2012年1月31日火曜日
2012年1月30日月曜日
聖なる神と人間の罪深さ
ヨブは、
つむじ風の中から
主の声を聞いたときに、
「それでわたしは
みずから恨み、
ちり灰の中で悔います」
と叫んだ(ヨブ42:6)。
イザヤは、
「主の栄光を見、
ケルビムが「聖なるかな、聖なるかな、
聖なるかな、万軍の主」と
呼ばわるのを聞いて、
「わざわいなるかな、
わたしは滅びるばかりだ」と叫んだ(イザヤ6:3、5)。
パウロは、
第三の天にまで引き上げられ、
人間には語ることのできない言葉を聞いた後、
自分のことを、
「聖徒たちのうちでもっとも小さい者である」と
言っている(Ⅱコリント12:2-4参照:エペソ3:8)。
また、
かつてはイエスの胸によりかかった愛弟子ヨハネは、
主の栄光に接したとき、
その足下に倒れて死人のようになった(黙示録1:17参照)。
カルバリーの十字架の影を歩くものには、
自分を高めたり、
自分はもはや罪を犯さないなどと
誇ったりすることはあり得ない。
彼らは、自分たちの罪が、
神のみ子の心臓を破裂させるほどの苦悩を
引き起こしたことを感じる。
そしてこの思いが、彼らをへりくだらせる。
イエスに最も近く生活する者が、
人間の弱さと罪深さを最もはっきりと認める。
そして自分たちの唯一の希望を、
十字架につけられ復活された救い主の功績に置くのである。
(各時代の大争闘 下 199、200p)
2012年1月29日日曜日
Windowsパソコンのちょこっと節電
〝電源はこまめに
「off」する方がいいの?〟
・・・・とのおたずねですが
パソコンを使わない時間が
1時間45分以内なら
「シャットダウン」よりも
「スリープ」の方が
消費電力が小さいそうです。
・・・・で、
私は、ちょっとした利用中断時は、
節電の「スリープ」を
使うようにしています。
2012年1月28日土曜日
2012年1月26日木曜日
2012年1月25日水曜日
イエスは私たちのために祈られた
イエスは苦しんでいる人、
虐げられている人たちを助け、
祝福するために
たえず
自己否定と自己犠牲の精神で
賢明に骨折られました。
時として
疲れを感ずる時もありました。
夜を徹して寂しい山で
祈られることもしばしばでしたが、
それは自身の必要や弱さのゆえでなく、
サタンの誘惑に対してあまりにも弱く、
まさに打ち負かされようとしている
私たちのためだったと言えるでしょう。
私たちが襲い来る危険に無関心で、
祈りの必要をそれほど感じていないことを
主はご存知です。
主が強烈な叫びとあふれる涙で
天の父に祈られたのは、
実に私たちのためでありました。
(『教会への証』第三巻 379p)
祈り 279p
2012年1月24日火曜日
美辞麗句には
美辞麗句には人の心を打つ力がない。
それは所詮、
つくろったもの、
人工的なものであって、
その人の魂の内奥から、
沈黙という苦汁の中から
ほとばしり出た言葉ではないからである。
*信じる「愛」を持っていますか
2012年1月23日月曜日
神は秘密の企みをお読みになる
自分の心を探り、
神の与えて下さった
すべての才能を
善用することは、
すべての人の
永遠の利益の
ためである。
誰の心の中の
動機でも、
神は
はっきりとご覧になるということを
覚えていよう。
一人びとりの動機は、
この一つの結果に
人間の運命がかかっているかのように
注意深く検討される。
明瞭な光と、
原因から結果をどのように
推し測るかという明瞭な知識と理解を
増していけるように、
我々は神の力と結びつくことが必要である。
神の性質にあずかることにより、
欲に染まった腐敗を逃れて、
分別力を養う必要がある。
一人びとりが厳粛な真理について熟考しよう。
天の神は真実であり、
どれほど複雑でも、
神に分からない企みというものはないし、
どれほど注意深く隠されても、
神に分からない動機はない。
神はすべて心の秘密の企てをお読みになる。
人は神には分からないと思って、
将来のために不正直な行為を画策するかも知れない。
しかし、書き物が開かれ、
すべての人がその書に書かれた事に従って
裁かれる大いなるその日に、
それらの行為はあるがままに現れ出るであろう
[詩編 139:1-5、11、12を引用]。
計画された不正直のすべて、
どの程度であれ所有物や財産の不法な適用のすべて、
同胞との取引での不正のすべてを、
主は見ておられるし、
分かっておられる。
[ダニエル5:27を引用]
Review and Herald 1906年 3月 8日
2012年1月22日日曜日
大人であるこいうこと
大人であるということ、
成熟した人であるということは、
その関心の範囲が
だんだん広がるということであり、
さらに、
物的なものだけでなくて、
抽象的な価値とか、
理想というものに対しても、
関心があるということです。
*人間としてどう生きるか
2012年1月21日土曜日
2012年1月19日木曜日
クリスチャンはたくましい杉
イエスの愛が魂に宿ると、
今は元気のない枝でしかないような
多くの人々が、
「その根を多くの水におろしていた」
レバノンの杉のようになるだろう。
その杉は、
根のしっかりしていることで
よく知られている。
わずかの弱い細い根で地にしがみつくだけで満足せず、
それは不屈のくさびのように
割れた岩の中に根を伸ばして、
強くしがみつくために深くおりていく。
大嵐がその大枝をもぎとるときも、
しっかりと据え付けられたその木を
根こそぎにすることはできない。
もしキリストに従う者たちが皆、
真理に根ざし、
そこに根拠を置き、
永遠の岩に堅く結びついていたら、
どれほど立派な杉になることであろうか。
Review and Herald 1882年 6月 20日
2012年1月18日水曜日
物忘れについて
2012年1月17日火曜日
2012年1月16日月曜日
神の子イエスも祈りの必要があったとすれば・・
イエスご自身も、
この世に住んでおられた時
よく祈られました。
救い主は御自ら、
私たちと同じように、
欠乏と弱さを覚えて、
義務と試練に耐え得る
新しい力を
天父より受けるために、
熱心に祈り求める者となりました。
彼は、
すべてのことにおいて私たちの模範です。
彼は、
弱き私たちの兄弟となり、
「すべてのことについて、わたしたちと同じように試練に会われ」
ました。
しかし、
罪なき方でしたので、
そのご性格が悪を退けたのでした。
彼は罪の世にあって、
激しい心の戦いと苦悩に耐えました。
彼の人間性は祈りを必要とし、
また特権としました。
イエスは、
父なる神と交わって慰めと喜びをお受けになりました。
もし人類の救い主である神の子でさえ、
祈りの必要をお感じになったのであるならば、
弱い罪深い人間には、
どれほど熱心な、
絶えざる祈りがなければならないことでしょう。
(『キリストへの道』 127、128p)
祈り 268p
2012年1月15日日曜日
2012年1月14日土曜日
2012年1月12日木曜日
逆説の10カ条
1 人は不合理で、
わからず屋で、
わがままな存在だ。
それでもなお、
人を愛しなさい。
2 何か良いことをすれば、
隠された利己的な動機が
あるはずだと
人に責められるだろう。
それでもなお、
良いことをしなさい。
3 成功すれば、
うその友だちと
本物の敵を得ることになる。
それでもなお、
成功しなさい。
4 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。
5 正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。
6 最大の考えをもった最も大きな男女は、
最小の心をもった最も小さな男女によって
撃ち落とされるかもしれない。
それでもなお、大きな考えをもちなさい。
7 人は弱者をひいきにはするが、
勝者の後にしかついていかない。
それでもなお、弱者のために戦いなさい。
8 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築き上げなさい。
9 人が本当に助けを必要としていても、
実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
それでもなお、人を助けなさい。
10 世界のために最善を尽くしても、
その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。
ケント・M・キース (大内 博:訳)
2012年1月11日水曜日
2012年1月10日火曜日
自然科学、神の倉庫
もしキリストに従う者が、
彼の言葉を信じて実行するなら、
自然界の科学には
彼が把握し、
専有できないようなものは何もなく、
真理を他の人々に
分け与えることのできる手段を
備えるためのものとなろう。
自然科学は神の倉庫で、
キリストの学校の生徒は誰でも、
そこから引き出すことができる。
自然科学における神の方法や、
人に対する神の処置に関連する神秘は、
すべての人が引き出せる宝である。
Manuscript 95. 1898年
2012年1月9日月曜日
聖化の教科書
聖書は、
聖化を公言するすべての者の
主張をテストする基準である。
イエスは、
弟子たちが真理によって清められるように祈られ、
「あなたのみことばは真理です」と言っておられる。
また詩編記者は、
「あなたのおきては真理です」と宣言している。
神に導かれているすべての人は、
神の声が聞かれる聖書に対し、
深い尊敬を示すであろう。
彼らにとって聖書は、
「教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益」となり、
「それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して
十分な準備ができて、完全にととのえられた者になる」であろう。
「その実によって、彼らを見分ける。」
人の聖化の過程を判断するのに、他に何の証拠も必要ない。
もし彼らが、神のすべてのみ旨に従っていないだろうかと恐れ、
神のみ声を熱心に聞き、
神の知恵に信頼し、
そして、
み言葉を自分たちへの勧告とし、
優れた善を全く誇らないなら、
彼らはクリスチャン品性の完成を目指していることを
我々は確信することができる。
しかし、
もし清さを主張する者たちが、
もはや聖書を探り調べる必要がないことをほのめかしでもするなら、
彼らの聖化は偽物であると宣言するのに躊躇する必要はない。
神のみ旨に従う代わりに、
彼らは自分たちの理解に頼っているのである。
Review and Herald 1886年 10月 5日
2012年1月8日日曜日
ピカピカ輝くものは
ピカピカ輝くものは、
誰でも愛せるのです。
しかしながら、
その輝きが失われた時に、
なおも愛し続けていけるかということが、
私たちの一生の中の、
苦しみの大部分だと言ってもいいかも知れない。
*人間としてどう生きるか
2012年1月7日土曜日
2012年1月5日木曜日
2012年1月4日水曜日
後の雨のために祈る
神が生命の泉を開いてくださるように祈りましょう。
そして開かれた泉から
私たち自身が生ける水を豊かに
受けなければならないのです。
心から悔い改め、
この後の雨の時代に、
恵みの雨が私たちの上に豊かに降るように、
もっと熱心に祈りましょう。
まさに今、
私たち一人一人の魂を
神が潤してくださるように、
との祈りをすべての集会で神にささげましょう。
聖霊を祈り求めるとき、
私たちの心は聖霊によって柔和で謙遜になり、
後の雨の完成を求めて
神に頼るようになります。
また信仰の祝福を祈り求めるならば、
私たちは神の約束により、
それを受けることができます。
(『牧師への証』508p)
祈り 194p
2012年1月3日火曜日
「ただ老いる」だけの日々でなく
2012年1月2日月曜日
イエスにならって一日を祈りで始める
イエスが
この地上のご一生において
知恵と力を
お受けになったのは、
ただひとり
神に祈られた時であった。
われわれも
イエスの模範にならって
夜明けやたそがれに
天父と交わる
静かなひと時を
持つべきである。
そうして一日中、
心を神に向けていなければならない。
われわれの道の一歩ごとに、
神は
「あなたの神、
主なるわたしはあなたの右の手をとって
・・・・
『恐れてはならない、
わたしはあなたを助ける』」
と仰せになっている。
子供たちが人生の朝に
こうした教訓を学ぶことができたなら、
彼らの人生には何という新鮮さと力、
何という喜びと楽しさがもたらされることであろう。
(『教育』305、306p)
祈り 267p
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