我々が請け負う働きに関係する問題を、
注意深く検討するべきである。
この働きは魂の祝福になるだろうか。
神はただ我々を忙しくさせておくためにではなく、
み名の栄光のために仕事をお与えになったのである。
・・・・・・・
キリストは身体的、精神的、道徳的な力が結合した全的奉仕をお求めになる。
これらは神の奉仕において協力すべきである。
人は、神にすべての所有権があるということ、
そして自分の仕事は、主の軍隊に入るまではなかった
神聖さを帯びるということを覚えるべきである。
あらゆる行為は聖別された行為でなければならない。
それは神が託された時間というタラントを使うからである。
その人のすべてが神に服しているので、
そういう人の行為すべてに、「主に聖なるもの」と刻み込まれる。
もしそれが感覚を腐敗させる影響を及ぼすようであれば、
たとえ普通の生活においてでもそのような取引に従事すべきではない。
我々は主の訓練学校におり、
主はご自身が指定された手段によって、
我々を主の奉仕に用いられるので、主のみ名は
この世の中で我々がする仕事によって栄光を受けることができるのである。
Manuscript 49, 1898年
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