2008年7月27日日曜日

キリストを拒む



キリストを告白したい者は、
自分のうちにキリストに住んでいただかねばならない。

彼は、
自分が受けていないものを伝えることはできない。

弟子たちは、教理について雄弁に語ることも、
キリストご自身のみことばをくりかえすことも
できたかもしれなかった。

しかし、
もしキリストのような柔和と愛をもっていなかったら、
彼らは、キリストを告白していることにならなかった。

告白はどうであろうと、
キリストの精神に反する精神は、
キリストをこばんでいるのである。

人は、悪口やおろかなおしゃべりや、
不真実なことばや不親切なことばなどによって、
キリストをこばむかもしれない。

人はまた生活の重荷を避けたり、
罪の快楽を追い求めたりすることによって、
キリストをこばむかもしれない。

彼らは世に従ったり、
無作法な行為をしたり、
自分自身の意見に執着したり、
自分自身を義としたり、
疑いをいだいたり、
とり越し苦労をしたり、
暗黒のうちに住んだりすることなどによって、
キリストをこばむかもしれない。

すべてのこうしたやり方によって、
彼らはキリストが自分のうちにおられないことを
宣言するのである。

そこでキリストは、
「人の前でわたしを拒む者を、
わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう」
と言われる。

     (マタイ10:33)  (各時代の希望 中91、92)


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