2011年2月15日火曜日

良い実が証明


堕落した人は、
心を新たにすることによって
造りかえられることができる。

それは彼が、
「何が神の御旨であるか。
何が善であって、
神に喜ばれ、
かつ全きことであるかを、
わきまえ知る」ようになるためである。

彼はどのようにしてこれをわきまえ知るのだろうか。

彼の思い、霊、心、そして品性を
聖霊が所有することによってである。

それはどのように立証されるのだろうか。

「わたしたちは、全世界に、天使にも人々にも
見せ物にされたのだ」。

人間の品性の上に、
聖霊の働きが現実になされ、その実が見られるのである。

良い木が良い実を結ぶのと全く同じ様に、
主の園に実際に植えられた木は、
永遠の命に至る良い実を結ぶのである。

悩まされていた罪に勝利し、
悪い思想は思いの中に入るのを許されなくなる。

悪い習慣は魂の宮から追い払われる。

悪い方向へ偏っていた傾向は正しい方向に向きを変える。

間違った気質や感情は変えられて、
行為の新しい原則が与えられ、
そこには品性の新しい標準が生じるようになる。

今や、聖なる気性と清められた情緒という実が
クリスチャンの木に実るようになる。

全的改革が起こったのである。

これがなさるべき働きである。

我々は、自分自身の力では決断も目的も
役に立たないことを経験によって知っている。

では、我々は断固とした努力をあきらめるべきだろうか。

そうではない。

我々の経験は、この働きはとうてい
自分ではできないことを証明してはいるが、
我々のためにそれをする力があるお方に
助けていただけるのである。

しかし、神の助けを保証できる唯一の道は、
自分自身を神のみ手に完全にゆだね、
我々のために働いて下さる神に信頼することである。

我々が信仰によって神につかまっていれば、
彼がその働きをなさるのである。

信じる者はただ信頼することしかできない。

神が働かれる時、
我々は神に信頼し、そのみ心を行いながら働くことができる。

                       Manuscript 1a. 1890年

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