2011年7月19日火曜日
静まって神を知れ
「さあ、
あなたがたは、
人を避けて」と
イエスは
われわれに
命じられる
(マルコ6:31)。
イエスのみことばに
留意するとき、
われわれは
もっと強く、
もっと役立つ者となる。
弟子たちは、
イエスを求めて、
すべてのことをイエスに語った。
するとイエスは、
彼らを力づけ、
彼らに教えられた。
もしきょうわれわれが時間をとって
イエスのみもとに行き、
われわれの必要をイエスに告げるならば、
われわれは失望させられないであろう。
主は、
われわれの右側にいて助けてくださる。
われわれは、
もっと単純になり、
もっとイエスに信頼し、
もっとイエスを信用する必要がある。
・・・・・・・・・・
神の訓練を受けているすべての者のうちには、
世とその慣例や習慣に一致しない生活があらわされる。
だれでもみな、
神のみこころを知るために、
個人的な経験をする必要がある。
われわれは、
神が心に語られるのを個人的にきかねばならない。
ほかの声がみな沈黙して、
静けさのうちに神の前に待つとき、
魂の静寂は神のみ声を一層明らかにする。
神は、
「静まって、わたしこそ神であることを知れ」と
われわれに命じておられる(詩篇46:10)。
ここにだけ真の休息がみいだされる。
これこそ神のために働くすべての者にとって
効果的な準備である。
あわただしい群衆の中にあって、
人生の激しい活動の緊張のうちにあって、
このように活気づけられた魂は、
光と平和の雰囲気にとりかこまれる。
その生活はかぐわしい香りを放ち、
人々の心に達する神の力をあらわすのである
(各時代の希望 中 101.102)。
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