自分の無力を感じ、
救い主の徳に全く信頼する者ほど、
無力に見えても、
実際は打ち勝ち難い者は他にない。
祈りと神のみ言葉の研究と
神のたえざる臨在を信ずる信仰により、
最も弱い人間も、
生けるキリストと共に生きることができ、
キリストはその手の中に彼らをささえ、
決して離されない。
キリストにたよる者は
すべてこの尊いみ言葉を
自分のものとすることができ、
こう言うことができる。
「わたしは主を仰ぎ見、
わが救いの神を待つ。
わが神は私の願いを聞かれる。
わが敵よ、わたしについて喜ぶな。
たとい、わたしが倒れるとも起きあがる。
たといわたしが暗やみの中にすわるとも、
主はわが光となられる。」
「再びわれわれをあわれみ、
われわれの不義を足で踏みつけられる。
あなたはわれわれのもろもろの罪を
海の深みに投げ入れ。」
(ミカ7:7、8、19)
神はこう約束されている。
「わたしは人を精金よりも、
オフルのこがねよりも
少なくする(尊いものとする・英訳)。」
(イザヤ13:12)
「たとい彼らは羊のおりの中にとどまるとも。
はとの翼は、しろがねをもっておおわれ、
その羽は、きらめくこがねをもっておおわれる。」
(詩編68:13)
キリストに最も多く許された者が
キリストを最も強く愛する者である。
最後の日に
キリストのみ座に一番近く立つのは
こうした人々である。
ミニストリー・オブ・ヒーリング 157、158p
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