2011年2月27日日曜日
失望してはならない
世にはキリストのゆるしの愛を知り、
ほんとうに神の子になりたいと
望んでいながら、
自分の性格が不完全で、
生活にはあやまちが多いために、
いったい自分の心が
聖霊によって新たにされたかどうかと
疑う人があります。
こうした場合に決して失望、落胆してはなりません。
私どもは幾たびとなく、欠点やあやまちを悔いて、
イエスの足もとに泣き伏すことでしょう。
けれども、そのために失望してはなりません。
たとえ敵に敗れても、神に捨てられ、拒まれたのではありません。
いいえ、キリストは神の右に座して私どものために
執り成しをしていたまいます。
使徒ヨハネは
「わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、
あなたがたが罪を犯さないようになるためである。
もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、
わたしたちのために助け主、すなわち、
義なるイエス・キリストがおられる」(Ⅰヨハネ2:1)と
申しました。
また「父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである」
(ヨハネ16:27)というキリストのみ言葉も忘れてはなりません。
神は、あなたをおのれに立ち帰らせ、
御自らの純潔と聖潔とをあなたのうちに反映しようと
望んでおいでになります。
ただ神に従いさえすれば
すでにあなたのうちによきことをはじめたもうた神は、
イエス・キリストの日までその働きを続けてくださるのであります。
ですから、もっと熱心に祈り、もっと深く信じましょう。
自分の力に信頼できなくなったとき、
あがない主の力を信じ、私どもを助けてくださる主を賛美しましょう。
イエスに近づけば近づくほど、ますます欠点が多く見えてきます。
それは自分の目が開けて明らかになり、
イエスの完全さに比べて、
自分の不完全さが大きくはっきりと見えるからです。
これは悪魔の惑わしの力が失われ、
人を生かす神のみたまの力が働いている証拠であります。
キリストへの道 84-86
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