自己のために生きるクリスチャンは、
贖い主のみ名を汚す。
彼らは主の奉仕において非常に活発なように見えるかもしれないが、
彼らはすべての行いに自己を織り込む。
利己心の種をまいて、彼らはついに堕落を刈り取らなければならない・・・。
自己に仕えるということには、様々な形態がある。
これらのあるものは無害に思われる。
外見上の善により、彼らは本当に善良な人たちのように見える。
しかし、彼らは主に栄光を帰していない。
彼らの仕業により、主の御目的は妨げられる。
キリストは、「わたしの味方でない者は、わたしに反するものであり、
わたしと共に集めない者は、散らすものである」(マタイ12:30)と言われる。
Manuscript 2. 1903年
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