2009年2月9日月曜日

ささやきテスト



マタイ25:14~30には、
イエス様がお話になったタラントのたとえ話がのっています。

主人からそれぞれ5タラントと2タラントと1タラントを預けられた人がいて、
5タラント約3億円と2タラント約1億円預けられた人は、
結果、王様と一緒にタラントを2倍に増やしたことを喜びます。  

しかし1タラント約6000万円預けられた人は何もせずに土にうめ、
王様にしかられます。
暗闇に追い出されました。

共に喜んだ5タラントと2タラントの人と、
暗闇に追い出された1タラントの人との最大の違いは
何なんだったのでしょう?  

その大きな違いは、主人に対する理解の違いでした。
前者は主人と喜びを共にする関係でした。

ですから主人からあずかったタラントを少しでも用いて、
お役に立ちたい、といてもたってもいられなかったのでしょう。  

しかし、後者の人は主人を残酷で理不尽な人と理解していました。
ですから、うかつにタラントを用いることができなかったのです。  

私たちが、主の御言葉に従おうとするとき、そこには、
神様との仲むつましい喜びの関係があることを
認識しておかなければなりません。

そこには私と神様との、大変親しい関係が成立しています。  

神様が私に向かって喜んで、このようにおっしゃってくださる関係です。
「あなたは私の愛する子、私はあなたを喜ぶ」という関係です。
そのことをもっと広く、深く理解してゆくならば、私たちは喜んで、
主の御言葉に従い、主は豊かな実りを実現してくださるのだと思います。  

以下のお話は、「ウィスパーテスト」(ささやきテスト)といって、
以前大和カルバリーチャペルの柴田順一牧師が
お説教でお話されていたものです。  

それは一人の女の子の話で展開されます。

その女の子には生まれつき障害がありました。
そしてその女の子自身がこのように言っているんです。
私は 生まれた時から他の子と違うということを知っていました。  

学校にかようようになってからは、
さらに自分が他の子達と姿形がちがうということを感じました。

あなたの唇はどうしたの?聞かれるとき、
いつもガラスで切っちゃったの?と答えました。  

私の心の中では、事故でこうなったと言ったほうが、
生まれつきこういう姿だったと言うより、
みんなに理解してもらえると思ったからです。
私のことは誰も愛してくれないと思っていました。  

2年生の時、
みんなに好かれていたレナード先生が私の担任になりました。

先生は少し太っていて、いつもニコニコしていて、幸せそうな、
輝いている女の先生で、私の先生になりました。  

ある日、耳の聴力テストをすることになり、
レナード先生はクラスのみんなにこのテストを受けさせました。
みんながそのテストを受けてゆき、私の番になりました。

ドアの横に立って、片方の耳をふさいで、
離れたところに先生が立って、私に質問をするのです。  

静かにささやいて、それが聞こえたかどうかテストするのです。
先生は、空は青いですか、とか、
あなたの靴は新しいのと質問をするんです。
そしてそれが聞こえたら、生徒はそれに返事をするのです。  

レナード先生の言葉はだいたい決まっていたのですが、
その時、先生が思いもよらなかった言葉を言うのを聴きました。

先生はわたしを見てこういったのです。
あなたが私の子どもだったらよかったのに。  

私は聞こえたけれど、答えることができませんでした。
なぜなら私は泣いていたからです。
あなたが私の子どもだったらよかったのにと先生が言ってくれた。
私が泣いているから聞こえていたということが分かったようです。  

その日私にとって、もっとも大きなテストに合格しました。
それは私が先生の子どもに選ばれるというテストだったのです。  

私たちは神様から選ばれました。神様によって造られました。
神様のために造られました。神様は私たちを喜んでくださいます。
神様は私たちを通して御業を実現しようとされています。  

私はあなたを捨てて孤児とはしない。
あなたは私の愛する子、私はあなたを喜ぶ。

私たちの耳にこの声は聞こえているでしょうか?        


                                (by 藤田 昌孝)


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