2011年7月13日水曜日
教会を通して神に栄光が帰される
神のみ名が
あがめられるようにと、
教会を通して
完成するように
主が計画された、
おどろくべき
みわざがある。
このみわざは、
エゼキエルが見た
いやしの川の幻の
中に描かれている。
「この水は東の境に
流れて行き、
アラバに落ち下り、
その水が、
よどんだ海にはいると、
それは清くなる。
おおよそ
この川に流れる所では、
もろもろの動く生き物が皆生き、
・・・川のかたわら、
その岸のこなたかなたに、
食物となる各種の木が育つ、
その葉は枯れず、
その実は絶えず、
月ごとに新しい実がなる。
これはその水が聖所から流れ出るからである。
その実は食用に供せられ、
その葉は薬となる」(エゼキエル47:8-12)
世の初めから神はこの世界に祝福を与えるために、
神の民を通して働いてこられた。
古代エジプトの国に対して、
神はヨセフをいのちの泉となさった。
ヨセフの誠実さが、
エジプトのすべての民の命を守った。
神はダニエルを通して
バビロンのすべての知者の命を救われた。
これらの救いは、実物教訓としてある。
それは、
ヨセフやダニエルが礼拝していた神とのつながりを通して、
世に与えられる霊的祝福を例証するものである。
キリストを心にやどしている者、
キリストの愛をこの世に示す者はみな、
人類の祝福のために神と共に働く者である。
他の人々に分け与えるために
救い主から恵みを受けるとき、
霊的いのちの潮が彼の全身からあふれ出るのである。
患難から栄光へ 上 4、5
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