆は
ベツレヘムの星を動かしたものが
誰であるか気づかなかったけれど、
彼女の母だけは知っていた。
そこに少女の喜びがあった。


松田 明三郎(あけみろう) 作

2011年12月6日火曜日

親切という律法に生きなさい




主イエスは
我々の唯一の助け手である。

彼の恵みによって、
我々は愛を培うこと、
親切にまた優しく語るために
自分を教育することを学ぶ。

彼の恵みによって、
我々の冷たく粗野な作法が変貌する。

親切という律法が
我々の唇に宿るようになるであろう。

すると、
聖霊の尊い感化のもとにある人々は、
泣く者と共に泣き、
喜ぶ者と共に喜ぶことが弱い証拠だとは思わなくなる。

我々は天来の品性のすばらしさを培うべきである。

我々は、すべての人に善意を持つべきこと、
他人の生活における陰でなく
日光であろうとする真摯な望みを持つべきこと、
それがどんな意味を持つのかを学ばねばならない。

兄弟たちよ、砕けた悔いた心を持とう。

舌を汚す言葉ではなく、
愛と同情の表現が唇から流れ出るようにしよう。

愛が心に作り出せる暖かさを他の人々が感じるようにしよう。

そして、ずっと存在してきた利己主義や
冷淡さや頑固さという悪を、
キリストの弟子と名乗る人たちが正すように教育しよう。

これらの特徴はみな、
キリストが心に宿っておれれないという証拠である。

[コロサイ3:12、13を引用]

Review and Herald 1894年 1月 2日

2011年12月5日月曜日

自分は弱くてもいいけれど




自分は弱くてもいいけれど、
他人はみんな強くて、
笑顔で、
間違いのない人であるべきだという
考え違いをすることがあります。

神さまでない人間は
どんなに立派な人でも間違うことがあり、
時には魔がさして、
びっくりするようなことを
することがあるのです。


*人間としてどう生きるか



2011年12月4日日曜日

12/3(安息日)の今治教会

ふうさん亡き後の広島三育学院女性会と
福山集会所の合同で、
今治教会に奉仕に行きました。



安息日学校の伝道地便りで、
坪井は延吉教会の奉仕の旅を
5分のフォトビデオとともに紹介させていただきました。



礼拝では、
三育女性会の佐藤春枝さんが「神の家族」と題して
わかりやすいお話をしてくださいました。



午後の片山広樹コンサートも3回目で
今回ピアノパラリンピックで広樹さんのお友達
愛媛の吉井さんも弾いてくださり、
またテレビ局も最初から最後まで取材くださり
大入り満員となりました。





終わりには初披露のちっちゃいものクラブの
子どもたちのハンドベル演奏のおまけつきでした。


皆さんお忙しかったと思いますが
元気をもらったというお声をたくさん聞くことができました。



なんとアメリカのデトロイトから武田志子さんまで
いらしてたくさんの恵みを受けました。

新作のクリスマスファミリーキルトも飾らせていただきました。


西日本女性会 坪井 まゆみ



実践的な宗教は芳香を放つ




神に
「わたしのために
清い心を
造ってください」との
祈りをささげよう。

純粋で清められた魂には
キリストが内住し、
心の豊かさから命が
流れ出るからである。

人間の意志は
キリストに委ねられる。

利己的に心を閉ざして進むことなく、
神の霊の優しい感化に心を開く必要がある。

実践的な宗教はどこでも芳香を放つ。

それは命から命に至らせる香りである。


Letter 31a. 1894年

2011年12月2日金曜日

2011年12月1日木曜日

我々の祈りをご自分の祈りとされるキリスト




神の子となった人が
恵みの御座に近づくと、
その人は直ちに、
偉大な弁護者なるキリストへの
依頼人となります。

彼が罪を悔い、
赦しを請い願う言葉を
話し始めますと、
キリストは
彼の罪を引き受けて
御自分の罪とされ、
彼の願いをキリスト御自身の願いとして
天父の前に懇願されます。


(『教会への証』第六巻364p)

祈り 187p

2011年11月30日水曜日

「一期一会」

日本語に「一期一会」という
美しい言葉があります。

それは
繰り返しの連続、
毎日の些細なこと、
出会いの一つひとつを、
「今ヨリナイ」と、
心をこめて行う意味なのです。

このような心こそは、
「素敵な出会い」の秘訣ではないでしょうか。


*すてきな出会い


2011年11月29日火曜日

祈りに答えられる神と協力する


神の支配のもとにあって
たえず神の感化を受けている人たちは、
目に見えない暗黒の勢力の
狡猾な働きを見分けることができるでしょう。

神と天の軍勢との調和と一致を望むならば、
熱心にそのみこころを行うことに努めたいものです。

そしてサタンとその軍勢に
決してとって代わられてはなりません。

しかし、
真に心していなければ
私たちは
サタンに打ち負かされてしまいます。

神の私たちに対するみこころは
啓示としてすべての人に表されてはいますが、
神のみこころを知っているということで、
人が神に助けを求める必要や、
祈りにおいて答えてくださる神と
協力する必要がなくなるということではありません。

神は人間の働きを通して
御自身の目的を果たそうとしているのです。


(『SDA聖書注解』第六巻1119p)

祈り 184、185p

2011年11月28日月曜日

不忠実さのゆえに答えられない祈り


神はすべての祝福の与え主である。

その神が、
わたしたちのすべての所有の一部を要求なさる。

これは、神が、
福音の宣教を維持なさる費用としてあてられる。

こうして、
受けたものを神にお返しすることによって、
わたしたちは、
神の賜物に対する感謝をあらわす。

しかし、
神ご自身のものを自分のところに
保留しているならば、
どうして神の祝福を求めることができようか。

もしわたしたちが、
この地上のものに不忠実な管理者であるならば、
どうして、
天のものをゆだねられることを
期待することができようか。

祈りに答えがない理由は
ここにあるのではなかろうか。


(『キリストの実物教訓』121、122p)

祈り 170、171p


2011年11月27日日曜日

祈りが答えられるためには祈りを生きる



わたちたちは、
生活に矛盾がないように
目を覚まして祈るべきです。

目を覚まして祈るということは、
祈りが答えられるように
神の前に
わたしたちの祈りそのものを
生きるということです。


(『セレクテッド・メッセージ』第一巻116、117p)

祈り 168p


2011年11月25日金曜日

2011年11月24日木曜日

天に起源のある植物





愛は
天に起源を持つ
植物であり、
もし
我々がそれを
心の中に
繁らせたいのであれば、
日々それを
培養しなければ
ならない。

穏やかさ、
優しさ、
忍耐、
容易に怒らないこと、
すべてを忍び、
すべてを耐えること

これらは愛という尊い木の果実である。

Review and Herald 1888年 6月 5日

2011年11月23日水曜日

祈りが答えられたことを喜びなさい




信仰をもって
祈りなさい。

そして
祈り求める祝福を
得るために、
自分の生活を
祈りと調和するように
努めましょう。

信仰が
弱まることのないように、
注意しましょう。

私たちが受ける祝福は、
私たちの信仰の強さとその実践に比例するからです。

「あなたがたの信じているとおりになるように」
「信じて祈るならば、
求めるものは何でも得られる」
(マタイ9:29、 21:22)とあります。

祈り、信じ、喜びなさい。

祈りが答えられたならば、
神に心からの讃美の歌をささげなさい。

神をその言葉通りに信じなさい。

「約束してくださったのは真実な方なのですから」
(ヘブライ10:23)。

心からの真剣な祈りは決して失われることはありません。

神への水路の扉は開いています。

恵みの水はあふれるほどに流れています。

その流れにはいやしの力が伴い、
救いと命、
健康を豊かに与えてくださいます。


(『教会への証』第七巻274p)

祈り 164p

2011年11月22日火曜日

イエスの祈りは霊性の秘訣を示している


この地上における救い主イエスの生活は、
自然と交わり、
そして神との交わりの日々でした。

この交わりの中にイエスは、
私たちが学ぶべき、
力にあふれた生活の秘訣を示しています。

(『健康についての勧告』162p)

祈り 275p