2008年3月29日土曜日

説教


大阪の桜は3分咲きと言ったところでしょうか・・・
素敵な季節の到来です。

引っ越しされた先生方、お疲れさまです。
早速の安息日のご奉仕ですが、祝福をお祈りいたします。

「兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、
神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。
なぜなら、わたしはあなたがたの間で、
イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、
何も知るまいと心に決めていたからです。
そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、
恐れに取りつかれ、ひどく不安でし た。
わたしの言葉もわたしの宣教も、 知恵にあふれた言葉によらず、
“霊”と力の証明によるものでした。
それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、
神の力によって信じるようになるためでした。」   Ⅰコリント2:1~5

リバイバルを求める説教者は、
説教の原稿ができあがったからと言ってそこで安心はしない。
原稿はあるし、経験もある、もう大丈夫・・・しかし、それはまだ説教ではない。

原稿の内容は面白く、いくらかの知的刺激と有益性はあるかも知れないが、
しかし、それはまだ説教ではない。
説教とは、御霊と御力の証明にあるのだ。
それがどんなに完全に準備されたものであっても、
聖霊の力が説教者に臨まない限り、それは無駄であり無益な話となる。
だから説教者は聖霊の力を求めて祈らねばならない。

説教者ばかりではない。
会衆もまたそれを祈り求めなければならない。
神の霊が説教者に臨むように、説教者と説教とが用いられるようにと。

そうでなければ、会衆は説教者と説教だけに目を向けてしまう。
共に、神を見上げ、
神のみが与えることのできる力への絶対的信頼の姿勢を実現しなければならない。

リバイバルの時はいつも、
神の力が現れる時はいつも人に祈るように促す必要はない。

彼らは言われなくとも祈る。
神の力をもっと見たいがためにもっと祈る。
その時を待ちつつ祈りたい。
神の御霊が私たちと共にいて下さること、
御力を持って私たち祝福したいとその時を待っておられること、
この事実を私たちが深く知ることができるよう祈りたい。


明日の安息日、各教会の礼拝の説教の上に聖霊の力が臨みますように。
そして、会衆が祈りのうちに神の御力に触れることができますように。

ハッピー・サバス!!

                                   SDA西日本教区
                                   教区長:島田真澄

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