キリストが愛されたように愛するということは、
どんな時でも、どこにいても、
親切な言葉と快活な表情をもって
無我の精神を表すということである。
これらのものは、
無償で人に分かち与えることができるが、
魂を取り囲む香を余韻として残していくのである。
彼らの影響力は計り知れない。
それは、受ける者だけでなく、
与える者にも祝福となる。
なぜなら、その行為は与える者にも作用するからである。
真の愛は天から来る尊い特性で、
他に分け与えることによって香りを増すのである。
キリストの愛は深く、誠実で、
止めることのできない川の流れのごとく、
それを受け入れるすべての者に豊かに与えられている。
彼の愛には利己心は存在しない。
もし、この天来の愛が心の内に原則として宿っていれば、
我々が親密に親しんでいる者たちだけでなく、
接触するすべての人々に、
自然とそれは伝わるのである。
それは、我々に配慮を与え、我々が譲歩し、親切を行い、
優しい真実な元気付ける言葉を語るように導くのである。
それは、同情に飢える者に同情できるよう、
我々を導く。
Manuscript 17.1899年
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